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作者:菅沼理恵
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-12-28(角川书店)
价格:¥494 原版
文库:角川Beans文库
丛书:星宿姫伝(9)
代购:lumagic.taobao.com
星宿姫伝 くろがねの封印 星宿姫伝 くろがねの封印 菅沼理恵 角川ビーンズ文庫 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載したりすることを禁止します。また、 本作品の内容は、底本発行時の取材・執筆内容に基づきます。  神杖の聖都、天藍は、国土の中心に位置する杖州の州都でもある。  とはいえ、さほど広い街ではない。もともと杖州そのものが、小高い丘陵地帯に囲まれた土地である。中心の彩湖は今はなく、巨大な窪地になっている。今になってみると、彩湖と呼ばれていた場所が、過去に谷だったのが見てとれた。  杖州公の執務室の壁には、神杖の領土が描かれた地図が掲げられている。中央の杖州には未だに彩湖が記されていた。 「……おや、めずらしい」  案内もなく、開け放たれたままの扉から室内に入ると、執務机の前に座していた杖州公、賀宗は目を上げた。  賀宗は王族の長老を意味する冬宮の称号を持つ。また、斎王である桜院雪月、つまり白雪の後見役だ。白雪の祖父、風雅の兄にあたり、年老いてはいるが矍鑠たるもので、政のほとんどは彼がいなくては成り立たないとも言われている。  だが、現星曜館館長の夜鳩を脅して聖王位簒奪に協力させていた罪は重かった。賀宗を処刑し、彼の企みに荷担していた他の州公たちも連座させるべきだという意見が議場ではもっとも強固に支持されたが、白雪はそれを退けて、今も簒奪に関わった者たちを以前と同じ職に就けて働かせている。  斎宮であった白雪には、斎職はともかく、政は一切わからない。簒奪事件に関わった者を処分すれば、人材が足らず政が正常に立ちゆかなくなる。その危惧はもちろんだが、白雪は、科者だとしても容易に人の命を奪うことがどうしても納得できなかった。殺すこと、滅ぼすことはいつでもできる。ただ、いったんそうしてしまったものは、二度と取り戻せない。人の命を無下に扱った過去があっても、その後は心を入れ替えて、自分の持ちうる能力をとことん世のために使うのならば償いになるのではないか。それが白雪の出した結論だった。 「こんばんは、大伯父さま」  白雪がそう声をかけると、ますます賀宗は胡散臭げな顔つきをした。 「どうにも、困りますな。陛下がそのように儂に話しかけるとき、しかも九連を携えてらっしゃるということは、何かおねだりがあると思われるのですが」 「……おねだりというか」と、白雪は執務机の前に立つと、頭を下げた。「本当に、このたびはごめんなさい」 「何か、謝らなければならないようなことをしたのですか?」  賀宗はそっけない。その態度からするに、白雪が何を謝りたいか、すでにわかっているのだろう。 「このところ、陛下はおとなしくしておられましたな。毎日朝議にも出られ、にこにこして皆の話を聞いておられた。薄気味悪いと言う者もいましたが、涼州公あたりは呆れておいででした、九連をお持ちでない陛下は根っからの深窓の令嬢のようだと」  現涼州公は道延といって、以前は青竜隊の侍司だった。さらにそれ以前は白雪の母、白鷺の騎士を務めていたため、白雪が神杖に来たばかりのころからの知己だ。おかげで白雪の本性は知られている。 「また、こうも申しておりましたよ。他の者たちはよほど陛下にお淑やかでおとなしい女性であってほしいと望んでいるのだろう、そして今の陛下はそうした理想そのものだから、疑いもせず受け容れるのだろうと。……もっとも、われわれは陛下の本質を存じ上げておりますので、御座に九連が座っているのはどうにも微妙な心地でしたが」  やはり賀宗は白雪の不在にとうに気づいていたのだ。予測はしていたが、今さらながら白雪は恥ずかしくてたまらなくなった。 「本当に、ごめんなさい。さっき、九連にすべて教えてもらったわ」 「このところ、たいした案件はございませんでしたから、特に困ったことはありません。九連は立派に代わりを務めてくれましたが、あまりこのようなことは歓迎できませんな」  ふう、と賀宗は息をついた。「で、なんのご用があって、わざわざ儂のもとまでいらしたのですか」 「その、……琥珀から聞いてるとは思うのだけど、小雪が、時津原に行ったの」 「そのようですね。小雪が」  賀宗はむすりとしたまま返す。  小雪というのは白雪の別名だ。斎王づきの御庭係として知られる小雪だが、実は斎王その人である。斎王としての白雪は、生まれつきの銀髪と空色の瞳のまま衆目に姿を晒すが、小雪のときは黒髪と藍色の瞳に見えるよう術をかけている。また、斎王の尊顔を間近で拝した者は少なかったし、白雪が斎王として人前に立つときは髪型を変えたりしぐさや表情で意識して雰囲気を変えるようにしていた。おかげで御庭係と斎王が実は同一人物であると気づいた者は今のところおらず、その事実を知っているのは限られた者のみだった。 「小雪は、……その、あちらで捕縛した者と話したの。七樹という名の式師です」 「その話を聞かせてくださるのですか」 「ええ」  白雪がうなずくと、賀宗はゆっくりと立ち上がった。 「長くなりそうですね。陛下を立たせたままにはできません。こちらへ」  科者でありながら執務にたずさわる賀宗は、夜鳩と同じく在室時に扉を閉じることを許されない。白雪は招かれて、あけられたままの扉をくぐって隣の控え室に入った。 「茶でもさしあげたいところだが、あいにく、侍従も側仕えも今はいない。儂が手ずから陛下に飲食物を振る舞うのは禁じられていますので、」 「いいです、わたしがやるわ」  白雪は賀宗の言葉を遮ると、手にしていた九連を長椅子の傍らに置き、部屋の片隅に用意されていた茶器を手にした。貴人の控え室に置かれている茶器は、いつでもあたたかくなるよう術が施されている。白雪はその場にあった茶葉の匂いを嗅いで、よさそうなものを選んだ。琺瑯の湯差しに術で水を集めると、瞬く間にそれが湯に変わっていく。 「……術とは、便利なものですな」  置かれていた長椅子に腰掛けた賀宗は、そのさまを見ながら呟いた。 「……そうね」 「術が失われたら、この国はどうなるでしょうか」  白雪は答えなかった。急須に茶葉を入れ、湯差しから湯を注ぐ。蓋を被せても、あっという間にあたりに茶のよい香りが広がった。 「いい匂い」  思わず呟く。疲れた体に染み渡るような、甘い香りだった。  ……時津原からしばらく行った村で馬を借りようとしたところで、七樹が自身に前もって術がきかないように打った式の効力が切れた。おかげで水鏡を通って帰ってこられたのだが、それでもこの半月ほどのあいだ、いろいろなことがありすぎた。疲れもする。  しかも白雪は九連を身代わりにし、城から出ていないことになっている。そのため水鏡で他の者と一緒に城内へ入るわけにはいかず、一旦全員で城の近くへ出て、別経路で白雪だけが斎宮殿へ直接入った。その後はすぐに九連を呼び寄せてこれまでの記憶を交換し、こちらを訪れた。今ごろ近衛たちは城内の水鏡から出て、事情を説明しているだろう。  今は斎王である白雪が訪れているから、賀宗に報告が入るのはまだ先だ。斎王はこの城内でもっとも優先される存在だった。 「どうぞ、大伯父さま」  盆に茶器を載せてにっこりすると、賀宗はますます胡散臭げに白雪を見た。 「そうしていると、九連のようです」  背の高い茶杯を前に置くと、賀宗はそれを手にして目を細めた。なみなみと注いだ茶を一口すすると、彼はうなずく。 「陛下に茶をいれていただけるとは、光栄の極み」  しかし、と彼はじろりと白雪を見た。「ここまでしていただけるということは、そこそこに長い話が小雪から語られるのでしょうな」  白雪は、黙ってうなずいた。  時津原で知ったことを、白雪は語った。七樹のこと、式師のこと、そして、竜珠がこの大地を滅ぼしてしまうかもしれないということ……  琥珀がある程度、時津原から散光信で夜鳩に報告していたのを聞いていたのだろう。拙い白雪の報告に、賀宗は一度も訊き返すことなく黙って耳を傾けていた。  語りつづけた白雪の喉は、最後には痛みを覚えていた。見てきたことをすべて話した、と思った白雪がやっとのことで口を閉ざすと、しばらくしてから賀宗は、ずっと手にしていた茶杯を卓に置いた。 「陛下のおっしゃったことが、実際に起きたことであれば……」  彼は考え込みながら、つづけた。「術の使用を禁じねばなりません」  白雪は、賀宗が白雪の言葉を否定しなかったことにひとまずほっとした。次いで、何故、自分の荒唐無稽な話を信じたのか、と考える。  すると、それが顔に出たのか、賀宗は白雪をじっと見た。 「琥珀どのから夜鳩どのに伝えられた報告とほぼ一致するというのもありますが、この三年ばかり、世界各地に放った間諜からの連絡が途絶えておるのです」  初めて聞く話に、白雪は目を丸くした。  神杖は、三年前まで国を鎖し、他国との交流を必要最低限に止めていた。そのため神杖国内の情報の流出は最小限であったが、他国の情報を得るために、世界各地の主要都市に、何人もの間諜を送り込んでいたのである。間諜という、情報収集のための影の存在は白雪も知っていたが、それが世界各地に放たれていること、連絡が途絶えていることなどは初耳だった。 「三年前、ちょうど陛下が斎宮として初めて閏旬を過ごされたころですな。あのころから、各地の間諜が沈黙してしまった。新しく送った者からも、ほとんど連絡がありません。この結ユイの大陸内からのみ、かろうじて文が送られてくる程度です。解カイの大陸、集シユウの大陸、合ゴウの大陸などからは、まったく戻って来てはおりません」  白雪は動揺した。それはつまり、間諜として送られた者の身に何かがあったのだろう。 「式師たちの言が事実ならば、他の大陸で滅んだ国があるのでしょう。間諜も、その滅びに巻き込まれてしまっていたら、連絡などできようはずもありません。──それに、陛下が見聞きしてきたことを、私情を交えず儂に伝えてくださったのは、わかります。あなたはいつでも、誰に対しても公平であろうと努めている……」 「大伯父さま、杖州公としての意見を聞かせてください」  白雪は、意思を込めたまなざしを賀宗に向ける。「本当に、竜珠は大地を滅ぼすと思いますか? だとして、どのようにして術を禁じますか? この神杖で、術にまったく関わらずに生きている人などいません。それを、どうやって……」 「それは、致し方ありますまい」  賀宗は穏やかに述べた。「陛下はそうおっしゃるが、儂は竜珠ではありません。だから術も使えませぬ。しかし、だからといって不自由した憶えは特にない。ただ、竜珠に助けられたことは数えきれませぬ。──問題は、竜珠であることが生業そのものにつながっている者たちです。かれらの術を禁じれば、たちまち路頭に迷うでしょう。また、今、われわれは遠隔地でも情報のやりとりに困ったことがない。それが一切なくなることがもっとも怖ろしい」  言われてみれば、その通りだった。  建国時に輝キ石セキノ神カミによって整えられた光脈は、光の速さであらゆる情報を遠隔地に伝達する散光信として活用されている。これは庶民にはまったく縁のない手段ではあったが、国にとっては貴重な情報網だった。 「ともあれ、竜珠をどうこうすることはまだ先の話です。あすの朝議では、この件を公表します。その、捕縛した式師にも、裏づけのために議場に出てもらわねばなりますまい」  白雪は首をすくめた。  この神杖に来てすぐのころ、白雪も議場に引き出され、真に先代斎宮の娘であるかと疑われた。当時、白雪の左手には烙印があり、それが斎宮の証であると認められはしたものの、あのときの心細さは忘れない。父と信じていた人を亡くしたと思い込み、母もないと知らされ…… 「わたしも、立ち会わせてもらいます。彼が必要以上に責め立てられるのは、困りますから。かまいませんね」 「……陛下」  ややためらうそぶりを見せ、賀宗は口を開いた。「さきほどから伺っておりますと、その式師……」 「七樹のこと?」 「その者、もとは神杖の育ちで、わが曾孫の茉莉と深く関わりがあるとか。どのような印象を、陛下はお持ちなのですか」 「どのような、って」  賀宗の問いの意図がわからず、白雪は戸惑った。「その、……彼は、青磁と同じ救慰寮で育ったのよ。だから、茉莉がなついていたんです。──茉莉には、あとで話さなければならないわ」 「そうではなく、陛下ご自身にとってその者は、どういう関わりがあるのですか?」 「わたし? 以前に涼州で一度会っただけです」 「涼州というと、あのときのことですな」 「……ええ」  白雪はうなずいた。賀宗が夜鳩を脅して、雪嵐の異変を起こさせていた件である。あのときは水鏡が凍り、騎馬で涼州へ赴いた。白雪の斎宮としての初めての征討だった。 「茉莉に話さなければならないというのは、何故ですか。そこまで茉莉はその者を慕っていたと?」 「あの子、腕環をしているでしょう。あれを渡したのが七樹よ。あの子は七樹を、実の兄のように思っているのよ……」  なのに、その兄が科者として捕縛されて帰ってきたのだ。知れば心を痛めるだろう。 「なるほど、『にゃにゃ』ですか」  賀宗も、茉莉から聞いてその愛称だけは知っていたらしい。幼かった茉莉が『七樹兄ちゃん』と呼べず、『にゃにゃ』となったのが今もつづいているのだ。  しかし、茉莉から聞いていた印象と、今の七樹はまったく違う。何よりあの外見では、茉莉にも七樹とわかるだろうか。ふとそう考えて、白雪は切なくなった。ずっと会いたいと願っていた相手が近くにいても容易に会えず、一目でそれとわからぬほど様変わりしているなど、自分の身に引き合わせなくとも、考えただけで胸が痛む。 「……では、一度きちんと会って、感謝せねばなりますまい」  賀宗は複雑な表情を浮かべた。困惑したような、それでいてどことなく微笑んでいるようにも見える顔つき。 「感謝?」 「儂が知らずとはいえ打ち捨てたままにしていた曾孫が、あのように歪まずに育ったのは、七樹という者が何くれとなくめんどうを見てくれたからだというのは、茉莉の話を聞いていればわかります。よく世話してくれたのでしょう。本当に、実の兄のことのように語ってくれるのです」  白雪は、うなずいた。 「彼は、……わたしたちとは相容れないかもしれませんが、まっすぐな性根の、いい人です。人を思いやる心を持っていると、思います」  その言葉に、つと賀宗は視線を白雪に向けた。 「陛下は、その者にご興味がおありのようですな」  どことなく案じるような賀宗の口調に、白雪は首をかしげる。 「そうかしら?」 「陛下が、一個人に興味を持って語ったことなぞ、今までこの賀宗、耳にした例しがありませんぞ。それはよいことだとは思うのですが……その点、ちと心配ではありますな」 「心配? どうしてですか」 「その者は、今のところは国に害を為そうとした科者、そうも思い入れを持つのは感心しませぬ」  杖州公としてではなく、大伯父の賀宗として、彼は白雪に説いているようだ。 「……そんなに、彼に思い入れを持っているつもりは、ないです」 「ならば、よいのですが」  老人は曖昧に呟くと、ゆっくり長椅子から立ち上がった。「さて、陛下は奥殿にお戻りください。由永がかんかんになっておるでしょう。このたびのおでかけについて、一言も何も聞かされなかった、と」  白雪は促されて、九連環杖を手にした。 「もう、夏乃さんに叱られたばかりなのに」 「それだけのことをなさったと、反省していただくことも必要じゃ」  賀宗はしたり顔でうなずいた。  杖州公の執務室から奥殿へ戻る途中で灰桜を呼び出した。 「どうした、白雪」  すでに陽は暮れかかっている。建物の外向きの回廊に長く伸びた影から出てきた灰桜は、呼び出されたのがうれしいのか、にっこりして白雪を見上げた。 「灰桜は、七樹のことをよく知りたいのよね」  尋ねると、灰桜はうなずく。 「できれば、だが……」 「もし可能だったら、そのうち時間を作って、彼と話す時間を作ってみましょう」 「そうしてもらえると、ありがたい」  答える灰桜は、しかしどことなく不安げな色を浮かべていた。「──彼自身の記憶が曖昧ならば、……気が進まないが、俺が引き出せば済むことだ」  回廊を歩きながら、白雪は驚いて傍らの灰桜を見た。 「引き出す? 記憶を?」 「できないことではない。──人は故意であれ無意識であれ、自分の経てきた経験を思い出しにくくなるだろう。それが『忘れる』ということだ」  灰桜は白雪を見上げて説明した。「俺はそれを調べて引き出せる。だから、本人が憶えていないことでも読み取ることはできる」 「……憶えていない、ことも」  白雪は繰り返した。  人が何かを忘れるのは、その『何か』を不必要だと感じたからだろう。その不必要と感じた原因もいろいろとあるはずだ。本当に不要な取るに足らないことであったり、また重要であっても、不快だったりすれば容易に忘れてしまえる。  彼にとって不要でなく不快な記憶だとしたら、それを引き出すのはよいことだろうか。 「……白雪さま」  聞き慣れた声に、立ち止まって物思いにふけっていた白雪は我に返った。 「茉莉」  振り返ると、少女が近づいてくる。もう、以前のように駆け寄ってきたりはしない。城に上がってから、彼女はずいぶん淑やかになった。以前の子どもっぽさはなりをひそめ、その代わり、年相応の少女めいたしぐさが目立つようになっている。 「どうなさったのですか、このようなところで」  茉莉はそう言いながら、ちらりと灰桜を見てにっこりした。灰桜は、その笑みから逃げるようにして白雪の後ろに隠れる。これは誰が相手でも同じ反応だ。彼は白雪や近衛以外の、よく知らない者の視線を避ける傾向があった。どうやら、人に見られるのは恥ずかしい、と感じるらしい。 「少し、考えごとを」  白雪は答えながら、複雑な思いで茉莉を見た。 「考えごと?」  茉莉は、その大きな目でまじまじと白雪を見つめる。不思議そうな顔をして、彼女は口を開いた。 「白雪さま、……なんだか、不思議」 「わたしが? なあに?」 「あの、その、違う匂いがするの」  茉莉は、自分でもわからない、というように首をかしげた。「いつも白雪さまは、ふわふわしてやさしい匂いがするんだけど、今日は……」  白雪は思わず、自分の腕を持ち上げて袖の匂いを嗅いだ。 「体の匂いじゃありません、……その、うまく言えないけど」  茉莉は口ごもった。  賀宗の曾孫にあたり、蘇芳の姪でもある茉莉は、実は竜珠だ。以前、その左手に斎宮の証である烙印を捺されもしたが、今は消えてしまった。これは、神杖の国土が烙印を有する斎宮を必要としなくなったためらしい。  茉莉の竜珠はさほど重くないと思われていたし、竜珠としての鍛錬をやめてしまったのに、心語は今でも通じ、ちょっとした勘が働くこともある。だから、実は秘められた強さがあるのかもしれない。しかし茉莉は竜珠である自分を好まず、ふだんはその不思議の力を意識して使うことはなかった。それでも、ただの側仕え見習いのひいなとして城内で生活する中、見聞きでき感じてしまうことは、白雪に報告してくれる。 「なんでだろう、懐かしい匂いがするの」 「懐かしい?」 「うん……」  礼法を身につけたひいなではなく、城外にいたころの子どもに戻ったかのように、彼女は不安げな顔をして白雪を見つめた。「それに、胸が、ざわざわするの。なんだか、……とてもだいじなことが、すぐそばで起きてる気がする……」  白雪はぎくりとした。だが動揺を押し隠して首を振る。なんとか、微笑を浮かべられた。 「わたしはなんともないから、茉莉にだけ関わりのあることかもしれないわ」  今まで、七樹を茉莉に会わせることだけを考えていた白雪だったが、今の七樹を見、彼のしたことを知れば、茉莉は衝撃を受けるかもしれない。 「わたし、だけに」  茉莉は眉を寄せている。可憐な顔が曇るのに白雪の胸も痛んだ。 「白雪」  不意に、灰桜が白雪の袖を引いた。「あれを」  灰桜が示した回廊の角を曲がって、人の群れが現れた。白雪は思わず息をのむ。茉莉は不思議そうな顔をして振り向いた。 「……!」  駆け出そうとした茉莉の肩を、白雪は摑んで止める。 「だめ」 「白雪さま?」  見上げてくる無邪気な瞳。  角を曲がってきた先頭には蘇芳がいた。次に青磁と、もうひとり。その後ろに琥珀と黒曜が従っている。 「だめよ」  白雪は首を振ると、茉莉の肩を抱いて回廊の壁ぎわに下がった。 「……陛下」  蘇芳が先に気づいた。微妙な表情をしていたが、茉莉が共にいるのをみとめるとその顔がほころぶ。それを見た者に、彼が茉莉をいかに大切にしているかがわかる微笑みだった。  しかし、茉莉はその後ろから来る背の高い男を注視していた。 「にゃにゃ……?」  離れて何年も経っただけではない。七樹は異国の服に身を包み、実際の年齢よりも年上に見える。なのに茉莉は一目で七樹だとわかったのだ。  七樹ももちろん茉莉に気づいていた。だが、それよりも彼は、茉莉が今の自分を見て自分だとわかったことに驚いたらしい。目を見開いてじっとこちらを見ている。その隣で青磁はひどく苦々しげな顔をしていた。 「白雪さま、離して」  茉莉が腕から逃れようとするのを、逆に白雪はしっかりと抱きしめた。 「だめよ。彼は、……罪を犯したの。科者なのよ」 「……え」  白雪を見上げる茉莉の目は驚きに瞠られている。  結局は、隠し通せない。ここで会ってしまったのもそういう意味だろう。白雪は心を決めると、茉莉に告げた。 「あの人は、時津原で術師を殺した式師の仲間です」  茉莉は絶句した。その小さな体が震えている。 「彼は明日の朝になれば議場に出されて罪を問われます。だから今は、関わりを持ってはならないのよ」 「だって、……そんな……」  少女の顔からみるみるうちに色が失われていく。白雪は茉莉の心情を思って息苦しさを覚えた。ずっと会いたいと願っていた人が目の前にいるのに、触れることはおろか、話しかけることもできないなど、あまりにもつらすぎるだろう。