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作者:仲村つばき,加々見絵里
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-12-21(Enterbrain)
价格:¥600 原版
文库:Bs-Log文库

代购:lumagic.taobao.com
杖と林檎の秘密結婚 神に捧げる恋の一皿 杖と林檎の秘密結婚 神に捧げる恋の一皿 仲村つばき 電子版 ビーズログ文庫 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載したりすることを禁止します。また、 本作品の内容は、底本発行時の取材・執筆内容に基づきます。  目次 第一章 第二章 第三章 第四章 あとがき プロフィール  酒は神をも狂わせる。  神様の酔狂を愛しなさい。  いつ、誰が言いだしたかわからない。だがこの言葉は、豊穣を願う挨拶としてお決まりの文句となった。  無事に作物が育つかどうか、海で収穫にあやかれるかどうか、すべては神様の気分次第。このトリア国の天空と地底にはさまざまな神様が住んでいて、人の生き様を見守っている。そしてときには、手をさしのべてくださる──。その伝説を信じ、人々は四季が訪れるたび、祝いごとがあるたび、そして立ち上がれぬほどの不幸があるたびに、神に供物を捧げて祈り続けた。  潮風が少女の赤い前髪をすくって、緑がかった金の瞳をあらわにさせた。彼女はむっつりとした顔で、防波堤のへりに座って、足をぶらぶらさせている。  少女が見下ろすこの港町ハールーンは、貿易のさかんな交易都市である。  がやがやとした市場をぬうように歩けば、見えてくるのは太陽の恵みをたっぷりと受けた野菜や果物、街の果てにある港へ出れば、潮の香りと新鮮な魚貝をあぶるにおい。  海に出る男も、畑を守る女も、みなが愛するのは喉を潤す熱い酒。  次々と港に到着する船からおろされるのは、みなが待ち望んだ新鮮な海の幸だ。  この街を守護する神、星の英雄神ハーキュリーズにあやかって、ハールーンの漁師たちの船には英雄神のシンボルである、弓と棍棒を模した銅飾りがつけられている。  星領の地ハールーン。船が迷子になったとしても、星の導きでこの地まで帰ってこられるように。 「よかった。今日も船は帰ってきた……」  少女はぽつりとつぶやいた。燃えるような赤い髪を三つ編みにして後ろにたらし、着古した労働者用の緑のドレスを着て、険しい顔で船を見つめていた。  バスケットから飛び出した携帯用の水筒の蓋をあけ、それを高台のへりに置くと、つんとしたアルコールのにおいがただよう。神様に捧げる酒だ。  今朝出た船は、すべて戻ってきた。けれどそれ以前の船は、まだ戻っていない──。 (ハーキュリーズ神よ。どうか星々の導きで、父さんの船をこの港に戻してください)  船乗りが無事に帰ってくることは当たり前ではない。ときには祈りが届かず、船が戻ってこないこともある。  看過できない不吉な陰が、この港を飲みこもうとしている気がする──。  すべての荷がおろされたのを見届けると、少女──アップル・クロウは、ぱんっと両手で頰を叩いた。 「よしっ、気分切り替え! 仕事仕事!」  アップルは水筒をくるりと回転させて空と地上、それぞれに舞わせた。お酒の半分を天空と地下の神に捧げる。祈りが終わった後の酒の処理の仕方だ。そして水筒に残ったもう半分は、自分が飲む。これで神様とお酒を酌み交わしたことになるのである。  酒豪も顔をしかめるくらいの特別に強いウォッカを、アップルはごきゅりと喉を鳴らして飲み干した。  かーっ、と声をあげて、くちびるをぬぐう。 「今日は絶対にいい材料を手に入れてみせる。お店のためにね」  せりのときには気合いを入れるために一杯ひっかけていくのが、彼女の日課だった。アップルは石造りの階段をとたたと軽快にかけ下りて、せり場まで一直線に向かった。酒が入っても足取りは乱れない。海風が三つ編みをすくい、毛先まできれいに通ってゆく。  白いエプロンのポケットがごそごそと動いて、アップルは「あら、あなたいたの」と足踏みをした。  実のところ、神様は本当にいる──と彼女は思う。迷信ではなく。  神々が国を支配していたと伝えられる時代から、すでに千五百年以上のときが経過している。神はすっかりただの象徴となり果てたが、アップルは神様の存在を信じていた。  否、信じざるをえなかった。  きらきらと輝く粉をまき散らしながらポケットから飛び出したのは、こびとだった。小さな白いシャツとこげ茶のベストを着たこびとだ。ときおり葡萄の蔓のようなものを使って、アップルのポケットや肩を上り下りしている。立派なひげを生やしているので、男のこびとだろう。アップルのことを見上げてにかっと笑ってみせる。 (だって、この子は私にしか見えないけれど──。やっぱり神様とか、精霊のたぐいかもって思うんだよね)  なにしろ、供物のお酒と食事をよく食べる。 「しょうがないなぁ。お酒は全部飲んじゃったよ。水筒ふたつめね」  水筒の蓋にとくとくとウォッカをそそぐと、アップルはこびとの前に差し出した。彼は蓋を持ち上げて美酒を味わう。 「ねえ、あなたが本当に神の使いなら──ハーキュリーズ神に伝えてくれない? 今とっても困ってるの、一家の危機なのって──」  こびとは一心不乱に酒を飲み、アップルの話など聞いていない。彼女はふうとため息をついて、こびとが飲み終わった蓋をつまむと、水筒をしめた。 「よし、景気づけ終わり。せりに行こう」  アップルはにぎやかなせり場へ、足を向けた。  腕を組んで、かごに入った魚介類を見下ろす。旬の鯛チプーラやイカ、堅く閉じたムール貝。  なんといっても目をひくのがカツオだ。擂り身にしてつくねにしてもおいしいし、トマトをたっぷり加えて煮こんでもいい。小ぶりのタマネギとワイン、お酢と一緒にじっくりと煮こむのだ。調理の選択肢が広がる食材である。  値札にちらりと目をやる。やはりだ。どれもが、いつもに比べて高値になっていた。そのわりにかごの中味は少ない……。 (けどっ……。妥協はしない! お客様においしいものを食べてもらうためには!)  アップルは最初から目をつけていた、半透明のエビをじっと見つめた。ぴちぴちと跳ねているエビはとてもいきがいい。港の近くに店を構えるなら、料理は鮮度が売りだ。今夜のメインはこれで決まり。  アップルはウォッカを口に含んでから、エビがしこたま詰まったかごを指さした。 「おじさん! これ百リールで!」 「だめだ、二百だ。百じゃ売れない、これだけの量だぞ?」 「百十五」 「いいや、せめて百九十」 「百三十。ねえ~おまけしてよ、お店の品数が少なくなっちゃって……このままじゃ客離れしちゃう!」 「酒くさっ」  アップルが食い気味に体を近づけたので、競売人は鼻をつまんでおののいた。彼女は口をふくらませる。 「おじさんだって飲んでるでしょう~」  この街で働く者にとって、酒は動力源だ。 「とにかくおまけは無理だよ無理。ここ最近の悪天候で多くの魚が干上がっちまったんだ。魚の価格はここ数日で数倍にまであがっちまってるんだよ。戻ってこない船だってあるっていうのに……」  あっ、と漁師は口元を押さえた。 「すまん、あんたの親父さんも船に乗ってたんだったな」 「いいの。捜索隊だって、あきらめずに何度も船を出してくれているし……」  アップルは顔に出たかげりをあわててひっこめた。  ハールーンは、ここ五十年例がないと言われるほどのめちゃくちゃな天候に悩まされていた。  先日起こった突然のしけもそのひとつ。漁師の父を乗せた船はまたたくまにどこかへ消えてしまい、その後見つかっていない。  今こうして暖かな日差しを浴びていても、数分後には突然の大雨、なんてことはざらにあった。 「畑も嵐で全滅か。どうしちまったんだろうね。神様の加護を祈るしかないな」  アップルはちらりと足下を見やった。  ひげ面のこびとが、ころころと転がっている。次の目当てはきっとエビ料理だ。 「さんざん祈りはしたんだけどね。まだ足りないのかな」 「ははっ、神様にお祈りするならうまい酒と食事を捧げないと。わかったよ、俺からも祈ろう。エビは百リールだ」 「おじさん、ほんとっ!?」 「うまいメシを作って神様に捧げな。大丈夫、親父さんもすぐに帰ってくるさ」 「やったー! ありがとう! 『バッカス』に来てね。このエビをおいしく料理するから」  万歳してエビを受け取る。おいしそうだ。このままさっと岩塩につけて、麦酒ビールをがつっと飲みながら午後を過ごせたらどんなにいいだろう。それかやっぱり火であぶるか……。やわらかくてほくほくの身を口の中でほぐすようにして食べるのもいい。  アップルはいつでもおいしい料理とお酒を用意して、父を待つことにしたのだ。いやあ、大変な目に遭ったよ、なにか食わせてくれ──。きっとそう言いながら父は帰ってくると。 「おーい、アップル、飲んでるかー!?」  顔なじみの漁師たちが手をふっている。 「なによ、また賭けー?」 「負けそうなんだよ、助っ人頼む! 十リールだ十リール!」  不安定な天候のおかげで、漁師たちは最低限の獲物をとった後は早々に帰港し暇をつぶしていた。最近の彼らは賭け飲みばかりだ。においを嗅いだだけで目が回るほどの強い火酒をいっき飲みし続けて、倒れずに立っていられた方が勝ち。 「乗った!」  どうやら相手はアップルの「特技」を知らないらしい。小娘に助っ人を頼むなんて、と鼻白んでいる。 「エビが生きている間に終わらせてあげる。この私が、飲み比べで負けるわけない! 臨時収入いただき!」  ドレスをひるがえして、アップルは走りだした。  アップルが腕まくりをして、日課となりつつある賭け飲み比べに参戦を決めたとき、ひとりの男が港にふらりと現れた。おろしたてのぱりっとしたシャツにこげ茶のスラックスを穿き、えんじの帽子をかぶった若い男である。手にはなぜか、縦にぱっくりと割れた杖を持っている。 「……あの子たちはなにを?」 「ああ、飲み比べだね。でもアップルがいるなら参加はやめておいた方がいい。裏通りの酒場の看板娘だよ。あの子の内臓は並大抵じゃない」  ほどなくして、悲鳴があがった。少女ではなく男の野太い悲鳴だ。 「……そのようだね」  帽子をとると、男は薄く笑った。さらりとした金髪が太陽の光を反射して、漁師は一瞬目をすがめた。このあたりでは珍しい、色白の男である。働き者のハールーンの民は、みなよく日に焼けているものだが、目の前の男は家で繕い物ばかりしている少女のような肌の色であった。  男は海水で濡れた地面を踏みしだくようにして、歩きだした。  彼の靴の裏からぴりっと、細い光が伸びて、漁師は目を丸くした。 「お兄さん、足から──」  くちびるに指先を当てて、男はしっと口止めをする。  不思議な杖をずるずると引きずって、彼は歩みを進めた。縦に割れたその杖は、ざくろを割ったようないびつな見た目をしている。割れ目の木片がぎざぎざととがって、いかにも危なっかしい。  男は杖の先をかんかんと地面に打ちつけながら、のんびりと歩いてゆく。 「なんだあ、あれ。魔法使いごっこかねえ」  漁師がため息をついた。次の瞬間、目を見張った。  男の手から、杖があとかたもなく消えている。どこかに置いた形跡もなく、先ほどと変わらぬ足取りで、男は賭け卓を目指して歩き続けていた。漁師は目をこすったが、やはり男は手ぶらであった。  杖を持っていたはずの若い男は、アップルの姿を上から下までじっくりと観察した。  瞳は大きく、緑がかった金色が印象深い。朝靄のかかる森のようだ。年頃なのに化粧っ気もないので地味に見えたが、手を加えればいくらでも化けそうな顔立ちだ。 「なに? お兄さん、途中参加するの?」  アップルは、生意気な口調でたずねてくる。  ──間違いない。彼女だ。  男は心の中でつぶやいた。  ぴりぴりと、全身の血液をはじくように、見えない稲妻が己を包んでゆく。 「……参加しようかな。君と一対一で」  おお、と場が沸く。彼女のかたわらではすでにひとりの大男がつぶされている。この惨状を見ての挑戦とあらば、よほど自信があると思われているに違いない。  男は上着の懐に手を入れると、財布を取り出し、賭け卓に放り投げた。男たちが中身をたしかめれば、ぎょっとするほどの大金が顔を出した。 「どうだい。いくら異常気象といっても、これがあれば酒の肴には困らないんじゃないか? この港中の魚を買って、近くの酒屋からいくらでも酒を持ってくればいい」 「……本気で言ってるの?」 「もちろん本気だ。君が勝ったら、僕のすべてを君に捧げよう」  闖入者のおかげで場はしんとしたものの、すぐに沸き立った。  彼女のかたわらで、半透明のエビが一匹、ぴょんと跳ねて動かなくなった。 「あれほど賭け飲みはやめなさいと言ったよな。お兄ちゃんの言うことが聞けないのはなんでだ、ん?」 「す、すみません……」  アップルがしおしおと謝ると、居酒屋『バッカス』の店主、クリス・クロウは腕を組んで続けた。 「お前のすみませんは聞き飽きました。男に交じって賭け飲みなんて、嫁の貰い手がなくなるぞ!」  兄の眉間にしわがよったのを見計らって、アップルは口を閉ざした。  嫁の貰い手がないというのは、なにもお酒のせいだけとは限らないわけで……。  今も彼女の肩に乗っているこびとも、同じようにうつむいていた。  彼がずり落ちそうになったので、アップルはあわてて手を添える。  兄はアップルの動きをいぶかしんだが、いつもの妙な癖が出たと思ったのだろう。後ろ頭をかく。 「あー、とにかく、もう賭け飲みはやめだぞ。うちの営業が危ないからってお前が無理する必要はどこにもないんだからな」  兄は、アップルが精神的に不安定になるとおかしな癖が出ると思っているのだ。ひとりごとを言ったり、肩の上やエプロンのポケットを気にしてみたり……。 (そうだよね。初めて言ったときはお兄ちゃん困惑していたし)  ──お兄ちゃん、見て見て。小さな人がいる!  幼いアップルは酒樽の上を指さして言った。当時の兄は困った顔をするばかりで、「けしてそんなことをほかの人に言ってはいけないよ」とアップルにきつく言い聞かせたのだった。  アップルはまだ子どもだったから、取り繕うということを知らなかった。こびとを見て見ぬふりをすることがどうしても難しかったのだ。  おかげで、母親代わりにアップルの面倒を見ていた兄には迷惑をかけてしまっていた。見えないこびとを追いかけるアップルの奇行はこのあたりでは有名になってしまったのだ。  こびとなんて、気味が悪い──などと言われて。 (私以外の人にこびとは見えない……。でも、きっとこのこびとはいいこびとだと思う)  アップルがこびとを見るようになったのは、幼いときに高熱を患ってからだった。三日三晩の苦しみを耐え抜くと、彼女の世界は変化していたのだ。  だがこびとが悪さをしているところなど見たことないし、父を漁に送り出して寂しいときや、母を病で亡くしてつらい思いをしていたとき、黙ってアップルのそばにいてくれた。それに加え、お店はみるみる繁盛しだしたのだ。  あれが見えるようになってから、アップルの実家の居酒屋「バッカス」は料理人の母が亡くなったにもかかわらずひっきりなしに客が入るようになった。  港町には多くの酒場があったが、店主が腰を痛めて引退したり、店が老朽化したために家族ごと引っ越してしまったりして、人気の店は軒並みつぶれてしまったのである。  そこで路地裏の目立たぬ場所にある「バッカス」までお客さんが流れてきて、ときには店内に入りきらず、椅子とテーブルを外へ運び出して席を設けなくてはならないほどだった。  いつも酒樽の上にいるこびとを見てアップルはぴんときた。  ──もしかして、お酒の神様「バッカス」って、この子のことを指すのでは。  お店の名前の由来となったバッカスは、酒と酩酊の神様。このこびとはお酒が好きだし、いつも酒の肴をおいしそうに食べている。ハールーンではバッカス神のことを別名の「ディオニューソス」と呼んでいるので、彼女はこびとをそう呼ぶことに決めた。それから静かに、神様を見守っている。  幼い頃はこの目のおかげでとても苦労したものだが、今ではちょっとおかしな動きをしたって、酔っていると思われておしまいだ。大人とは楽なものである。  アップルが常に酒を持ち歩き、おいしいものを見つけるためにちびちびとやっているのも、趣味と実益をかねた「私実は酔っているんです、すみません」というアピールのためなのだ。仕方なく。身を切られる思いで。あくまでも神様のために……おいしいお酒をいただいている……のである! (それにしても、神様がいてくださるならなぜお父さんは戻らないのかな。早くおかえりって言いたいのに……)  アップルが悩みこんでいると、クリスが肩を叩いた。 「で、どうすんだこれ」  アップルの兄が指さしたのは、金髪の青年だった。青い顔をして客用のソファに横たわっている。  そういえば、忘れていた……。  賭け飲みの際に突然乱入してきた、謎の男……。  あどけない顔で寝ているが、アップルよりは年上だろう。白磁のような肌をしていて、髪だけでなくまつ毛までけぶるような金色である。まるでよくできた人形を見ているようであった。 (なんでぜんぜんお酒飲めないのに賭けになんて参加したんだか。これじゃあ勝ってくれって言っているようなものじゃない……?)  そう、男は財布を放り投げると、開始数秒後には撃沈していた。アルコールのにおいを嗅いだだけで卒倒だった。賭けのテーブルを囲んでいた男たちはみなあっけにとられていたが、やがて誰かが立ち上がり、男を介抱し始めた。  話しかけても揺すってもうんともすんとも言わないので、アップルはつぶした責任をとって、男を持ち帰ってきたのだ。港の男たちにバッカスまで運んでもらって、兄に大目玉を食らってしまった。  男は寝息をたてたままびくともしない。失神してそのまま寝入ったらしい。下手に起こすより放っておいた方がいいだろう。 「どうせ酔っぱらって持ち帰ってきたんだろう。ちょっとは自分の評判に響くとか考えられないのか!」 「うっ、す、すみません」  たしかに「ま~うちへ持って帰ればいっか!」と、なにが「いっか!」なのかわからないとっさの判断でお持ち帰りを決断してしまった。酒の勢いとはいえ怖すぎる。 「まったく、自分でなんとかしなさい。兄ちゃんはもう仕込みするからな」  アップルは急いで厨房へ向かう。兄の機嫌をとるべく、仕込みの手伝いをするためだ。  先ほど仕入れたエビに小麦粉をまぶしておく。兄はこれを素揚げして、塩をまぶして提供することにしたらしい。ぱちぱちと爆ぜる油にエビを落として、からっと揚げる。衣は少なめにして、新鮮なエビの歯ごたえを楽しめるようにしておく。  これと麦酒をいくつもブレンドしたタールがあれば、仕事の疲れを癒しに来たお客様も大喜びの初めの一杯となる。  最初に揚げた一匹をアップルのためにとりわけておいてくれる兄は、なんだかんだ言っても彼女に甘い。  アップルははふはふと、口の中で跳ねるほど熱いエビを咀嚼する。  歯でエビを嚙みちぎると、熱くぷりっとした抵抗があって、塩と絡み合った身のうまみが舌に散り広がる。  嚙みほぐすたびに味わう弾力に舌鼓を打って、アップルは目を閉じる。思い浮かべるのはハールーンの荒い海。荒波にもまれた魚介は、シンプルな味つけが一番おいしい。 「あつあつぷりぷり、しょっぱくておいしい」 「時間加減は覚えた?」 「くぐらせるくらいで丁度いい」 「それでよし」  兄はいつも最初のひと品を作るとき、アップルに必ず工程を見させて、味見をさせる。彼のおかげでアップルはめきめきと料理の腕をあげた。  今では兄に代わって厨房に立つこともしょっちゅうだ。  船酔い体質で漁師に向かなかった兄だが、その代わりたくさんの料理をおぼえて、ていねいに教えてくれた。  アップルも料理は好きだ。だってお酒がおいしくなるから……。  仕入れのときにお酒を入れていくのも、「飲みたい気分」が「おいしい料理」を生み出す最高のスパイスだということを知ったからだ。  十五歳で成人してから少しずつ、確実に体重が増えてしまっているので、ほどほどにしなくてはならないが。どうして酒を入れると食が進むのだろう……。  アップルは揚げたてのエビを皿に載せて、兄の切ったレモンを手早く添えると、祭壇に飾った。  開店前に、豊穣の神ディオニューソスに祈りを捧げる。これはふたりの日課だった。  アップルは貯蔵棚からカシスのリキュールと白ワインを取り出す。  甘いカシスと辛みのある白ワインを混ぜた、口当たりのいいカクテルを作るのだ。  そのまま飲むにはあまりにも渋すぎるワインを使うのがこつである。辛みの強いワインと、カシスの濃厚な甘さが混ざり合って、魅力的なほど甘酸っぱいワインカクテルができあがる。  これにさくらんぼのブランデーやオレンジジュースを加えると女性好みの味になるが、今はシンプルな材料をかき混ぜるだけにとどめる。 「酒の神ディオニューソスよ、私たちに恵みの加護をお与えください」  小さなディオニューソスは祭壇の酒をぺろぺろとなめている。頰を赤くして、満足そうな様子にほっとした。  アップルはいつもより念入りに祈りを捧げた。  酒は神をも狂わせる。  神様の酔狂を愛しなさい。  トリア国にはさまざまな神様がいて、人間を見守っている。そしてときたま気まぐれに、特別な力を授けてくれる。  不老不死の酒・薬酒ネクタールと、魂の食物アンブローシアを気に入ってくれたなら、神様はその人を「魔法使い」にしてくれるんだって……。 (父さん、よく言ってたっけ……)  兄がキッチンに戻ってからも、しばし祭壇をながめてぼんやりとしていると、ソファの方からくぐもった声が聞こえる。 「信心深いんだね」  アップルははっとした。  そういえば、あの失神男。連れ帰ってきていたのだった。  ふわふわの金髪を押さえて、すっかり色を失った白いくちびるで「水をもらいたいんだけど……」とつぶやく彼。アップルは急いで水を汲んで、手渡した。 「お兄さん、大丈夫? 飲んですぐに倒れたから私、酒に毒でも入っていたのかと」 「毒のようにツンとしたにおいはしたけど……」 「あれはアルコールのにおいだから」  アップルはあれ、と男を上から下までじろじろとながめた。  えんじ色の帽子に、コットン地の白いシャツと、こげ茶色のズボン。このあたりではよく見る労働者階級の男が身に着ける服装だが、どれもがおろしたてのように生地がぴしっとしていてきれいだ。よく見れば靴もきれいに磨いてあって、泥はねひとつない。 「全身ぴかぴかみたいだけれど、この土地の人じゃないよね。最近近くの神殿を見に来る旅行者が増えたって聞いたけど」  ハールーン港に住む人たちはみんな物を大事にするので、めったに新しい服をおろすことはない。それでも若い女の子たちは新しいドレスや靴に興味津々で、貴族のお嬢様のようなふわふわのドレスに憧れる子ばかりだが……。 「いいや、僕は旅行者じゃない。君はドレスを新調しないの? 見たところ、ぼろぼろみたいだけど」  アップルは若干かちんときながらも、ついと顎をそらした。言われなくとも、ドレスがくたびれてきたことくらい承知である。 「おあいにく、魔法使いの家の娘じゃないですからね」  この国に伝わる有名なおとぎ話だ。  神様は気に入った供物を捧げた人間に杖と共に特別な力を与える。その人は「魔法使い」と呼ばれ、その土地を導く特別な存在になる──。  そうしてこの国の人間たちの中から、魔法使いという名の「統治者」が選ばれた。統治者たちは人々をまとめ、神と手をとり合い、よき地を作り上げてきたのだという。  や