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作者:永瀬さらさ,緒花
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-12-02(角川书店)
价格:¥580 原版
文库:角川Beans文库

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ドイツェン宮廷楽団譜 嘘つき婚約コンチェルト ドイツェン宮廷楽団譜 噓つき婚約コンチェルト 永瀬さらさ 角川ビーンズ文庫 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載したりすることを禁止します。また、 本作品の内容は、底本発行時の取材・執筆内容に基づきます。  目次 序曲 ダ・カーポ ~はじめから~ 第一楽曲 嘘つきのエチュード 第二楽曲 妖精のためのパヴァーヌ 第三楽曲 天使の夜の夢 第四楽曲 さよならの日 第五楽曲 主よ、空より我は彼を呼ぶ 終曲 レセ・ヴィブレ ~音が響くままに~  あとがき  気分が晴れない日、ミレアは高い所でバイオリンを弾く。そうすれば、聖夜に見た天使がそばにいてくれる気がするからだ。  樹木の太い枝の上に裸足で立った。人気のない裏庭で上を目指して伸びた木は、枝もどっしりしていて安定している。春だというのに、真上に昇った太陽が眩しい。風にあおられ、刺繡が入ったワンピースの裾が無遠慮に広がる。だが肩幅に広げた足を竦めたりしない。  宮廷楽団の私有地内でも小高い場所にある裏庭の木の上からは、練習室がある棟や煉瓦造りの団員寮が見えた。それらを見下ろして、やっと口を開く。 「……私の生まれを宣伝に使うって、そんなことしなくても私はちゃんとバイオリンが弾けるのに。しかも〝バイオリンの妖精〟って恥ずかしすぎない!? けど……」  ──君には庶民が好む物語と、貴族に必要な肩書きがある。ならば、その経歴を売るために多少脚色して何が悪い。従えないならクビだ、荷物を持って故郷へ帰りたまえ。 (せいぜい伯爵令嬢らしく振る舞えって、庶民生まれの養女だからって馬鹿にして! そりゃちょっと礼儀作法は苦手だけど、ちゃんと教えてくれたもの、お義母さまが──)  宮廷楽団のオーディションに合格した時の養父母の顔を思い出す。自慢の娘だ、という声も。  そして雪が降る聖夜にバイオリンをくれた、天使の姿を瞼の裏に思い描いた。 「……売名なんて、聖夜の天使に嫌がられないかな。でも」  ──君がバイオリンを続けていたら、きっとまた、会えるよ。  十年前の聖夜。皆が神様の誕生日を祝う夜に、ミレアは羽の生えた男の子からバイオリンを贈られた。そしてずっとこのバイオリンを弾き続けている。  大事なのは、弾き続けること。そして彼に気づいてもらうために、ミレアの名前をバイオリニストとして広めること。  そのために宮廷楽団に入ったのだ。後世に名を残す音楽家が多く輩出された、ドイツェン王国が誇る宮廷楽団に。 (なのに聖夜の天使を見つけるどころか、入団早々クビになったら意味ないじゃない! それにシェルツ伯爵領にだって、もう戻れない──)  胸がちくりと痛んだ。その痛みを振り払うように、首を振る。 「私には聖夜の天使がいるんだもの、うじうじしない!」  姿勢を正し、顎と肩でバイオリンを挟む。そしてそうっと弦に弓を当て、引いた。  ミレアのたった一つの武器が、音を奏でる。今の時季にぴったりな、春の曲だ。  さわやかな旋律に、こんがらがった気持ちがほぐれていく。ふわふわと髪が心地よい風にながれて、気分がよくなった。そもそも難しいことを考えるのが自分は苦手だ。 (第一楽団のコンマスになって有名になれば聖夜の天使に会える、大事なのはそこよ。ちゃんとバイオリンを続けてるって気づいてもらわなきゃ)  十年前の聖夜にバイオリンをもらったエピソードとミレアの名前。その話が広まれば広まるほど、会える確率が上がる。  会ったら何を言おう。一時だって忘れたことのない、大切なあなた。  バラ色の未来を浮かれた音で彩る。曲の終わりは大袈裟に弓を引いて、じゃんっと派手に締めくくった。そしてそのまま弓を持った腕を天高く持ち上げ、名案を口にする。 「つまり、世界一のバイオリニストになればいいのよね!」 「なら最後のフォルテシモは何事だ?」 「へっ?」  思いがけない問いに視線を下げると、地上から見上げる瞳とかち合った。  たった一人で地上に取り残されたように、ぽつんと青年が立っていた。すらりとした長身のせいで、視線が思ったほど遠くない。夜明け前の色をした瞳が、威圧的に細められる。 「しかも『ほどよくアレグロ・快速にモデラート』のロンドの主題が途中から『急速にプレスト』になって、僕は教会の澄んだ鐘が暴れ馬に蹴り回される音に変わるという、冒瀆的な絶望感を味わったんだが」  難しい表現をするひとだ。まばたきをした後で、ミレアは正直に答えた。 「だってそう弾く方が楽しいんだもの」 「……。よく分かった、残念だ。今すぐ世界一のバイオリニストは諦めろ、ヘタクソ」 「なっ──え、わ、わわっ!」  聞き捨てならない評価に前のめりになった途端、がくんと視界が下がった。宙に放り出されたミレアに、背を向けようとしていた青年が舌打ちと一緒に駆け寄る。  バイオリンだけはしっかり抱いて、ミレアは青年の顔を最後にぎゅっと目をつぶった。  何かが受け止めてくれたが勢いは止まらず、そのまま地面へと倒れこむ。舞い上がった砂埃に、咳きこみながら目を開いた。 「い、たた……っわ、私のバイオリン!」  飛び起きてまず腕の中のバイオリンを隅から隅まで確かめる。なめらかな曲線にも、日の光をはじく表板にも傷はない。ほっとして息を吐き出した。 「よかった……」 「──なら、どいてもらえないか」 「え?」  声が下からしたので目線を下げる。柳眉を寄せた青年の不機嫌顔が斜め下に見えた。そこで初めて、自分が青年の腰に跨がるように座っていることに気づく。  完全に押し倒している体勢だ。かあっと一気に顔が火照る。 「ご、ごごごごめんなさい! すぐ、すぐどくから──きゃっ」 「……もういい。じっとしててくれ」  体勢を崩しもう一度倒れこんできたミレアの背中に、青年の手が回った。  硬直したミレアごと、青年はそっと上半身を起こす。そして上手に体を引き抜き、嘆息した。 「まったく、裏庭でゆっくり休もうと思ったらとんだ災難だ。──怪我は?」 「えっ」 「君、バイオリニストだろう。突き指でもしたら練習できなくなるじゃないか。余計ヘタクソになったらどうするんだ?」 「だから誰がヘタクソ──」  言い返そうとしたが、真剣にミレアの手や手首を確かめ始めた青年に、口を噤んだ。 (……助けてくれたのよね。いい人なのかな……なんかいちいち引っかかるけど)  まじまじと観察すると、綺麗な顔立ちをした青年だと分かった。すっととおった鼻梁も薄い唇も、どこも完璧だ。服装は襟元の刺繡やちょっとした装飾が凝っていて、そのくせ仕草一つ一つに気品がある。いかにも洗練された都会の貴公子だ。 (こ、こんなかっこいい人、初めて見た。王都にはいるんだ……)  一度意識すると、手を取られていることに焦りを覚え始めた。  これまでミレアが住んでいたシェルツ伯爵領は、王都の情報が一ヶ月以上遅れて届くような田舎だ。接してきた異性といえば一緒に木登りする遊び仲間や返り討ちにしてやったいじめっ子、あとは優しいパン屋のお兄さんくらいで、こういう男性とは無縁だった。だから痛くないか、と聞かれてもぎこちなく頷くことしかできない。 「大丈夫そうだな」  やがて青年の方が手を放した。目をそらしていたミレアは、やっと口を開く。 「……。あの。その……ええと、あ、ありが」 「とんだじゃじゃ馬だ。嫁にいきたいならもう少し女らしくした方がいい」  余計な忠告に、礼を言う気持ちが吹き飛んだ。 「さ、さっきから失礼じゃない!? それに私の演奏がヘタクソってどういうこと!」 「どうして僕が教えてやらなきゃいけないんだ、ヘタクソ」  嘲笑までついてきた。頰を引きつらせていると、青年が立ち上がり、土を払う。  相手にしたくないと言わんばかりの態度が、ミレアを冷静にした。 「……あなた、宮廷楽団の第一楽団──プラチナの人よね」  青年のタイをとめるピンに目が向く。白金プラチナでできたタイピン──それは宮廷楽団の中でも選りすぐりの、最高の奏者達でまとめられた第一楽団に与えられるものだ。  このタイピンにちなんで、第一楽団はプラチナと称される。  青年は肯定も否定もしない。ミレアは当たって欲しくない気持ちで尋ねる。 「まさかプラチナコンマスの、フェリクス・ルター様?」 「僕があの腹黒バイオリニスト? 冗談じゃない」 「じゃ、誰なの?」 「僕から名乗る筋合いはない」  自分から名乗れということか。癪だが正しい。  立ち上がり、汚れたスカートの裾を優雅に持ち上げる。今更でも、敬語を心がけた。 「失礼しました。私、今月から宮廷楽団の第二楽団に所属する新人団員のミレア・シェルツと申します。以後、お見知りおきを」 「……ミレア?」  いきなり呼び捨てかと顔を上げると、相手は目を丸くしていた。  予想外の反応にミレアの方が戸惑ってしまう。 「……どこかで会ったことがある?」 「──いや……シェルツ伯爵令嬢がオーディションに合格したとは聞いていた。幼い頃行方不明になったが、無事伯爵夫妻と再会した奇跡の令嬢とかなんとか。……君がそれか」  黙りこむことで、否定も肯定もしなかった。  黙ったミレアをどう勘違いしたのか、青年が口角を上げる。 「まさかこんなじゃじゃ馬令嬢だったとは残念だよ。ご両親の苦労が目に浮かぶ」 「やっぱりさっきから失礼じゃないの! しかも自分は名乗りもせずに」 「ああ、これは失礼。僕の名前はアルベルト・フォン・バイエルン」  告げられた名前にまばたいた後で、恐る恐る確認した。 「──の、お知り合いとか?」 「本人だ。噓だと思うなら今夜の新人歓迎会で確認しにくればいい」  ──アルベルト・フォン・バイエルン。流行に疎いミレアでも名前を知っていた。  この国の楽壇を取り仕切るバイエルン公爵家の令息であり、四年前、弱冠二十歳で第一楽団の首席指揮者に就任した天才指揮者だ。若すぎる指揮者の台頭によからぬ噂もあったが、それを実力と人気でねじ伏せて宮廷楽団に君臨し続けている。 (そんな大物が、よりにもよって) 「……こんなに口の悪い、人格に難ありな人だったなんて……!」 「……。本人を前にしてよく言った。その度胸だけは褒めてやる」 「だって普通、人に向かってヘタクソとか思ってても言わないでしょ! 社会に適応できないか本気で自分が一番えらくて正しいと思ってるかのどっちかよ!」 「僕は後者だ」 「何様!?」 「少なくとも第一楽団では僕が王様だ。第一楽団で使う演奏者は首席指揮者の僕が決める」  そのとおりだ。紛れもない現実に、今度こそ言葉をなくした。  第一楽団・プラチナに昇格したければ、その楽団を率いる首席指揮者アルベルト・フォン・バイエルンの承認がいるのは、周知の事実である。 「君は指も弓の使い方も少し独特だが、技術は文句なしに高い。速弾きとか得意だろう」 「えっ……う、うん。速弾きなら誰にも負けたことない、けど……あの、褒めてるの?」 「ああ。音に魅力もある。が、一瞬だけで続かない。しかも感情任せに弾いて、曲も音も台無しにする。自分勝手な曲想に勉強不足が溢れ出てるし、まるで曲芸だ」 「曲芸!? そ、それ絶対、褒めてないわよね!?」 「褒めてるだろう、馬がバイオリンを弾いたら奇跡だと思うじゃないか。珍しさで舞台にも立てる。だが、オーケストラでは使い物にならない。それが現時点での僕の君に対する評価だ」  がんと頭に石を落とされた気分になった。さらに棘のある口調と目線が射貫く。 「何より君は、今年の売り物だろう。確か〝バイオリンの妖精〟?」 「な、なんでもう知ってるの、その名前……」 「そういうお達しが上からきてる。その様子じゃおいしい話だと断らなかったみたいだな」  口調に嘲りが満ちていたが、今度はぐっと拳を握って言い返さなかった。クビをちらつかせられたとはいえ、聖夜の天使に会うために話を受け入れたのは事実だ。  吐き捨てるようにアルベルトは続ける。 「もし上が君を使えと言ってきても、名ばかりのバイオリニストなんて僕は使わない」 「──名ばかりなんかにならないわ!」  即答で顔を上げたミレアに、背を向けようとしていたアルベルトが止まった。 「私は絶対、バイオリンを続けるんだから。何をしてでも──約束なのよ」  断言すると、アルベルトが向き直る。その眼差しからほんの少し、棘が抜けた気がした。 「……。なるほど。何をしてでも音楽を続けるか。僕もだ」  違和感に眉をひそめた。天才指揮者と呼ばれ、王家から楽壇を任されているバイエルン公爵家の令息が『何をしてでも』?  二人の間に、風が吹く。柔らかさと冷たさが混じった、変わり目の春風だ。 「その心意気に免じて名前は覚えてやる。ミレア・シェルツ」 「……よろしくお願いします。アルベルト・フォン・バイエルン様」 「せいぜい妖精らしくするといい、じゃじゃ馬。でないとまた木から落ちるぞ?」  余計なお世話だ。だがミレアは伯爵令嬢らしく、引きつった微笑みだけを返した。  誰にだって人に言えないことがある。  それは恥ずかしい失敗だったり、他人への嫉妬だったり、理由も内容も人それぞれだ。  そしてミレア・シェルツの場合は、本当の自分の素性だった。 「──ミレア様! コンクール三位入賞おめでとうございます!」  天鵞絨ビロードの絨毯が敷かれた廊下を歩いていたミレアは振り返る。声をかけてくれたのはミレアと同じ第二楽団に所属する女の子達だ。 「登竜門としては一番大きなコンクールですよ。さすがシェルツ伯爵家のご令嬢ですよね」 「ありがとうございます。課題曲が得意な曲だったおかげで、助かりました」  伯爵令嬢とバイオリンの腕は関係ないはずだが、流して優雅に微笑み返す。入団二ヶ月、てっきり実力社会だと思っていた宮廷楽団だが、身分社会は根強い。 「同じ新人だから私達まで誇らしくって。このまま第一楽団に昇格ですか?」 「新聞にも載ってましたよ。〝バイオリンの妖精〟って一面に」 「本当に!? 見せてもらっていい?」  早速令嬢らしさを失った口調に気づかないまま、手渡された新聞を素早く確認する。  開いた一面には、ミレア・シェルツの名前が選評と共にあった。 『身寄りがなく養護院で育った少女は、聖夜に天使からバイオリンを贈られたと言う。夢だと笑えない。少女が持っているバイオリンは名職人ストラディの作品。つまり、最高級品だ。  彼女にバイオリンを贈った人物は、少女に才能を見出していたのか。その人物の行方も名前も分からないが、少女──ミレア・シェルツの才能はそこで芽吹いた。  養護院でバイオリンを弾く少女の名は、瞬く間に有名になり、その名を聞いて行方不明の娘をさがしていたシェルツ伯爵夫妻が養護院へ訪れた。バイオリンが紡いだ、本当の両親との再会──伯爵夫人は一目見るなり、「私のミレア」と泣き崩れたと当時を知る者は言う。  身寄りのない貧しい子供が一夜にして伯爵令嬢へ。おとぎ話を現実にした彼女のバイオリンの音は、奇跡のように美しい。〝バイオリンの妖精〟。そう呼ばれる彼女の演奏は、次の奇跡は我々に起こるかもしれないと思わせてくれる』  演奏への評価より、生い立ちの方に記事が割かれている。情報を流したのは、宮廷楽団の上層部だろう。抜かりがないことだ。 (でも、名前が出てる。聖夜の天使の話も……やった!)  気づいてくれるだろうか。だがふと新聞の端にある文字を見つける。 「……号外……ということは、王都にくらいしか配られてない?」 「え? あ、はい。そうだと思います」  なら、聖夜の天使が国外にいたら気づいてもらえない。 (難しいな。有名になるって……やっぱりプラチナになって国外遠征しないと)  お礼と一緒に新聞を返すと、相手が興奮気味に詰め寄ってきた。 「やっぱり一番不思議なのは、バイオリンを贈った『聖夜の天使』ですよね」 「ミレア様はどなたか本当にご存知ないんですか? 年齢とか、性別も分からない?」 「男の子でした。あ、でも、天使って性別とか年齢関係あるのかな……」  団員達はつまった後、愛想笑いを返した。冗談だと思われたらしい。 (本当に天使なのに──あ)  ミレアの目が、廊下の奥へと逃げる人影を鋭く捕らえる。 「ごめんなさい、私、ちょっと用事が!」  返事を待たずに廊下を駆け出した。  追ってくる気配を感じたのか、影が急いで角を曲がる。追いかけたが、しんとした廊下には誰もいなかった。団員が予約して取り合う演奏室がずらりと並んでいるだけだ。  だがわずかに扉が開いている部屋を、ミレアは見逃さなかった。勢いよく扉を横に開く。 「逃がしませんから、マエストロ・ガーナー!」 「あー見つかっちゃったー」  さらに身を隠すつもりだったのか、ピアノの下に潜りこもうとしていた人物が陽気な声と共に出てきた。口調は軽薄だが、立ち上がった肢体は鍛えられていて無駄がない。若い頃はさぞもてただろうと思われる整った顔立ちが、悪戯っぽく笑う。  金髪とそろいの短い髭がチャームポイントというのが本人談の男性の前で、ミレアは仁王立ちした。 「今日こそ第二楽団の指揮をとってください」 「ミレアちゃんはしつこいなー。他の新人達はとっくに諦めて、コンクールとか貴族のサロンでのパトロンさがしに日々励んでるというのに。将来が心配だよ」 「そこは大丈夫です、個人レッスンは欠かしてません。あと、三位入賞したので」 「ああ、そうだったそうだった。いや、第二楽団の団員が優秀で僕も鼻が高い!」 「だったら指揮してください、第二楽団の首席指揮者でしょ!」 「でもほら、演奏会に呼ばれるのは第一楽団ばっかりで第二楽団には予定がないし」 「第二楽団の予定がないのはマエストロが全部断るかすっぽかすからですよね?」  真顔で問いつめると、ガーナーは子供っぽく唇を尖らせ、明後日の方向を向いた。もう四十もすぎた男がそんなことをしても可愛くない。 (ドイツェン王国自慢の巨匠が、こんないい加減な性格だったなんて……)  かつて世界中を飛び回り、賞賛を浴びた指揮者だ。彼が一声かければ世界中の著名な演奏家達が集まると言われているが、本当だろうか。何せ、この巨匠は第二楽団の常任指揮者になってからの二年間、まったく指揮をとったことがないらしい。  おかげでミレアはオーケストラの練習どころか、第二楽団の先輩達とろくに顔を合わせたことがないという有様だ。  思わず溜め息をこぼすと、言い訳のようにガーナーがまくしたてる。 「だって若い娘はみーんなアルベルトがいいって言うんだよ! 全部あの馬鹿弟子が悪い!」 「ミレア、またやってるの? ドア開けっ放しで、外まで聞こえてるよ」  大きな楽器ケースを肩に担いだ黒髪の美少女が、顔をのぞかせる。ミレアの脇をすり抜けたガーナーが両腕を広げた。 「おお、レベッカちゃ──ふぐうっ!」 「こんなエロジジイ相手にしてて楽しい?」  コントラバスが入った楽器ケースでガーナーの特攻を防いだレベッカは、ミレアと同じ第二楽団配属の新人だ。宮廷楽団員の寮で同室になり、年齢も近いため何かと縁が続いている。 『うちは男爵家だけどミレア様って呼ばないから』  第一声でそう言い放ったレベッカに、ミレアは最初から好感を持った。  宮廷楽団は第一楽団と第二楽団の二つに分かれているが、新人は全員第二楽団に所属することになっている。その後の第一楽団への昇格は実力が問われるが、宮廷楽団の入団自体は多額の寄付金を積めば可能だ。そのため、第二楽団はどうしても実力とコネの玉石混淆になる。  その中でレベッカは実力者に分類される団員だ。彼女が弾くコントラバスは、華奢な体に似合わぬ重低音を出し、音色も美しく、深い。黒髪に色白の肌という見目も舞台映えする。  ただ本人は無愛想で、歯に衣着せぬ物言いをする変わり者と敬遠されている。他人のこともあまり詮索しないため、素性を隠さなければならないミレアとしては大助かりだ。さっきのようにミレアを伯爵令嬢と扱う子達と同室だったら、色々危なかったに違いない。 「楽しくないけど、オーケストラの練習に指揮者は必要でしょ? 第二楽団には他に常任指揮者がいないから、マエストロにやってもらうしかないし」 「こないだの定期演奏会の客員指揮者なら、呼べばきてくれるんじゃない? すごく褒めてたし、ミレアのこと」 「あー、あの新人達だけの定期演奏会ね。アルベルトが反省会で酷評してたやつ」  ガーナーが楽器ケースにぶつけた鼻の頭をさすりながらにまにま笑う。  うっとミレアはつまった。 『じゃじゃ馬が暴れまくって、最後は指揮者を振り落として崖下に激突する光景が見えた』  宮廷楽団に入団して初めての定期演奏会は、お披露目もかねて新人達だけで行われた。そこでコンマスに抜擢されたミレアの渾身の演奏を聞いたアルベルトは、そう冷笑したのだ。 「我が弟子ながらうまいこと言うよねー」 「た、確かに最後の方は……っでも一番の失敗原因は慢性的な練習不足です! 客員指揮者の方に毎回練習みてもらうわけにいかないし」 「なんでそうオーケストラにこだわるの? コンクールで賞とってるし、なんたって〝バイオリンの妖精〟だし、ミレアはその内プラチナ入りでしょ」  第一楽団への昇格。それを考える度に思い浮かぶ腹立たしい顔に、黙秘を選ぶ。  レベッカはその様子を見て、話を変えてくれた。 「それよりこの部屋、練習の予約入ってたよ。出てった方がよくない?」 「おお、そりゃ大変だ。じゃ、これで」 「あっマエストロ!」  ちゃっかり逃亡を図ったガーナーを追って、演奏室から飛び出す。  そこで勢いよく顔面から、誰かにぶつかった。 「ご、ごめんなさい。急いでいて」 「また君か。もうそろそろ〝バイオリンの暴れ馬〟にでも改名したらどうだ?」  その声にミレアは笑顔のまま頰を引きつらせた。よりにもよってだ。 「……アルベルト様。……おはようございます」 「おはよう、妖精殿。目の下にクマを作っていつにも増して不細工だな。寝不足か?」  誰が不細工だ、と怒鳴り返したかったがこらえた。  木から落ちたあの日以来、顔を合わせる度にアルベルトは絡んでくる。どうもミレアが〝バイオリンの妖精〟と持ち上げられるのが気に入らないらしい。調子にのるなとばかりに、やたらと牽制をかけてくるのだ。 (ヘタクソなんて言った手前、私が実力をつけるのが怖いとか? 器が小さい男!)  ──と内心で笑ってみても、嫌味を除けば評価は的確で、言い返せないことが多いのが悔しい。伯爵令嬢らしくないと笑われるのもその通りだが、指摘されると腹が立つ。  複雑な感情を押し隠して、ミレアは精一杯、お淑やかに微笑み返した。 「昨日までコンクールで、緊張してたのかあまり眠れなくて」 「そんな人並みの神経を持ってたのか。どこでも三秒で眠るタイプだと思ってた」 「三秒もいらな……じゃなくて、私は凡人ですから! アルベルト様と違って」  たっぷり含みを持たせて言い返したのに、アルベルトは平然と頷き返した。 「そうだな。君と僕じゃ格が違う」 「嫌味よ!?」 「へぇ、気づかなかったよ」 「噓、気づいてたでしょ! その顔は絶対に気づいてた!」 「はいはい、二人ともそこまで。毎日毎日、きりがないんだから」  アルベルトの後ろから優しい面差しの青年が顔を出した。第一楽団の首席バイオリニストにしてコンサートマスターを務める先輩に、ミレアは慌てて頭を下げる。 「フェリクス様。おはようございます」 「おはよう。今日もアルベルト相手に頑張るね、ミレアさん。見ていて楽しいよ」 「何が楽しいんだ。新人