藤井寺さんと平野くん 熱海のこと
小学館eBooks
藤井寺さんと平野くん 熱海のこと
樺 薫
イラスト あめいすめる
目次
序 章
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
第七章
終 章
あとがき
この作品は、坂口安吾のミステリ小説「投手ピツチヤー殺人事件」「不連続殺人事件」から着想を得たフィクションです。
実在の人物、団体等とは一切関係ありません。
序 章
このウェブサイトをはじめたときから、どうしても見ておかねばならぬ、と心に決めていた場所があった。
近鉄藤井寺球場。そう、私のハンドルネームの由来となった球場である。
一九二八年に開場され、一九五〇年に近鉄球団が設立されてからは、以降四十九年の長きにわたって──近鉄パールス・近鉄バファローズ・大阪近鉄バファローズと改名され、二〇〇五年にオリックスブルーウェーブと合併して消滅した球団の本拠地・準本拠地として数々の名勝負と、それに倍する凡戦を見守り続けた、あの球場である。
CSとネットが基本、現場は関東近辺の球場しか知らないSOHO系野球観戦者の私にとって、大阪まで行くとなると、これは一大事である。私にとって以上に、親にとって大事だ。
一泊二日、大阪まで。旅行と呼ぶのもおこがましいおでかけなのに、親は一人で新幹線に乗れるのか、一人でホテルにチェックインできるのか、菊名の横浜線乗り換えは大丈夫かと、私以上におろおろし、深川不動尊の交通安全のお守りをさえ買ってきた。
無論、親の心配はありがたい。しかし、私だってもう子供ではないのだ。今にもついてくると言い出しそうな親のうろたえぶりに、私は苦笑を禁じ得なかった。
近鉄藤井寺球場は、二〇〇五年に閉鎖されただけでなく、二〇〇六年に取り壊しも終わっている。だから、大阪府藤井寺市春日丘三─一─一に行ったところで、何がある、というわけでもない。
私は、それを承知で、それでも見ておきたかった。
何かを、というよりは、何かの不在を。
夏の終わり、だった。
天気はぐずついていた。雲を、風を追い越すひかり号の窓、ほとんど水平に流れていく雨粒を、私は物珍しく、そして不安な気持ちを抱えながら見つめていた。
東海地方を襲った豪雨は、しかし関ヶ原に差し掛かるころには、新幹線には振り切られている。
石田三成靡下の猛将・島左近が、関ヶ原決