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作者:日高砂羽,くまの柚子
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-11-02(集英社)
价格:¥605 原版
文库:Cobalt文库

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手塚先生の恋愛指南 恋に堕ちたら赤点です! 集英社eコバルト文庫 手塚先生の恋愛指南 恋に堕ちたら赤点です! 日高砂羽 この本は縦書きでレイアウトされています。 手塚先生の恋愛指南 恋に堕ちたら赤点です! 目 次 一時間目 恋の罠にはご用心! 二時間目 課外授業は危険がいっぱい! 三時間目 高校教師VS同人作家 四時間目 プロポーズは花火の下で! 放 課 後 恋の予行練習 あとがき イラスト/くまの柚子  一時間目 恋の罠にご用心!  初夏のまばゆい陽光を浴びた赤煉瓦の瀟洒な学舎。  うら若き乙女の集う女学院の二階廊下は、授業中のためか深い森の中のようにひっそりとしている。その静寂をひとりの少女の軽やかな足音がかき乱していた。 (急がなきゃ)  海老茶袴の裾を大胆に揺らし、草履を鳴らして磨き込まれた飴色の床をリズミカルに蹴っていく。  感情を豊かにあらわす黒目がちな双眸を今は大きく開き、珊瑚色の唇をきりりと結んで教室の引き戸を開けた。  窓に近寄れば、下には二十人ばかりの学友の姿。一様に指をさし、あるいは手を振っている。  環は窓を開いた。それから腰までの高さの桟にえいやっとまたがる。 「環さん! 危ないわっ!」  学友の悲鳴などものともせず、教室側に残した足を窓の外に抜いて――腰かけた体勢をとる。 「いやー! 環さーん!」 「おやめになってー!」  海老茶袴の少女たちがあげる悲鳴は天地がひっくり返ったみたいに悲愴極まりない。  環は大きく息を吸った。 「参ります!」  敵討ちに挑むような気合いを入れて、宙に飛んだ。艶やかな黒髪が、桃色の幅広リボンが風に躍る。危うく地面と激突というところで、影がひとつ滑り込んだ。環を華麗に抱きとめる。 「大丈夫かい?」  茶水晶の瞳に正面から見つめられて、息が止まりそうになった。瞬きさえ忘れてしまう。 (なんて麗しいのかしら……)  環を救ったのは古代の英雄を模った彫刻のように完璧に整った容姿の美青年だった。  さわり心地のよさそうな栗色の髪にすっと通った鼻筋。薄い唇は冷ややかなほどに涼しげな目とあいまって美貌を冴えわたらせる。白シャツにダークグレーの背広姿も凜々しい青年は、熱いため息をもらした。 「なんて美しい……君は天女かい?」  乙女が空から降ってくるという珍事にも動じない青年は、環をきつく抱きしめた。背中に絡んだ腕が火傷しそうに熱い。身じろぎすると、青年は環を抱く手にいっそう力を込めた。頰にあたる胸の感触はたくましくて、とても逃れられそうにない――どころか逃げたくないなんて思ってしまう。 「ここで君と出会ったのは、きっと運命だね。いや、天が定めた宿命と言っていい。空から舞い降りた麗しい佳人よ。君は僕への贈り物だと思っていいかい?」  深みのある声が耳に心地よく、爽やかな香水の香りが頭の中を霞ませていく。 (いけないわ、環……)  そう思いながらも、己の腕が彼の背に回ろうとして――危ういところで我を取り戻す。 「て、天女じゃありません」 「いや、天女だ。こんなに可憐な乙女が只人であるわけがない。きっと羽衣をなくしてしまったんだね」  そこでくいっと頤を持ち上げられた。 「教えてくれ、芳しい牡丹のごとき天人よ。宝玉にも等しい君の名を」  視線がまるでもつれた糸のように絡まる。茶水晶の瞳に射貫かれると、身体どころか心まで丸裸にされてしまいそうだ。魂までも縛りつけるような強い眼力に屈服しそうになり――だが、渾身の自制心でそれを振り切ると、彼をにらんで突き飛ばした! 「おやめになって!」  ぴしりと空気が凍りつき――それから割れんばかりの拍手が轟いた。 「すごいわ、環さん!」 「氷結の魔女――手塚先生が放つまなざしという名の呪縛にも屈しないなんてっ!」 「そうよ、乙女を痺れさせる手塚先生のまなざし――フグ毒もかくやという麻痺力を振りきるなんて!」  大げさすぎる称賛におののき、頰をひきつらせていると、目の前の青年も満足げにうなずきながら手を叩いた。 「取り付く島のない断りよう――合格だ! 弓原くん!」 「誠司お兄さま……じゃなかった、手塚先生、ありがとうございます」  いつものお転婆はどこへやら、お淑やかに一礼する環に微笑む誠司お兄さまこと手塚先生は、乙女たちを見渡して声を張り上げた。 「今見たように、乙女の窮地に駆けつけて颯爽と救出し、君たちが気を許した隙をついて口説き落とそうとする不埒な男が世の中には流しの下のゴキブリのようにうじゃうじゃしている」 「なんて不潔なっ!」  乙女たちがそろって眉をひそめる。環も義憤にかられて、ついこぶしを握りしめる。  激情にかられた女生徒たちに反し、誠司は冷静そのもの。乙女の怒りに氷水をぶちまけるように指導を続ける。 「ここ数か月、〝恋愛指南〟の授業を経験した君たちならば理解しているはずだ。そんな卑劣漢にどう対処するべきか――」 「「およしになってとつっぱねます!」」  高らかに唱和する生徒たちに、誠司は満足そうにうなずいた。 〝氷結の魔女〟という二つ名を奉られるに相応しい冷ややかなまなざしの底には、生徒を導く教師としての情熱が確かに揺らめいている。 「よろしい。乙女のピンチを助けられたからといって、その男は決して運命の相手ではない。偶然と運命を混同し、恋の衝動に軽々しく身をゆだねてはならないのだ。真心を捧げる相手は慎重に慎重を期して選ばねばならない……!」  凍える焰のごとき冷たくも熱い誠司の視線を浴びて、少女たちはときめきに身を焼かれながら誓いを立てる。 「「悪い男には騙されません! 恋の罠にはご用心!」」  海老茶乙女の誓約が帝都・藤京の雲ひとつない蒼穹に吸い込まれていった。  文明開化の嵐が遠く過ぎ去りし帝都・藤京は春爛漫のような平和を謳歌していた。  短髪のモダンガールと銘仙姿の大和撫子が百貨店に集い、人力車と外国製の四輪車が電燈の下を並走する。カフェーの女給さんが誇らしげにエプロンをひるがえす姿も珍しくなくなり、外国の映画がひっきりなしにスクリーンを騒がせる。  そんな賑やかな帝都の中心、洋館の立ち並ぶ一角に私立桃園高等女学院――通称桃女があった。 『新時代ニ相応シイ自立シタ乙女ヲ養成ス』という学院創立のスローガンに惹かれた十六から十八の少女たちが集う学舎には、他の女学校にはない特色ある授業があり、近隣女学生の噂になるほどだった。  その授業の名は〝恋愛指南〟。  社会に出た女生徒たちが悪い男にうかうかと騙されないように、ありとあらゆる〝うっかり恋に落ちちゃうシチュエーション〟を教師たちが実践指導し、口説かれ免疫を乙女たちの身につけさせた上で、不埒な誘惑をきっぱりと断れるようになることが目的の授業である。  二年生に進級してから始まるこの授業では、選りすぐりの超絶美形教師陣が手を替え品を替え、可憐な女生徒たちを口説き落とさんとするのであった。  その日、環が二階から飛び降りるという破天荒な真似をしたのも、〝高所から落ちたところを助けられ、ドキッ! もしかしてこのときめきは恋?〟というシチュエーションを再現するためであり、そんな状況下においても口説き文句を一刀両断できるようになるためである。  この桃女名物〝恋愛指南〟の授業は大がかりなものばかりではなかった。  学院内にいるかぎり、乙女たちにはあらゆる〝うっかり恋に落ちちゃうシチュエーション〟という名の罠が教師陣から仕掛けられる。 『恋の種は時も場所も問わずに蒔かれるからです』というのが女生徒たちになされた説明である。 「乙女の皆さま。学院内にいる限り、ご油断は禁物! いつどこで恋の罠に落とされるかわからなくてよ」  それは桃女に入学した女生徒たちが、上級生のお姉さまがたから学ぶ最重要の申し送りなのであった。  カランカランと終業の鐘が鳴り響く。  環は家政科準備室から外を見やった。  夕暮れの光が門庭を朱色に染める。植えられた桜の木の緑が青々としてひどく鮮やかだ。  校門までの道すがら、少女たちが「ごきげんよう」「また明日」と矢絣の袖を振り合う。  自転車にまたがり潑剌と門を抜ける娘に、自動車から降りた運転手に恭しく迎えられるお嬢さま。 「環、手がお留守になっているよ」 「あらら、ごめんなさい、お兄さま」  環はあわてて手元に集中する。  誠司と挟んだ長机の上には縫いかけの浴衣。  水色の絽の生地には真紅の金魚がゆらゆら尾を引きながら泳いでいる。  環は気を取り直すと、針をぶすっと通した。身頃と袖の間を走る縫い目は酒に酔ったミミズみたいにのたうっている。 「いつになったらその浴衣は縫い終わるんだろうね。この調子だと夏が過ぎてしまいそうだよ」  家政科教師の誠司は半衿に撫子を刺繡しながら憂い顔になる。長い睫毛が滑らかな肌に濃く影を落として、なんとも麗しい。 (何をしていても完璧な美男子だわ、お兄さま……!)  針を操り刺繡をしていても、竹筒を使って竈の火に息を吹きかけていても、その美男子ぶりにはいささかの曇りもない。いや、男ぶりはいや増すばかりだ。 (家事をしているお兄さまは、どうしてこんなにも美しいのかしら)  今も全身からは最高の男だけが持つ自信満々の美形オーラが放出されている。まともに浴びていては、ひとたまりもないまばゆさだ。  うっとりと見とれそうになり、すぐに活を入れた。  学院内においては、いくら昔なじみの誠司の前だからといっても、決して弛緩してはならないのだ。 「だ、大丈夫よ、お兄さま。夏休みに入るまでには終わるはず……なんだから!」  二年生になってすぐの裁縫の授業で出された課題は浴衣づくり。学友のみんながとっくに提出した課題と環はまだ格闘している。 「衿が終わったら、裾を縫っておしまい……少し時間がかかるけれど、もう少しで完成なんだから」  なぜか千鳥足になる縫い目に悪戦苦闘しながら右手の針を動かしていると、誠司がそっと手を伸ばして、環の手に重ねる。骨ばった手は環の手をすっかり隠してしまうほどに大きくて力強い。 「針の持ち方を正しく。前にも言ったが、指貫の中央の溝に針の頭をあて、親指と人差し指を伸ばし、指先をそろえて針を持つんだよ。それから小刻みに動かす」 「は、はい」  誠司のぬくもりに心拍数が一気に上昇する。  冷たく整った美貌の誠司から一心に見つめられると、これが指導のためだとわかっていても、ときめきがぐんぐん膨れ上がって天に舞い上がりそうになってしまう。 (お兄さまが視界に入ると、昔からこうなのだわ)  没落士族の弓原家のせせこましい平屋の隣には、白く輝く大豪邸が建っている。広い敷地には四季折々に花を咲かせる緑豊かな庭があり、中心部には象牙色に塗られた木造二階建ての洋館が蔦や花の精緻な装飾をまとって堂々と建っている。落ち着いた雰囲気の書院風の和館や宿泊客用の離れまであり、その豪華なことといったら、帝都でも五指に入ると評されるほどだそうだ。  そこが手塚伯爵家の本邸で、庶民はうかうかと近寄れないところなのだと知ったのは、環が十を超えるか超えないかというころだろうか。幼いときは手塚家が貴族院に議席を持つ華族さまであることも商社を営み資産家として名高いことも知らず、誠司のことは『いつも遊んでくれるお隣のお兄しゃま』と思っていたし、誠司も環のことを『僕のかわいい妖精』なんて言いながら遊んでくれたものだった。 『環は大きくなったらお兄しゃまのお嫁さんになるの』なんて一世一代の告白をしたのは、真紅の薔薇が咲き乱れる手塚邸の薔薇園だった。あのとき、八歳の環は背伸びをして十六の誠司の耳に滾る想いを打ち明けたけれど、九年たった今では、そんな子どもの戯言など〝手塚先生〟は忘れてしまったに違いない。 (わたしったら、臆面もなく恥ずかしいことを言っちゃったわっ)  手塚のご両親からは、『誠司は果報者だよ。環ちゃんみたいな可憐なお嫁さんをもらえるんだから』とか『環ちゃん、誠司をお願いね。棄てたりしたら末代まで呪うわよ』と会うたびに言われるけれど、きっとからかっているのだ。  環は誠司をちらりと見る。環がきちんと針を動かしているか確認しつつ、合間に半衿に針を滑らせている面は平静で、手に触れられただけで鼓動が乱れる環とは大違いだ。 (本当に忘れてしまったのかしら)  針を布の間に走らせ――というよりのろのろ歩かせながら誠司をこっそりと窺う。  半衿という小さな野原に花を次々に咲かせていく誠司は、憎らしいくらいに落ち着き払っている。 (環が桃女に入学したのは、お兄さまがいらっしゃるからなのに)  桃女は〝恋愛指南〟の奇天烈授業ばかりが注目されるが、実は教師陣のレベルが高いことで有名なのだ。帝国有数の財閥会長でもある桃女の理事長は、女学生の教育向上のために、全国どころか世界各地から教師を招聘したのである。むろん誠司もその理事長のお眼鏡にかなった教師であることは言うまでもない。 (お兄さまが桃女の受験をお勧めくださったのは、教師陣がその道の達人だからという理由だけよね)  黙々と刺繡に励む誠司は環に言ったものだった。女学校に通うつもりならば、桃女にするべきだよと。 (……お兄さまのお心は海溝みたいに深くて、環には見通せないわ)  放心状態のまま針を勢いよく布から抜いてしまい、布を摑んでいた左手の人差し指にぷすっと刺した。 「ひゃっ!」  針を抜くと、にじんだ血がみるみるうちに玉になる。 「ハ、ハンカチを」  浴衣に血を落としてはたいへんとおろおろしながら指を持ち上げようとして、誠司に左手を摑まれる。そのままぐいっと引き寄せられて、件の指は誠司の口にくわえられた。 「おおお、お兄さま―――!?」  狼狽しまくって叫ぶ環の指は誠司の唇の間に挟まれ、しっとりと濡れた口腔内に蓄えられてしまった。指先を念入りに舌で舐められると、寒くもないのに肌が粟立ち、背筋にぞくっと悪寒が走る。 「お、お兄さま……」  全身を駆ける奇妙なうずきのせいで声がかすれてしまった。 「環、君の血はすこぶるうまいね。神が食べてはならぬと命じた禁断の木の実はこんなふうに甘いのかな」  指をいったん口から離した誠司は環の左手を両手で抱え、頰を寄せながら熱っぽい視線を向けてくる。 「あの……」 「愛しい環。君の血の一滴でさえも他の誰かにやりたくない。永遠に僕のものにしたい」  環は虫ピンで縫いとめられた哀れな蝶のように動けなかった。誠司に見つめられていると、視線で顔から首までなぞられてでもいるかのような錯覚に陥り、毒でも飲まされたかのように全身が痺れてしまう。  彼は再び指を口に含むと、丹念に舌を絡め、上目遣いで環の様子を観察している。琥珀のように透き通った瞳が放つまなざしは艶めかしくて、環の身の内を電流が突き抜けた。 (この長机がなければ……)  すっかり力を失った身体を誠司の胸に預けてしまったかもしれない。 (お兄さまったら吸血鬼みたい……)  ほんの一滴の血でもこぼすまいというふうに舐める仕草は、少女小説で読んだ吸血鬼にそっくりだ。  ならば、環は吸血鬼に狙われた獲物だろうか。処女の血を欲する吸血鬼に狙われた哀れな娘。眼力に屈服し、肉体を捧げることにした娘はこんなふうに魅了され、虚脱してしまうのだろうか――。  悩ましげなほど扇情的に環の指先を味わっていた誠司が軽く眉を寄せた。  散々にしゃぶっていた指を口から取り出すと、環の瞳を見つめながら息を吸いかけ――。 「環、マイ……」 「およしになって―――!」  自由になった左手を胸に引き寄せ、誠司の言葉を覆い隠すように叫ぶと、束の間彼は環を凝視してくる。  感情の窺い知れぬ琥珀かビー玉のような瞳は、唐突に細くなった。満足そうな笑みが頰にたたえられる。 「合格だ! 弓原くん!」 「あ、ありがとうございます!」 (危なかったわー!)  脇ににじんだ汗が冷たいのに上気した頰は熱くて、バラバラな体温にめまいがする。緊張から解放された安堵に包まれて、密やかに息を吐いた。 (危うく減点されるところだった……!)  これこそが桃女恒例の〝恋愛指南〟の授業であり、乙女たちをたぶらかす最大の罠である。 〝恋愛指南〟の授業にはルールがあった。  それは教師が口説き文句を発してから五秒以内に拒絶の意思をあらわさなければ、五点減点されるというものである。 〝恋愛指南〟の点数は内申点なのである。口説きを退ければ加点されるが、うかつにもぼんやりして口説き文句をいなせなければ、五秒を数えるごとに五点ずつ減点されていくのだ。 (大がかりな本式の授業より、こんな小さな罠こそが〝恋愛指南〟の授業でもっとも恐ろしいのよっ!)  乙女が油断した隙をついて発動されるトラップは、桃女教師陣の必殺技だといっていい。  例えば、少女小説を読んでいる生徒が栞を風に飛ばされて困っていると、『可憐な君にはこの栞のほうが相応しい』なんて言いながら、国語教師が赤々と染まった紅葉を差し出す。  ピアノを弾いている女生徒がいれば背後から抱きしめ、『君、そこはクレッシェンドで弾くべきだよ』と耳元で甘くささやく音楽教師がいる。  しかも、そんなふうに迫りくる教師陣はただの教師ではない。  桃女の理事長が選びに選び抜いた超絶美形の教師陣なのである。 『乙女のみなさんは口うるさい。自分の好みに当てはまらない男は〝生理的に無理〟と拒否される。というわけで、本校は目の肥えたみなさんのために、様々なタイプの美形教師を取りそろえました。俺様系、ドS系、マッドサイエンティスト系、キュート系、クール系、ノーブル系などお好きなタイプの教師に口説かれてください』  入学式での理事長の祝辞にあったとおり、桃女の教師陣は、世間にはこんな美形がいるのかと背筋に戦慄が走るほど容姿端麗な男ばかり。その男たちが、雄孔雀が羽を広げるがごとく、あるいは満開の薔薇が芳香を放つがごとく己の魅力全開で迫ってくるのである。  初心で奥手な女生徒たちは碌な抵抗もできず、無情に減点されていく者が多いのだ。 (その先に待っているのは赤点……そして、悪夢の補講なのだわ……!) 〝恋愛指南〟の内申点が赤点になると、生徒たちは補講を受けなくてはならなくなる。美形教師たちと外出して丸一日おデェトをするという聞く人によっては羨望の的となるような補講だが、そんな生易しいものではない。 (おデェトをする相手はひとりじゃない……美形教師陣が総出でエスコートしてくださるのだから……!)  そのおデェトの間中、生徒に課されるミッションは、四方八方から繰り出される口説き文句を断り続けるという荒行である。 『さっき観た映画の女優は美人だね。とはいっても、君の足下にも及ばないけれど』と言われれば、『ご冗談はおやめになって』とにらみ、『このアイスクリイムは甘いね。けれど、君の唇にはかなわないな』とささやかれれば、『つまらないことをおっしゃらないで』とたしなめる。  さながら何人もいる餅つきのつき手の合間を縫って餅をまとめる返し手のごとく口説き文句をいなし続けなければならず、まさに口説きの乱取り、あるいは口説きの千本ノックといっても過言ではない状況に陥るのだ。 (お姉さまがたが言っていらしたもの……あれは戦慄の美形教師地獄だとっ!)  補講を受けた女生徒たちは精も根も尽き果て、しばらくは抜け殻状態になるという。  それゆえ桃女の生徒たちは、〝恋愛指南〟の授業で赤点を取ってしまうことを何よりも恐れているのであった。  補講を想像して内心で震えを止められずにいることを知ってか知らずか、誠司は運針を続けながら、しみじみとうなずく。 「環は断り方が堂に入ってきたね。これも日頃の鍛錬のたまものかな?」 「お、お兄さまのおかげだわ」 「そう言ってもらえるならうれしいね。教師冥利に尽きるというものだ」  細めた目には教え子の成長を喜ぶ教師の愛情があらわれている。いつもは冷静沈着でさめた表情の誠司がやわらかく微笑むものだから、環はうっかり感激してしまった。 「お兄さまは本当に先生をなさるのがお好きなのね」  室内を見渡せば、裾が大輪の花のように広がるワンピースや明るいチェックの生地で仕立てたセルの着物など誠司お手製の見本がハンガーや衣桁に吊るされている。女生徒たちの指導に使われるそれらはプロのお針子さんも絶句するようなできばえで、誠司の和裁洋裁の抜きんでた腕前の証拠となっていた。 「そうだね。教師は天職だと思っているよ。しかし……」  と言いながら浮かない顔で振り返るのは、ガラス扉のキャビネットである。中には金色に輝くトロフィーや大きな楯の数々が整然と並べられている。すべて誠司が勝ち取ったものだ。 「そういえば、明後日は全国家政科教師技能選手権があるのよね、お兄さま」 「うむ。年に一回行われる真剣勝負の日だよ」  燃える闘志を鎮めるように半衿を縫う誠司の姿は、決闘に挑む騎士を思わせる。 「今年優勝したら、三連覇になるのだったわよね、お兄さま」 「そうなるね」 「おすごいわ。大学を出て先生をなさるようになってから、ずっと優勝していらっしゃるのだもの」  自然と手を組み、瞳をきらめかせてしまう。  目の前で器用に針を操るお兄さまは、無敵の家政科教師なのだ。 「そんなにすごいことでもないけれどね。いつもやっていることをやるだけだよ」 「お兄さまは家政の技術を極めていらっしゃるから、なんでも簡単におやりになれるのよ。普通の人だったら、全国家政科教師技能選手権の課題を時間内にこなすのは難しいわ」  天才を前にした凡人の気持ちをしみじみと嚙みしめながら、首を振った。  全国家政科教師技能選手権はその名のとおり、帝国中から腕に覚えのある家政科教師が藤京に集い、与えられた課題をこなしてその技能を競い合うという大会である。  その課題たるや、『二時間以内にシャツを縫い上げろ』だとか『三十分以内に一汁三菜の献立を作れ』などというように短時間で作品のできばえを競うものもあれば、『美しい訪問着を縫い上げろ』、『理想の朝食を作れ』など時間よりもできあがった品のよしあしを審査されるものもある。  年ごとに変わる課題は、まさに卓越した技能を有していなければこなせないものばかりだ。  その大会を新米教師である誠司が制したときは、すごい奴があらわれたと家政科教師界に激震が走ったらしい。 「今年はどんな課題なのかしら。去年、お兄さまが作った〝理想ノ朝食〟は帝都新聞の記事になったくらいすばらしかったのでしょう?」 『手塚氏ガ用意シタ〝理想ノ朝食〟ハ、マサニ傑作デアッタ。炊キ上ガリシ白米ハ粒ゾロイノ真珠ノゴトク輝キ、オ手製ノ塩シオ鮭ジヤケハ塩加減ガ適切カツ焼キ具合タルヤ水分ガホドヨク残リ正マサニ神カミ業ワザノ領域ナリ。出ダ汁シ巻マキ卵タマゴナドハ卵ト出汁ノ塩アン梅バイガ実ニ完璧デ、フンワリト焼カレタソレヲ口クチニ含メバ、正ニトロケルガゴトキ味ワイ。脱帽ノ品々ナリ』という講評が掲載されたときは、目を皿にして読んだ環である。 「どんな課題だろうが全力で挑むだけだよ」 「お兄さま、お素敵だわ。今回もきっとお勝ちになるわね」 「どうだろうね。しかし優勝したら、今回はちょっとばかり面倒になりそうだ」  半衿の刺繡を終えると、誠司は鋏で糸をぷちんと断ち、目の前の高さにしてできあがりを確認している。初々しい撫子の花が刺繡されたその半衿を着物の間からちらりと覗かせれば、粋なお洒落さんとして道行く人の注目を浴びるだろう。 「面倒なことって何?」 「今回優勝すると、帝国家政科教育学会の会長に就任する可能性が高くなるんだよ」 「まあ、お兄さまが会長さん? それはおすごいわ」  大学を卒業して数年しか経っていないのに、家政科教師の中でも