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作者:菅沼理恵
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-12-28(角川书店)
价格:¥494 原版
文库:角川Beans文库
丛书:星宿姫伝(6)
代购:lumagic.taobao.com
星宿姫伝 しろがねの継承 星宿姫伝 しろがねの継承 菅沼理恵 角川ビーンズ文庫 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載したりすることを禁止します。また、 本作品の内容は、底本発行時の取材・執筆内容に基づきます。 (わたしと賭けをしましょう、朱月)  白鷺は静かに言うと、寝床から赤子を抱き上げた。 (賭け? お姫さまらしくない提案だね)  朱月は微笑む。 (この子をあなたに預けるわ)  白鷺は、朱月の揶揄を無視した。腕の中の赤子を愛しげに見おろす。 (あなたはこの子を十六年、──大人になるまで育てるのよ) (十六年も育てられるかな。途中で死なせてしまうかもしれないよ)  朱月は、白鷺の腕の中の赤ん坊を覗き込んだ。白銀の頭髪に覆われた頭は小さく、ひとひねりで握りつぶせそうだった。  朱月の影が落ちたのに気づいて、赤ん坊は目を上げる。空色の瞳は澄んでいた。もう目が見えるのか、不思議そうに朱月を凝視している。美しい、明け方の空のようなまなざし。 (わたしが殺せないのは赤ん坊だけだ。子どもはそうでもないんだよ、白鷺) (いいえ、あなたにはできないわ。あなたには殺せない、わかってるでしょう?)  白鷺は勝ち誇ったように言った。  朱月はその言葉に、赤ん坊から目を逸らした。 (……名前は?) (まだつけてないわ)  白鷺は朱月の逸らした視線の先に回り込み、再び赤ん坊を見せつけた。(あなたがつけて) (どうして、わたしが)  朱月は困惑して、白鷺とその娘を見比べる。 (だって、あなたが育てるんですもの)  白鷺の理屈は、朱月にはわからない。彼女は昔からこのように『だって』の一言で、朱月には理解しがたい論理の飛躍をする人だった。  しんしんと雪の降る夜に生まれた赤ん坊は、何かを待つように朱月を見つめている。 (──しらゆき)と、朱月は、この母と娘に根負けして呟いた。(白い雪、で白雪だ。雪の降った夜に生まれたんだろう。それに君の字を合わせた) (ありがとう)  白鷺の顔が安堵に彩られる。(いい名だわ。白雪) (……わたしなんかに命名させていいのか) (この子が望んだのよ)  ふふ、と白鷺は笑う。朱月は眉を上げた。 (この子が?) (あなたに育てられたいとも望んでるわ) (生まれたばかりの子が、そんなことを望むはずはないだろう) (生まれたときに願っていたわ。この子はそのうち忘れてしまうでしょうけど)  白鷺は、ごくあたりまえのことのように告げる。(この子はあなたのそばにいたがってるの。それに烙印を持っているんですもの。ここにいたって、わたしのように自由を奪われて退屈な時間を過ごすだけ)  白鷺の声はあくまで明るく、唄っているような抑揚を帯びてさえいた。彼女が人生のほとんどを束縛されて過ごしたとは思えないほどだ。 (だから、あなたにこの子を預けたいのよ。……そして、この子が十六になったとき、あなたがこの子を少しでもいとしいと思っていたら、賭けはわたしの勝ち) (──もし、なんとも思っていなかったら?) (もちろんあなたの勝ちよ。この子を好きなようにして。あなたにこの子の命をあげる)  白鷺は凜とした声で告げた。(この子なら、あなたの望むあの禁呪も使いこなせるはずよ) (ひどい母親だね、君は)  朱月は顔を上げて肩をすくめる。(王家の姫が、わたしのような者に自分の娘を預けるなんて、どうかしてるとしか思えないよ。──しかも今では唯一、真の王族直系だろう。城から放り出してしまっていいのかい) (あら、ひどくなんかないわ。可愛い娘だからこそ旅に出すんじゃない。許されるならわたしが代わりに行きたいくらいよ)  白鷺の言葉に、朱月は黙った。  ただでさえ不自由な身の斎宮、白鷺だが、子どもを産むという禁を犯してしまったからには、今後は斎宮殿からさえも出られない。自業自得とはいえ、窓外に思いをはせる生活を死ぬまで続けなければならないのだ。  還俗すれば自由になれるだろう。しかしそれは、次の烙印を持つ者、──彼女の娘が代わって斎宮になることを意味する。  白鷺は娘に自分と同じような思いを味わわせたくないのだろう。 (わたしが賭けに勝ったら……十六年経ったとき、あなたがこの子を少しでも、どんな意味でもいい、いとしいと、──死なせたくないと思っていたら) (思っていたら?) (この子のいうことを聞いてやって。どんな望みでも、どうか……受け容れてやって)  傲慢で、何ひとつ悔やまず生きてきた斎宮の声には、すがるような響きがにじんでいた。  今では地上でもっとも長の歴史を誇る国、神杖は、結ユイの大陸の東部に位置する。  九つの州を有するこの国は、諸外国との交流を必要最小限のみにとどめ、出入国は困難をきわめるため、街で外国人を見かけることはまれだった。  だが、城内ではめずらしくもない。建国の祖、桂院蒼空の最愛の妃が西方から流れてきていたので、王妃は今でも必ず西方の平民より娶られたし、側室もほとんどが外国人だ。国内の有力な貴族を姻戚に持ったがゆえの内乱を幾度か経験したので、傍系の王族は臣下に降らせ、直系の血筋に貴族や富豪の血が入るのを極力防いでいる。 「小雪、遅いわよ」  白雪がぱたぱたと廊下を駆けていくと、入り口で人数を数えていた少女が言った。彼女は由永。『ひいな』と呼ばれる側仕え見習いの中でも数少ない成人の十六歳に達しているので、白雪と違って長い髪をきちんと結い上げているが、着用しているのはひいなと同じ制服だ。飾り気のない襟の詰まった上衣は釦で留める袷が隠れている。下衣は腰布と袴の二種類あり、ほとんどの少女たちは翻る裾を好んで膝下まであるたっぷりした腰布を身につけていたが、由永はまっすぐな線の袴を穿いている。彼女は次の春の除目で正式な側仕えとなることが決まっているが、今は他のひいなの監督となっていた。 「すみません、遅くなって」  小雪と呼ばれるのにも慣れてきた白雪は、それだけを口にした。この場合、遅刻の弁解は、訊かれない限りしてはいけない。相手にとってそれは言い訳にしかならないからだそうだ。  由永は肩をすくめると、食堂の中を手で指し示した。 「お入りなさい。席は空いてるわ」  食堂に来るのが遅れると、席が埋まっていて入室を許可されない。そのときは誰かが食べ終えるのを待たなくてはならず、食事時間が短くなる。  白雪は受付口に行くと、名乗って食事を受け取った。顔見知りになった廚房人が、主菜をたっぷり盛りつけてくれる。 「あいよ、小雪はちっちゃいから、たくさん食べな」  今の白雪は、本当は十四なのに十五と偽っているためか、小さく思われがちだった。廚房人の心遣いをありがたくいただき、白雪は空いている席を探す。 「こっち、小雪」  聞き慣れた声がした。見ると、同室の迦純が手を振っている。白雪はそちらへ足を向けた。 「ありがと、迦純」 「どういたしまして」  迦純はそう言うと、盆を手に立ち上がった。「わたしはもう終わりだから」 「早いのね」  白雪は席について手を合わせた。食前の祈りを済ませると、脇に立っていた迦純が囁く。 「本当は起こそうかと思ったのよ」 「いいのよ、ひとりで起きなきゃいけないんでしょう」  ひいなとなったばかりの白雪にとって、憶えなければならないことは多かったが、それより、『ひとりでできなくてはならないこと』のほうが多く思える。起きるのも、誰かに起こしてもらってはならないという決まりがあった。  他にも諸々とある決まりによって、後宮で側仕えとして務める少女たちは厳しく躾けられる。  正式に側仕えとして採用されるのは成人後の十六歳の春からだ。その後は十年間を王城内で側仕えとして過ごし、継続を望まない限り任を解かれる。  二十六を過ぎた側仕えは、実家に帰って裕福な者の妻になったり、礼法の教師となったり、私塾に勤めたりすることが多かった。王城の側仕えといえば、神杖の少女にとっては出世の道を意味するのだ。仕込まれた教養、礼儀、そして王城に仕えたという経歴によって、地方によっては貴族に近い扱いを受けるもと側仕えもいるという。 「わたしたち東組は、午前は果樹園ですって。またあとでね、小雪」  迦純はそう言うと、空になった食器を載せた盆を手に去っていった。  百人ほどいるひいなは東西南北の四つの組に分けられていて、組ごとに違う仕事を割り振られるが、城内の舎人たちの手伝いなどの雑役がほとんどだ。それも午前で終わり、午後は三種の講義を受ける仕組みになっていた。ひとつ、礼法。ひとつ、計算を含む書と一般的な知識などの教養。ひとつ、武芸。残りの一組は休み時間となる。三講と休み時間をこなせばもう夕方で、夕食と入浴を済ませたら就寝となる。休み時間以外は息をつく間もないほどに忙しいため、早い就寝時刻でも、みなすぐに眠りに就いてしまうのだ。  白雪は迦純を見送りながら、ずいぶん長くこんな日々を送っているような錯覚をおぼえた。 「ねえ、姫さまって、毎日お部屋に閉じこもって、何をしてらっしゃるのかしらね」  隣の少女たちの会話が耳に飛び込んできて、白雪は箸を動かす手を止めた。が、すぐに食事を再開する。今までもっぱら麵麭パンを食べてきた白雪は、米の飯を食べ慣れていないので箸を使うのは覚束ない。 「毎日、御所でお勉強なさってるって話よ」  情報通らしき少女がひそひそ声で言った。しかし、喧噪を縫ってその会話は白雪の耳に届く。 「竜珠としては強大な力をお持ちだそうだけど、斎宮としての教育をきちんと受けてらっしゃるわけじゃないんですものね。憶えることはわたしたちよりたくさんあるでしょうよ」 「どんな方なのかしら。わたしたちと同じ年なんでしょう」 「旅から旅をなさってたそうだから、きっとしっかりしてらっしゃるはずよ」  白雪はなんとなくいたたまれなくなってきた。早く食べ終えようと箸を操るが、焦ってますます巧くいかない。そのうちつるりと箸先が滑って、芋の煮つけを器から飛び出させてしまう。 「少なくともあの新入りみたいに、不器用でもにぶくもないでしょうよ」 「手のひらにあんなみにくい火傷の跡があるなんて、よほどとろいのね、あの子」  ひときわ声が大きくなり、白雪はきょとんとした。顔を向けると、喋っていた少女たちがくすくす笑いながら白雪を見ている。  左手のひらにある火傷跡のことをからかわれるのは慣れている。なので白雪は特に気にせず、反射的にその視線を見返した。 「いったい何をしてあんな跡がついたんだか」 「食べ終わったなら、早く行ったら?」  白雪は巧く使えない箸を置くと、転がった芋を指先で取り上げ、口に放り込んだ。こちらを見ていた少女たちは、まあ、といっせいに顔をしかめる。はしたないとでも言いたいのだろう。しかし、流れる旅をつづけてきた白雪にとっては、卓に転がった芋なら口に入れるのはあたりまえだ。しかもこの卓は街の場末の食堂とは比べものにならないほどしっかり拭かれていて清潔である。何をためらうことがあるというのだろう。 「たぶん姫さまは、他の人が席が空くのを待ってるのを気にもとめずに、食べ終わったあと延々とくだらないおしゃべりをして朝の貴重な時間を潰したりなんてしないでしょうね」  白雪がそう言うと、反論を予想していなかったのか、少女たちは目を丸くした。ひとりの少女は、握りしめた拳を震わせていた。 「しかもそれが、人をそしったり嘲ったりする話題なんてこともないんじゃないかしら」  芋の煮つけは白雪には慣れない味つけだったが、今は美味と感じるようになっていた。咀嚼してのみ込むころには、喋っていた少女たちは不服げな面持ちで盆を手に手に去っていく。 (負けてないな、白雪)  床に落ちた影から声がする。千白だ。  彼の気配に、白雪は溜息をついた。  白雪の影の中には、この国の守護神が身を潜めている。  強大な竜珠を秘める先代斎宮の娘、──そして当代の斎宮でもある白雪が、側仕え見習いの少女たちに混じって、八日間、一旬が過ぎていた。  その、一旬前のことである。 「あけて! 出してよ!」  乱暴に閉められた扉を、白雪は叩いた。  連れてこられたのは、どこともわからぬ小部屋である。剝き出しの石壁や床が寒々しい。人を閉じ込めておく用途の部屋なのだろう。  神降りの丘──死せる斎宮たちの霊、彩姫が眠る神聖な塚が崩れたのは、白雪がその彩姫たちに斎宮として認められ、この神杖国の守護神である千白を顕現させたこととも関係があった。  神降りの丘の崩壊に巻き込まれないよう、白雪たちはひとまず王城へ戻ろうとしたが、途中で王城から遣わされた赤鳥隊と出会した。  斎宮を守護する四人の騎士の筆頭は、異母兄弟の彼らの長兄でもある蘇芳で、しかも彼は赤鳥隊所属だ。同僚に、何故このような場所をうろついているのか、また、神降りの丘で何が起きたか知っているかと問われた蘇芳は、かいつまんでことの次第を説明し、連れている白雪を斎宮だと紹介した。──新しい斎宮だと。  蘇芳が異母弟たちとともに斎宮探索の旅に出ていたのはみんな知っている。また、つい先日、城に戻ったことも知られていた。だが、斎宮となるべき烙印を持つ姫が見つかったのは公にされていなかったのだ。  その後、白雪と騎士たちは赤鳥隊によって城内へ連れ戻され、白雪は四人と引き離されてこの部屋に入れられた。扱いは丁重だったが、それでも不安だったし、このように閉じ込められるのは腹立たしかった。まるで罪人ではないか。  ここに連れてこられるとき、縛められなかっただけましかもしれない。蘇芳と青磁は剣や刀を取り上げられ、琥珀の手にしていた杖も持ち去られた。それについて琥珀はひどく腹を立てているようだったが、言葉に出しては何も言わなかった。 (そりゃあそうだ。あの杖の価値を知らないやつらがどんな扱いをするか考えれば腹も立つ)  不意に近くで聞こえた声に、白雪はぎょっとして身を竦めた。  きょろきょろとあたりを見まわす。剝き出しの石壁の上部に、格子のはまった小さな窓がある。そこからは明るい陽光が射し込んで、白雪の足もとにわずかに影を落としていた。  声は、床に落ちた影から聞こえていた。 (もっとひかりの下へ行け。全身の影を映してくれ)  命じるような声に従って窓から射し込む陽光の下へ行くと、影が長くなる。やがて頭から足までの影が床に落ちると、そこからするりと銀色の姿が現れた。  初めて目の当たりにするその出現方法に、白雪は息をのんだ。 「……ちしろ」  戸惑いながらも名を呼ぶと、青年は微笑んだ。銀髪と同じ色の睫が伏せられ、ひかりが宿ってきらめく。 「影が完全な形でないと、外に出られないんだ」  千白はふわりと浮きながら白雪に近づいてきた。  銀細工の青年像のような姿をした神杖国の守護神、千白が白雪の前に姿を現してから一日と経っていない。なのに彼は、まるで昔から白雪を知っているかのようないとしげなまなざしで見る。本人の言によれば、『ずっと白雪の中で眠っていた』そうだから、彼は知っていたのかもしれないが、白雪は千白の存在にこれまでまったく気づかなかった。 「しかしまあ、あれは複製で誰にでも触れるから、価値をわかるやつも少ないんだろう」  千白の言っている『あれ』が、琥珀の持っていた杖のことなのはわかった。だが、白雪はそのことを口に出して言ってはいない。 「千白は、わたしの考えてることがわかるの?」  直裁に訊くと、ああ、と千白はうなずく。 「千白は、宿主の意に添うために、その気持ちを悟ることができる。だが、ふだんはなるべくしないようにしているし、しても、言葉になる前のだけしか悟らないようにしている。前の宿主たちにえらく怒られたからな」 「前の宿主たちって、……」  白雪はふと、神降りの丘で会った彩姫たちを思い出した。 「千白は前の宿主たちの名を呼べないからな。ややこしくてすまない」  苦笑して千白はつづける。「千白にこの名前と姿をくれたのが、本当に最初のやつ。千白が守って、育てて、大きくしたやつだ。この国の最初の王になった」 「国祖のこと?」  訊くと、千白は目を細めた。懐かしむような顔は、悲しげにも見える。 「そうだ。あいつは、千白がその意を悟るのをあまり気に留めていなかった。妻を娶ってから気にし始めたがな。そのあとのみどりのやつが、自分は女子で千白が男の姿をしているから、何もかも知られるのは嫌だったらしい。湯殿や厠に行くときは、影の中からも出ていろと言われた」 「湯殿や厠にまでついてきてたなんて、……そりゃあ、出ていろとも言うわよっ」  白雪は顔を赤らめた。「わっ、わたしのときも、湯殿や厠では影から出ていてね」  そんなときまでついてこられてはたまったものではない。 「気をつけるようにするが、そんなに恥ずかしいものなのか?」と、千白は至極まじめな顔をした。「ならばやはり、夜は同じ寝間に入れてはくれないか」  しょげたような千白のさまに、白雪は少し考えてから言った。 「そうね…同じ寝床でないならいいわ。寝間にいるだけなら」  言ってから、白雪はあることに気づいて首をかしげる。「そういえば、男と女が同じ床でゆびきりをして寝たら赤ちゃんができるというけれど、神の千白と人間のわたしがそうしても、玻ハリ璃ノ神カミは赤ちゃんを授けてくださるのかしら?」  別に赤ん坊がほしいわけではない。ただ、神と人の血は混じり合うのか、と疑問に思っただけである。  千白は白雪の言葉を聞いて、奇妙な表情を浮かべた。何故か困っているようだ。 「白雪、その……千白は白雪の中にずっといたが、眠っていたので、白雪が何を見聞きして大きくなってきたか知らない。今までのことを教えてくれないか」 「今まで……」  白雪は、どこから話していいかわからず、考え込んだ。 「ああ、語らなくていい。──こうすれば」  そう言うと、千白は浮かぶのをやめて、石床に降りた。白雪の前に立つと、その手を取って顔を近づけてくる。目を閉じた千白の顔が間近に迫り、白雪は思わず息を詰めた。  こつん、と千白の額が白雪の額にふれた。その衝撃で、白雪の肩までの髪がさらりと揺れる。 「……!」  ふれた部分があたたかくなり、そこから何かが流れ出すのがわかる。思わず目を閉じると、瞼の裏で光が乱舞した。脳裏にさまざまな情景が駆け抜ける。  それらは今までに白雪が見てきた風景や体験してきたできごとだった。野宿のときに焚かれた火の明るさ、森から響く狼の遠吠え、白い道の端で眠ったときに見た夜空、明るく晴れた空の下での祭り、雨宿りをした社、その縁の下で鳴いていた仔猫たち。閏旬に泊めてもらった貴族の館、お腹いっぱい食べられたときのあたたかさ、逆にひもじかったり寒かったりもした。やさしい人々もいたが、同様に、竜珠だからと蔑んだり忌む者もいた。文字を習い、読み方を憶え、多くの知識を得た。遠い国、遠い昔の話をいつも寝る前に父が聞かせてくれた。この地上、海の向こうにもさまざまな国があることを知り、いつか行きたいと思った。  いつも楽しかった。人に忌まれるのはさほど気にならず、つらさや苦しさを感じることは少なかった。何故ならひとりではなかったからだ……いつもそばに父がいた。いつか名前で呼ばせてもらうと約束した、父の朱月が。  その父の死を、白雪はようやく受け容れようとしていた。