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作者:菅沼理恵
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-12-28(角川书店)
价格:¥494 原版
文库:角川Beans文库
丛书:星宿姫伝(7)
代购:lumagic.taobao.com
星宿姫伝 しろがねの鼓動 星宿姫伝 しろがねの鼓動 菅沼理恵 角川ビーンズ文庫 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載したりすることを禁止します。また、 本作品の内容は、底本発行時の取材・執筆内容に基づきます。  どんな重い罪も、いつかはゆるされるときがくるはずよ。  もし罪をゆるされない者がいるとすれば、それは……  白雪はぼんやりとあたりを見まわした。  無数の人のうめき声。白い煙のような埃の漂う空気。枯れた冬草に散る赤い血の色。 「ここは君によくない。ひとまず親王御所へ」  琥珀が近づいてきて、白雪の腕にふれた。白雪はじっと琥珀を見つめる。 「ここにいても、もう朱月は戻ってこないよ」  琥珀の言葉に、白雪はぐっと唇を嚙みしめた。だが、その場を去る気にもなれない。 「療部の者は施療をお願いします! そうでない方も、お手をお貸しください!」  聞き憶えのある青年の声が響いた。見ると、療部卿が幾人かの部下を引き連れて駆けてくる。  白雪は、ゆらりとそちらへ歩を向ける。琥珀の腕が遠くなった。 「白雪……」  琥珀の呼びかけにもかまわず、強くなる血臭へと向かう。 「手伝います」  地面に膝をついて、負傷者の施療を始めていた療部卿に声をかけると、彼はぎょっとしたように振り向いた。 「姫……」  戸惑う療部卿から、白雪は地面に伏せる者に視線を移した。  朱月の攻撃で傷ついた侍者の体から血が流れ落ちて地面を染めている。血の臭いは強かったが、白雪は何も感じなかった。 「どうすればよろしいのですか」 「……では、お力添えを願います」  尋ねると、療部卿はそう答え、施療の手順をひとつひとつ実行しながら教えてくれる。白雪はそれをひととおり見てとると、近くに倒れていた者に近づいて、同じように施療を始めた。  負傷者の体を仰向かせ、傷を調べる。裂けた傷から覗く肉が赤い。白雪はそれに一瞬怯んだが、すぐに施療の呪詞を唱え始めた。  斎宮として受けた教育で、白雪も新しい呪詞を憶えている。それらを実行したことはなかったが、呪詞を唱えるとたちまち竜珠が反応して、全身がぼんやりとしたひかりを帯び始めるのが自分でも見えた。同時に、周囲で負傷者を救助し手当てしていた者たちが感嘆の声を上げる。 「姫さまが……!」 「お手当てくださるとは!」 「見ろ、傷が……」  白雪が手をかざした傷は、みるみるうちにふさがり、癒えていく。  意識を失っていた侍者が、白雪の手の下で身動いだ。ゆっくりと目をあけ、彼は眩しげに瞬く。 「姫、……」 「だいじょうぶですか」  白雪は低い声で話しかけた。話しかけられた侍者は、まじまじと白雪を見上げる。 「姫が、自分を……?」  白雪は黙っていた。かけるべき言葉が見つからなかった。  ──あの人がこんなふうに人を傷つけたのは、自分のせいなのだから。  新年の祝宴は、表向きは闖入者による騒動が起きたためとしておひらきになり、各国の使者とその従者は保護の名目で自室へ引き揚げさせられた。  隣国、長汀の使者である静玄だけは、従者がなくひとりきりで自室に軟禁状態に置かれた。静玄を穏便に自室へ引き揚げさせたのは刑部卿佳春である。  神杖の司法をつかさどる身でありながらも、有事の際には聖王の身辺護人を務める刑部卿自らが任に当たるのは、軟禁される静玄が隣国の太子だからだ。今、聖王には、佳春の腹心の部下である道延が代理で警護についている。 「──では、静玄どのの従者は、今はどこにいるかわからないのですね」  佳春はいつもと違って丁寧に、ゆっくりとしたやわらかい声で問いかけた。  室内の調度は、賓客として扱われる静玄のために趣向を凝らされている。そのひとつ、長椅子に腰かけた静玄は、じっと佳春を見上げた。 「そうだ」 「そうなりますと、静玄どののお立場が変わってきますが」 「どのように」 「斎宮を誘い出して殺そうとした男が静玄どのの従者で、今はその所在がわからないとなれば、斎宮を害そうとした者の主人として、従者の疑いが晴れるまでは石壁が剝き出しの部屋に入っていただかなくてはなりません」  佳春はそう言うと、やや顔をしかめた。それから小さく溜息をつく。 「私の部下に斎宮の騎士がおるのですが、その者は、静玄どのが斎宮の姫を謀殺しかけたと言っています。これが本当ならばただごとではない。しかし、警戒を怠らぬように努めていましたが、静玄どのの動きに不審なところは見られなかった」  静玄は眉を上げた。 「私を見張っていたと」 「静玄どのだけではありません。公にはできませんが、すべての賓客の方々に監視がついていました」  佳春は淡々と告げる。「しかし、従者はその監視から漏れていました。というより、どの従者も必ず使者の方々と行動をともにしていましたから、静玄どのの従者である朱里どのの単独行動は想定していなかったのです。これは我々の過失でした。──静玄どのが朱里どのを従者としてお選びになったのは、どのような理由からですか」  静玄は押し黙って、視線を下げた。  佳春は先を促さなかった。黙って腕を組むと、壁にもたれて静玄を見る。  佳春に決定権はないから、静玄を尋問して真相を追及するわけにはいかなかった。だが聖王より勅命があれば、隣国の国主代理でも容赦なく罪に問わねばならない。佳春としてはそれは避けたかった。そんなことをすれば隣国との関係に軋轢が生じるのは必至である。表面上とはいえ、これまで神杖と長汀は友好関係を保ってきたのだ。  室外で人が騒ぎ立てる物音がした。いくつかの声が混じって聞こえる。その中に少女のかぼそい、しかししっかりした強い声を聞き取って佳春はすばやく動いた。静玄は、彼が自分に向かってくるかと思ったのか、はっとしたように顔を上げた。佳春がそれにかまわず戸口に駆け寄ると、ほとんど同時に扉があいた。 「……静玄さまは……」  あいた扉の隙間から体を押し込むようにして入ってきたのは、この国では聖王に次ぐ地位と身分を持つ神聖なる少女、白雪だった。 「白雪さま」  佳春は戸惑って白雪を見、次いでその背後に立つ騎士たちを見た。蘇芳と青磁が困惑の表情を浮かべている。 「静玄さまは、わるくないです」  部屋に入ってきた白雪に、静玄が驚いて立ち上がる。 「姫、そのお姿は」  白雪の衣服は血と泥で汚れていた。怪我はないようだが、見た者を不安にさせる空気を漂わせている。それにひどく消耗しているようで、数時間前に行われた新年の言祝ぎのときの潑剌とした表情は影もない。ふっくらとしていた頰は青白くなって、瘦けてさえ見えた。 「姫は負傷者の施療に携わっていらっしゃったのですが、……静玄どのをご案じになって」  部屋に入ってきた蘇芳が説明する。つづいて入ってきた青磁は、こわばった顔で扉を閉めた。 「さきほどの件は、わたしのせいです」  白雪は静玄から佳春に視線を移した。「静玄さまは関係ないのですから、咎め立てしないでください」 「さきほどの件、とは」 「あ、……あの人が、あんなことをしたのは、わたしのせいなんです」  ためらいながらも白雪はつづけた。「佳春さんがここにいるのは、静玄さまが従者に命じてわたしを殺そうとしたと疑われているからでしょう?」  佳春は苦笑した。 「さすが白雪さま、よくおわかりですね。確かに、あの男はこの方の従者だった。今、それについてお尋ねしていたところです。何故、あの男を従者として連れてきたのかと」 「朱里はこの国の人間だが、記憶を失っているというので、記憶を取り戻す手がかりになればと思い、連れてきた。……もとは私の従者でもある我が国の最高位の術師、浅緋の友人だ」  立ち上がり、静玄はつづけた。「朱里自身について、私はそこまでしか知らぬ」 「浅緋どの、ですか。お名前は存じ上げております」  佳春は丁寧に答えた。「失礼ですが、貴国ではさほど竜珠に重きを置かれないごようす。それなのに竜珠である浅緋どのは、ここ十年余りで内政の中枢に入り込んでいるそうですね」  静玄が剣吞な顔つきで佳春を見た。 「よく調べておるな、刑部卿」  神杖は鎖国状態で、他国との交流を最小限にとどめているが、他国の内部事情を探るために各国へ間諜を放っていた。表沙汰にはされないが、刑部省はその間諜たちを統括している。 「静玄どのがあの男についての詳細を知り得ないというのであれば、浅緋どのを召喚して、」 「あの人はわたしの父、……だった人です」  言いかけた佳春の前に立ちはだかって、白雪は激しく言った。「あの人は、本当の名は朱里ではなくて、朱月という人です。ずっとわたしと一緒にいた人です」 「姫、落ちついてください」  蘇芳がとりなす。「その件について、姫が言い及ばれる必要は──」 「あの人はわたしを殺しに来たんです」  白雪は早口で言うと目を閉じた。震える声が言葉を紡ぐ。 「静玄さまについてきたのは、わたしに近づこうとしたからだと思います。わたしは、あの人は死んだと思っていました。でも、そうではなくて、……あの人は、わたしを殺しに来たのです」  ゆっくりと、白雪は瞼を上げた。その瞳は興奮のせいか深い青に染まっている。佳春は不謹慎と知りつつも見とれた。美しい、青い瞳。  神杖では深い青は喪色とされ、忌まれもするが逆に敬われもした。それは竜珠の国祖が国土を統一した時点で、瞳と髪が同系色の青だったためだ。国祖は自らが手にかけた数多の者を悼み、国土統一とともに盛大な葬礼を行った。  建国当時の国祖も、今の白雪と同じ色の瞳をしていたのではないだろうかと佳春は思った。それほどまでにこの瞳は強い意志を湛えていた。 「わたしを害そうとしたのはあの人の個人的な行動です。ですから、この件で静玄さまを拘束したり、不当に行動の自由を奪うのはやめてください。お願いです」 「しかし、陛下がなんとおっしゃるか……」  実のところ、聖王楓院清祥、──白雪の伯父とされる祥琳は、静玄の処遇について何も言及しなかった。自分も古くから見知っていた朱月が、白雪を狙って城に入り込んでいたという事実によって与えられた心身への衝撃が大きく、佳春に一切をまかせると言い残して今は寝所に引き取っていたのだ。 「ならば、わたしが長汀へ行きます」  思いがけない白雪の発言に、さすがの佳春もぎょっとした。 「姫!?」 「何を」  蘇芳と青磁が声を交じらせる。 「静玄さまをこんな不名誉な形でこちらに留め置くなら、静玄さまをお送りして長汀へ行き、その浅緋さまに会ってお話を聞いてきます。──そうすれば結界のせいで困っている人たちの手助けもできるかもしれないわ」  白雪の口調は落ちついているように聞こえたが、言っている内容は突拍子もなく、興奮が収まっていないようだった。  まだ身も心も未熟な少女を落ちつかせ、緊張を解きほぐし不安を取り除けるのは、騎士のうちでも特殊な竜珠を有する黒曜ただひとりである。だが今、彼はそばにいない。  佳春は内心の焦りを隠して、蘇芳と青磁を見比べた。どちらもすぐれた騎士だが、あまりにも斎宮を想いすぎていて余裕がないのが佳春にはわかった。今のかれらはただおろおろするばかりである。 「白雪さま、そのような無茶をおっしゃらんでください。あいつが、……いや、陛下が泣きますよ」  思わず佳春はいつものように砕けた調子で白雪を諭す。「陛下は白雪さまを何よりも大切にしている。それに、斎宮は結界の外へ出るべきではありません」 「でもその結界が他国の人々を苦しめているなんて、おかしいわ!」  とうとう白雪もいつもの調子に戻ってしまった。取り繕っていた姫君の仮面が外れてしまう。  神杖を守る結界は斎宮によって張られている。結界は神杖に寄りつこうとする悪霊をはじき、はじかれた悪霊は他国へ害を及ぼす。その事実を、神杖で育たなかった白雪は静玄に聞かされるまで知らなかった。 「誰かを守るために誰かが苦しむなんて、おかしいわ……!」  佳春は小さく息をついた。──かつて自分が仕えていた姫も、昔は同じ疑問を抱いていた。 「だからわたしは、結界を……」  叫ぶように喋りつづけていた白雪の前に青磁が立ちはだかる。佳春がまずいと思ったときにはもう遅かった。青磁の手が伸びて、白雪の襟首を摑む。あまりにも突然だったので、白雪は抵抗できなかった。  青磁の手がしなやかに動いて、白雪の頰を撲った。軽い音が二度つづき、白雪の頰は左右ともたちまち赤くなった。 「青磁、何をする!」 「こいつがばかなことを言うからだ!」  蘇芳に咎められ、青磁は即座に返した。  撲たれた白雪は茫然としている。大きく目を瞠り、何が起きたのか理解できないというような顔をして。 「いつからおまえは自国の民を放り出したまま他国の民を助けられるほど偉くなったんだ!?」  青磁の詰るような叱咤に、白雪ははっと我に返った。  青磁は、声音とは裏腹にひどく悲しげなまなざしを白雪に向けている。 「……白雪、だいじょうぶか」  蘇芳が近づいて、赤くなった頰にふれようとした。だが、びくりと身を竦めた少女に、その動きを止める。 「すまない、だが、……青磁の言ったとおりだ。自分の足もとも覚束ないのに、他の者を手助けすることなどできはしないぞ」  やさしく諭すような声音に、白雪はうなだれる。 「姫」  静玄の呼びかけに、白雪は振り向いた。  彼は白雪に歩み寄ると膝をついた。 「私ごときが申し上げられる立場ではございませんが、あまり無茶をなさらないでください」  穏やかに、静玄は白雪に語りかけた。「確かに、結界の件については一刻も早く対処していただきたいというのが本音ですが、今の姫に無理は申し上げられません。それに、あの男を連れてきたのは確かに私です」  静玄の言葉には誠意がこめられていた。白雪はじっと彼の声に耳を傾けた。 「けれど、これだけは信じていただきたい。一度は姫のお命を危うくした私ですが、あの男の企みについては、本当に存じませんでした」 「ええ、……それは、わかっています」  竜珠だから、自分の思いがわかるのだろうか。静玄はそう思ったが問わなかった。  長汀の者は、竜珠の不思議の力を忌む。だから静玄は竜珠だが、王位を継ぐために竜珠としての力を伸ばし鍛えることをしなかった。  竜珠が重く強い力を有するこの姫には、今の自分がどのように見えているのか、何を考えているのかがわかるのか。そう考えても、彼女を嫌忌する気持ちはちらりとも湧かない。 「姫、できることなら、私をこのまま本国へ帰していただけませんか。あの男がどうしてあのようなことをしたか、必ず浅緋に尋ねて折り返しご報告させていただきますゆえ」 「都合のいいことをおっしゃいますな」  低い声は青磁のものだった。「こちらは、……どれほどの負傷者が出たかご存じですか」 「──姫が結界のことを考えるとおっしゃってくださった、その言葉を信じています。いつか我々の願いを叶えていただけるならば、今少し、お待ちいたします」  静玄は青磁の言葉を無視してつづけた。「どうか、姫……私を信じていただきたい」  白雪の手を取る。その手のひらにはこの国の斎宮に施される烙印があった。無惨な傷痕に、静玄の胸は痛んだ。  そっと頭を垂れて、その傷痕に額を押し当てる。 「……はい」  白雪は答えた。「今は、静玄さまを信じます……」  静玄はその言葉に顔を上げる。 「姫、……ありがとうございます」  かつて静玄はこの少女の命を狙った。そして今また静玄の従者に危ない目に遭わされたというのに、自分を信じるとこの少女は言うのだ。  これではけっして自分は彼女を裏切ることなどできないではないかと、静玄は強く思った。 「……姫!?」  静玄が立ち上がりかけると同時に、ぐらりと白雪の体が傾いだ。思わず静玄は手を伸ばすが、一瞬早く蘇芳が細い体を抱き留める。 「緊張が緩んだのでしょう」と、蘇芳は静玄を見、次いで佳春を見た。「自分も、姫を信じています。──姫のお言葉通りになさってくださいますか、刑部卿」  それまで黙っていた佳春は肩をすくめた。 「せざるを得まい。白雪さまのお言葉は、今や陛下に次ぐ威力を持つんだからな」  そう、今や白雪は言葉ひとつで国を動かすことができる。  ──ただ問題は、本人がそれを知らないということだ。  痛い。  最初に白雪の意識を呼び覚ましたのは鈍い痛みだった。体の奥から込み上げてくる痛み。腹の中で鉦や太鼓や銅鑼を激しく打ち鳴らされているようだ。  身動ぐと、憶えのある寝台に寝かされているのがわかった。やわらかい布地を指先でまさぐると、傍らに人の気配が近づいてくる。 「お目ざめになりましたか」  夏乃の声に、白雪は瞬く。 「夏乃さん……」  見慣れた顔が覗き込んでいて、白雪は安堵を覚えた。  側仕えを呼ぶとき、敬称の『さん』はつけなくてもいいと言われたが、それでも白雪は、彼女を今でもさん付けで呼ぶ。年上の人間を気安く呼び捨てられるような育ち方はしていなかった。 「ご気分はいかがですか?」  やさしい問いかけに、白雪はぼんやりしながら、自分が何をしていたかを思い出そうとした。だが、そうすると腹だけでなく頭も鈍く痛んだ。 「わたし、……どうしたの?」 「お倒れになられたのです。侍者の方々のお怪我を治されていたと伺ったので、お疲れになったのでしょう。それに、その、……姫さまには、月がいらしたのです」  その言い回しに、白雪は何のことかと戸惑った。しかし、身を起こそうとしてとたんに腹部にはしった激痛に、初潮が訪れたのだと察する。痛覚が意識を完全に回復させ、下肢の違和感にも気づいた。 「手当てをしてくれたのは、夏乃さん?」  恐る恐る尋ねると、 「もちろんです。他の者に姫さまの御身をふれさせるわけにはまいりません」と、夏乃は答えた。  白雪はそろりと起き上がった。僅かでも身動ぐたびにずきずきと痛みを訴える腹部に手を当てる。 「ありがとう。……話には聞いていたけれど、本当にとても痛いのね」  子どもを産む女性の身体機能や、そのために月の影響を受けて訪れる月経について、白雪はつい最近までまったく無知だった。  男親と旅をしていたのだから何も知らなくても仕方がないと、知識を与えてくれた琥珀にはとりなされたが、それにしても不思議なほどに白雪は何も知らなかった。女性だけでなく、男性の体のつくりもまったく知らなかったし、どちらにも興味を持っていなかったのだ。 「薬湯をお持ちしますか」 「いいわ、それよりわたし、行かなくちゃ」 「行くとは、どちらへ」  白雪がよろよろと寝台を降りようとすると、夏乃が慌てて止める。 「祥琳さまのところへ、……祥琳さまに、静玄さまは何も関係ないって、お伝えしなければ」 「あの方なら、お国にお戻りになられました」  夏乃は、逸る白雪をなだめる。「姫さまはまる一日お眠りだったのです。そのあいだに、他国の方々は水鏡を使ってみな出国されました」 「では、静玄さまは、……咎められずに済んだの?」 「あの方は姫さまの命がありましたから、誰にも咎め立てはできません。姫さまは、陛下に次ぐ聖なる位にお就きなのですから」  白雪はその言葉に安堵よりも驚愕を覚えて、目を大きく瞠った。  確かに自分は斎宮となった。しかし、斎宮がそれほどまでに権力を持つ地位であるとは、白雪は実感していなかったのである。  静玄の身柄が拘束されずに済んだのは安心したが、それが自分の言葉によるものかと思うと、胸の裡が冷えるような気がした。  自分の言葉ひとつで、人の立場が左右される…… 「姫さまがお目ざめになったら、黒曜さまがご報告したいことがあるとおっしゃってました」 「黒曜が?」  茫然としていた白雪は、夏乃の言葉で我に返った。そこで初めて、自分の近くに千白の気配がまったくないことに気づく。  傷だらけになった千白を運んだのは黒曜だから、そのことについての報告だろう。 「騎士さま方は、姫さまを心配なさっていました。今はそれぞれのお仕事に戻ってらっしゃいますが、いつでも呼んでくれれば駆けつけるとおっしゃっていましたよ」  白雪は寝台の上でうなだれた。 「……みんなを呼ぶ必要はないわ。黒曜だけで、いいです」  黒曜の穏やかなあたたかみが、今の自分にはとても必要な気がしていた。