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作者:九江桜,成瀬あけの
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-12-02(角川书店)
价格:¥580 原版
文库:角川Beans文库

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いじわる令嬢のゆゆしき事情 灰かぶり姫の初恋 いじわる令嬢のゆゆしき事情 灰かぶり姫の初恋 九江 桜 角川ビーンズ文庫 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載したりすることを禁止します。また、 本作品の内容は、底本発行時の取材・執筆内容に基づきます。  目次 一章 男爵家の三姉妹 二章 誰かのため、自分のため 三章 灰の中で眠る乙女 四章 舞踏会は終わっても 五章 消えたアシュトリーテ 六章 歩き出すための靴 七章 王子の急襲 終章 新たな約束  あとがき 「いい加減に……っ、しなさいよ、このお馬鹿! 何回言わせれば気が済むの!」  厨房のただ中で、フェルローレン男爵家の長女であるイザベラは怒声を放っていた。  短い夏を楽しむはずの男爵家別荘から聞こえるのは、笑い声ではなくイザベラの叱責だった。 「またスカートに灰がついてる。灰の中で眠るなんて汚い真似するからよ! そんなに燃え滓が好きだってんなら、あんたのこと灰アツシユって呼ぶわよ、リーテ!」  吊り上がった目でイザベラが睨み下ろす先には、灰でくすんだ使用人服を纏う少女が床磨き用ブラシを握り締めて座り込んでいた。  三角巾から零れ落ちる繊細な髪は白金に輝き、イザベラの叱声に潤む瞳は快晴の空のように澄み渡った色をしている。唇や鼻は小作りで、秀でた額は美しい半円を描いていた。細い手足は頼りなげで、守ってあげたくなるか弱さと可憐さを併せ持つ。  フェルローレン男爵の娘アシュトリーテは、ぼろを着てなお輝くばかりの美貌の持ち主だ。 「アッシュでも、構わないけど。……でも、イザベラ」 「でもなんて言い訳しないの! いったいいつからそこ掃除し続けてるの? どれだけ鈍間なのよ。いつもそうやってやらなくてもいいことをぐずぐずと!」  比して怒鳴りつけるイザベラは、黒くごわつく剛毛を押さえつけるように、幾つもの髪留めを使って纏め上げている。黒い瞳は吊り気味で、怒りで険の目立つ表情は近寄りがたい。  終わらないイザベラの説教に、リーテは俯き言われるがまま。そんな状況を覗き見る使用人は、厨房の入り口で身を寄せ合い、互いを肘で小突き合っていた。 「ちょっと、誰か止めなさいよ。あれじゃアシュトリーテさまが可哀想よ」 「イザベラさまになんて言うんだ? 正妻の娘だぜ。歯向かったら俺らが辞めさせられちまう」 「なら、アシュトリーテさまこそ男爵家の一人娘じゃない! あっちは後妻の連れ子──!」  声を大にした女使用人に、他の使用人は慌てて口の前に指を立てた。 「だからこそだよ。男爵さまの愛情がなくなったアシュトリーテさまは、こうして継子虐めされてても誰も助けられねぇんじゃないか……」  口惜しそうに、使用人は歯嚙みする。家事をして怒鳴りつけられるリーテを助けるには、使用人では力不足だ。できるのは、リーテを見守り、イザベラの目を盗んで慰める程度のこと。  イザベラは背後に集まる使用人に気づかず、リーテを睨み下ろした。 「そんな汚い格好で掃除するなんて、綺麗にしながら汚れ落として行ってるようなもんじゃない。だからいつまで経っても床掃除一つ終わらないのよ!」 「だって……、新しい服ちょうだいって言っても──」 「あんたにあげるわけないでしょ、お馬鹿! 自分の立場わかってんの?」  威圧するイザベラに、リーテは両手で掃除用ブラシを握り締めて顔を上げた。 「うん、わかってる。……だから」 「噓吐かないの! わかってないから、こんな所でぐずぐずしてるんでしょ。さっきあたしが言いつけたこと覚えてる? それとも覚えてるから、やりたくなくてここで床と睨めっこしてるの?」  胸の下で腕を組み直すイザベラのささやかな膨らみに対して、違うと首を振るリーテは瘦せぎすのきらいはあっても出るところは出ている。  容姿も体型も対照的な義理の姉妹を見比べて、男使用人が鼻を鳴らした。 「女の嫉妬は醜いぜ。あぁいう根性曲がりだから、貰い手もないんだろ」 「本当にどうして……。本物のお嬢さまのアシュトリーテさまが服の一つもままならないなんて。奥さまも天国でお嘆きでしょうに」  老いた使用人が目元を拭えば、一度大声を出した女使用人が爪を嚙んで考え込んでいた。 「そうよ。別荘にいらしてから一度だって、アシュトリーテさまのドレス姿見てないわ。せっかくの社交期なのに、どうして着飾ることも許されないの?」  服も満足に与えられず、年頃の少女が髪を梳かす間も惜しんで掃除に洗濯にと勤しんでも、放たれるのはイザベラの怒声ばかり。 「もう我慢できない! アシュトリーテさまをお助けしなきゃ!」 「おい、ケーテ。早まるな……っ」  仲間の制止も聞かず、拳を握った使用人のケーテは厨房へ足を踏み入れようとした。途端に背後で激しく手が打ち鳴らされ、使用人は肩を跳ね上げる。  背後では、赤い縮れ毛の男爵家次女ヴィクトリアが半眼になって眺めていた。 「いつまで仕事ほっぽり出してんの。さっさと持ち場に戻りなよ。……特にケーテ。余計なことするなら、まずは自分の仕事終わらせてからにしな」  居丈高に命じる声音に、イザベラもようやく怒鳴るのをやめた。 「ヴィヴィ、びっくりするじゃない。なんなのよ、いきなり」  蜘蛛の子散らすように解散する使用人に一瞥を向けて、ヴィヴィはイザベラへと呆れた視線を巡らせる。 「気づかないとか……。ま、いいや。で、そっちもいつまでやってんの? せっかく別荘来たのに毎日ベラの怒鳴り声とか、いい加減にしてほしいんだけど」  イザベラは肩を怒らせ、実妹にも容赦なく声を荒げた。 「そんなこと言うくらいならあんたも手伝いなさいよ! それに、その言葉遣いもやめなさいって言ってるでしょ。はしたない!」  一つしか年の違わないヴィヴィは、イザベラの怒声など左から右へと聞き流してリーテへ目を向ける。 「てか、リーテが言うこと聞けばいいだけでしょ。さっさと風呂行きなよ」  ヴィヴィの言葉に、リーテは手にした掃除用ブラシを見下ろして眉を下げた。 「えぇ? やだよ……。わたし、お風呂嫌いなの、知ってるでしょ?」  リーテの口から出た否定の言葉に、イザベラは全身を戦慄かせた。 「やだじゃないでしょ、このお馬鹿! 本当にアッシュって呼ぶわよ!」 「それはいいよ。わたし、灰好きだもの」 「そういうことじゃないの! あぁ、もう……」  リーテの的外れな答えに、イザベラは額を押さえる。  そんな両者に呆れたヴィヴィは、だらしなく壁に凭れて肩を竦めてみせた。 「だから言ったじゃん。本邸離れた程度で変わるわけないって。散々使用人に協力してもらって無理だったのに、こっちで更生なんてできるわけないっしょ」 「何言ってんの、ヴィヴィ! まだここじゃ上手くやってるほうじゃない。三日に一回は髪を梳かすし、顔だって毎日洗ってるわ。土いじりもさせてないからまだ服も灰の汚れだけでしょ!」 「それ、ベラが怒鳴ってようやくじゃん。普通の男爵令嬢よりずっと下だからね。まだまだお嬢さまって枠には入らないから」  ヴィヴィに突きつけられた現実に、イザベラは言葉に詰まって目を逸らす。視線の先では、リーテがまた厨房の床についた油汚れとの格闘を再開していた。 「こら、リーテ! 掃除はもうやめなさいって言ってるでしょ。お風呂掃除のついででいいから、あんたの体の垢も落としてきなさい!」 「お掃除は好きだけど……。体洗うのは嫌なの。めんどうなんだもん」  誰もが守ってあげたくなるか弱さだが、言葉の内容にイザベラは眉を吊り上げる。いい加減、説教だけではリーテが動かないとわかっていた。 「あぁ、そう……っ。じゃあ、灰の好きなお馬鹿さんでもやれる仕事をあげようじゃないの!」  引き攣った笑みを浮かべたイザベラは、リーテの腕を摑み引き立たせる。無理矢理引っ張られたリーテは声を震わせた。 「え、やだよ……。お風呂は、や、いや…………! 乱暴しないで……っ」  掃除用ブラシを取り落とし、泣き言を口にするリーテに、ヴィヴィは目を眇めた。周囲には泣き声に反応した使用人の、心配や義憤に彩られた目がある。 「……やっぱ、卑怯すぎ。顔ばっかでリーテの中身なんてお構いなしじゃん」  イザベラはヴィヴィを振り返り、ついてくるだけの妹に声を上げた。 「ちょっと、ヴィヴィも手伝ってよ。こら、リーテ。ちゃんと歩きなさい」 「やだよ。リーテに関わると碌な目に遭わないって、一年前に学んだから」  ヴィヴィは無碍な言いようで拒否する。イザベラは厨房を後にして廊下を右に曲がり、憤然と言い返した。 「だからって、誰も何もしないんじゃ、この子一生このままよ! 早くに母親を亡くして甘やかされて、使用人まで嫌がることは何もさせないままできたから、こんな美貌の持ち腐れになって。お義父さまもリーテをどう注意していいかわからなくて困ってたんじゃない!」  初めてリーテと出会った日を、イザベラは忘れられない。住み込みの家庭教師として雇われた母と共に訪れた男爵家で、気まずそうに紹介されたのは、使用人よりも身なりが貧しい男爵令嬢だった。  母は家庭教師、イザベラとヴィヴィは遊び相手として共に生活して一年。義理の姉妹となってまた一年が経ち、ようやく改善の兆しが見えてきたのだ。  家畜小屋の藁の塊にも似た縺れ傷んだ髪が、今では金糸の如く輝いている。ここで諦めてしまえば、また元の惨状に戻るのは目に見えていた。  イザベラが進む先には、洗濯の干し場に繫がる裏口。木戸を押し開けば、朝一番の洗濯物が木々の音に合わせて揺れている。 「で、リーテに何も言えなくなってた使用人説得して、お義父さまに造らせたリーテ専用厨房に乗り込んで、怒鳴って言い聞かせて……ようやくこれ?」  手を貸す気のないヴィヴィが指すのは、風呂は嫌だと大きな瞳から涙を零し可憐に泣くリーテ。どんなに汚い格好でわがままを言っても、元の顔の良さが全てを覆い、なんの落ち度もない純粋で清らかな存在に見せかけていた。 「割に合わないわぁ。一年かけてもリーテの意識、何も変わってないじゃん」  本人に変わる気がないのに気力と体力を使うだけ無駄だと、ヴィヴィは失笑する。生意気な妹の言葉に頷く心中を抑え込み、イザベラは前を向き直して言い募った。 「それでも、このままってわけにはいかないでしょ。──少年老いやすく、学なりがたしって言うんだから。女の子なら……、少女老いやすく、良縁なりがたしってところよ」 「ベラ、そこは命短し、恋せよ乙女でいいんじゃない?」 「このリーテが自分で恋してくれるならそれがいいわよ!」  勢い怒鳴るイザベラの勘気など何処吹く風で、ヴィヴィはリーテを見た。 「あぁ、無理っぽいねぇ。アッシュなんて呼ばれて灰が好きだとか言っちゃうリーテと、誰がどうやったら恋に落ちるんだか」  想像がつかないと全否定するヴィヴィに、イザベラは別荘の塀沿いを右手に進みつつ拳を握った。 「一つ二つの欠点なんて愛嬌よ。リーテだったらいける! あたしは諦めないわよ!」 「諦めてよぉ……」  嫌々ばかりのリーテは、イザベラの決意に不平を漏らす。  恨めし気に見上げる姿も、愛らしさを失わないリーテを引き摺って、イザベラは別荘の角を曲がった。 「そうはいかないわよ! あんたが行き遅れたらお義父さまが困るの。娘を嫁に出せないなんて、貴族の間じゃ笑われるのよ!」 「てか、ベラ何処いくの? ここ厨房の外じゃん。何もないでしょ」  ヴィヴィの問いでようやく行き先が風呂場ではないと気づいたリーテは、目から涙を拭うと辺りを見回した。  イザベラの目の前には、地面を覆う敷布とその上に山と積まれた莢入りの豆。  豆剝きの準備が万端に整えられた光景に、リーテの表情は一瞬で輝いた。 「掃除して汚れてもお風呂は嫌なんて言うなら、せめて服を汚さない仕事しなさいよ」  言ってイザベラが手を放すと、リーテは落ち着きなく豆の山と義姉を見比べる。 「いいの? これ、全部剝いていいの?」 「いいわよ。……ただし、ちゃんと敷布の上でやること! 終わったら豆の屑はきちんと払い落とすこと! これくらいは守りなさいよ」  首を激しく上下に揺らしたリーテは、飛びつくように豆剝きに取りかかった。  嘆息するイザベラの隣で、ヴィヴィは莢から豆を取り出す様子に肩を竦める。 「あれ、何が面白いの? あんな量一人でこなせとか、くそつまんない重労働じゃん」 「豆を剝いた後に、中身の詰まったいい豆か悪い豆かを選別するでしょ? あれで水に豆を入れて、浮いてくるのを見るのが楽しいらしいわよ」  ヴィヴィの問いに答えるイザベラも、リーテの趣味嗜好に理解が及ばず無意識に首を捻った。赤毛を弄り出したヴィヴィは、わからないとはっきり口にする。 「てか、あれだけの豆どうするの? どうせリーテは食べないじゃん。身の柔らかい川魚しか食べない上に、豆添えたところで避けるし」  口角を下げたイザベラは、摑んだリーテの腕の細さを思い出し唸り声を上げた。 「うぅん、やっぱりもっと食べさせなきゃ。顔色も悪いし、元の色が白いから余計に傷も目立つし。昨日も何処かで打ち身作ってたし……」  対策を練ろうと呟いたイザベラに、豆しか見ていなかったリーテは顔も上げず声を発した。 「やだよ、わたし。お肉も野菜も嫌いなの、食べたくないの。お豆も土臭くていや。パンも嚙むと顎が疲れるから嫌い。ずっと言ってるのに、どうしてまだ食べさせようとするの?」  わがまま放題の発言に、イザベラが怒鳴ろうと息を吸い込んだ途端、ヴィヴィは口を挟んだ。 「そう言えばさ、ベラ。噂になってんの知ってる?」  脈絡のない問いに、イザベラは叱りつける言葉を飲み込む。目でヴィヴィに先を促すと、不躾に指を突きつけられた。 「フェルローレン男爵家では今、継子虐めが行われてるってやつ」 「……え、…………は? えぇぇええ! 何それ、信じられない。そんなでたらめ──!」  イザベラが嚙みつくように声を荒げると、ヴィヴィは半眼で一瞥を投げた。 「だから、それ。あたしずっとうるさいって言ってたじゃん。ベラ怒鳴りすぎなんだよ。リーテも高い声で泣き騒ぐし。別荘の外にまで響いてんだよ? なのにベラはすぐかっとなって、ぎゃあ、ぎゃあさ。ねぇ、リーテ?」  自覚すべきだと言うヴィヴィは、豆剝きに必死のリーテへ同意を求める。一も二もなく頷いたリーテは、興味ないような様子できちんと聞いていた。 「うん……、怒鳴りすぎだと思う。もっと、優しくしてくれても、いいよ?」 「調子に乗らないの、お馬……っ、か」  怒鳴りそうになる勢いを嚙み殺すイザベラに、ヴィヴィは意地の悪い笑みを向ける。姉としての矜持を搔き集め、イザベラは喉に迫る叱声を飲み込んだ。 「わかったわよ……っ。怒鳴らないようにする。けどね、リーテ。あたしは更生の手を緩めるつもりはないからね。絶対にお風呂には入ってもらいますから」 「えぇ? もうお風呂やだぁ……。顔は洗ってるのに、まだやるのぉ?」  豆を剝きながらぶつぶつと不満を口にするリーテを眺めて、ヴィヴィは感慨深げに呟いた。 「昔は泡も立たないくらい汚かったのに、今じゃ一回の泡立てで済むようになってるし。お風呂に入る時間も短くて済むようにはなったじゃん」  ヴィヴィの肯定的な言葉に、イザベラは勢い込んで反応した。 「でしょ! やっぱり日々の積み重ねが大事なのよ。その内リーテも自分からお風呂に入るように──!」 「ならない! ならないからもうやめようよぉ……」  青い瞳を豆から逸らして、リーテは訴える。そんな泣き落とし程度でもはや小揺るぎもしないイザベラは、腕を組んで義妹を見下ろした。 「ならなきゃ駄目なの。いい? 今は年に一回の社交期よ。この湖周辺に国中の貴族が集まってるの。普段はお近づきになれないような上流貴族とも出会える数少ない機会なのよ」 「わたしまだ社交界に出てないから、関係ないもん……」  小さく反論するリーテに、イザベラは言い聞かせた。 「確かにリーテが社交界に出るのはまだ先よ。社交界に出てなきゃ子供扱いだもの。どんな貴公子からも相手にされないわ。これは年功序列だから、リーテはどうしてもヴィヴィの後。今年は無理よ」  けれどと続けようとしたイザベラに、ヴィヴィは茶々を入れる。 「別にリーテが先でもいいし。年功序列っても、あたしら養女だからリーテ優先してもいいっしょ」 「駄目なの……っ。順番も守れない、慣例を軽んじるなんて見られたら嫁ぎ先が減るわよ。何を言っても今年はあんたが社交界に出る番よ、ヴィヴィ」  怒鳴りそうになる声音を抑えて言い聞かせると、今度はリーテが口を挟んだ。 「やっぱり、わたしの身嗜みとかお風呂とか、今はまだ関係ないよ」 「何言ってるの、お馬鹿さん。リーテなら湖で舟遊びでもすれば誰の目にだって留まるわ。そうすれば、来年でも再来年でも社交界に出た時の摑みが違うのよ。……誰にも見向きもされないより、注目されるほうがいいんだから」  ふと顔を上げたリーテは、無垢な表情で問いを投げた。 「それ、イザベラの経験?」 「……っ! …………い、一般論、よ」  言い淀むイザベラが声を絞り出すと、ヴィヴィが失笑する。 「そんなこと言うなら、少しはお義父さま慰めれば? 下手な相手あてがったって、まだ気にしてんだから。ま、どうせ二人で謝り合戦して何も言うことなくなるんだろうけど」 「わかってるなら今は自分の心配してなさいよ! ドレスも自分で用意するとか言ってあたしに手出させないし!」  気まずい思いを怒りに変えつつ、イザベラは片手で痛む胸を押さえた。  社交界では舞踏が鉄則。社交界に出るのなら、踊る相手と同伴でなければならない。そして社交期の舞踏会は、貴族による貴族のための貴族のお見合いの場なのだ。  婚約者がいるなら結婚を前提とした付き合いのお披露目になり、未婚者は兄や既婚の男性に依頼して踊ることになる。  昨年社交界に出たイザベラには、義父となったフェルローレン男爵が婚約者を用意した。けれど春を前に、その婚約を破棄したのだ。相手に非があることとは言え、義父の交友関係に罅を入れる事態になったことが、胸の内に重くのしかかる。 「……お義父さまのためにも、あたしがリーテを更生させなきゃ」  声にしない呟きは、隣のヴィヴィにも聞こえてはいない。  婚約破棄で気落ちした義父を元気づけるには、愛娘であるリーテを何処に出しても恥ずかしくない淑女にすること。そう思い決め、イザベラは胸に当てていた手で拳を握った。 「別に、ドレスとかは自分でどうにかするけどさ……」  呟くヴィヴィは赤毛の先を抓んで、別荘を囲う煉瓦塀を見つめていた。 「ね、ベラ。踊る相手ってさ、やっぱりお義父さまが決めてくるのかな?」  囁くように吐かれた問いに、イザベラは探りつつ答えを口にする。 「そりゃ、フェルローレン男爵家の娘ってことで出るんだから、この家と交友のある家に頼むのが筋でしょ」  口にして思い出すのは、義父の旧友の息子であった、かつての婚約者の顔。イザベラは強いて苦い舞踏会の思い出を締めだし、元気づける言葉を口にした。 「大丈夫よ。あたしの時は相手が悪かったんだから。ヴィヴィのためにお義父さまも相手はよく考えてくれるはずよ。心配しなくても、ドーンみたいな人……そういないもの…………」  ヴィヴィを元気づけようと口にした名前が、ひどく苦く感じる。  元から下がった口角をさらに下げたイザベラに、ヴィヴィは呆れたように嘆息した。 「他人の心配より、自分のこと心配しなよ、ベラ。ドレス準備できてんの?」 「あたしはいいのよ。もうお披露目した後だもの。目立つ必要もないし」  肩を竦めるイザベラを見上げて、リーテは声を弾ませた。 「ドレス作りならわたし、手伝うよ。お裁縫好きだもの」  怒られない家事を見つけたと言わんばかりのリーテを見下ろし、イザベラは片手を振った。 「ヴィヴィの手伝いならあたしがするわよ。ほら、中に戻りましょ。──リーテ、疲れたらやめていいんだからね」  いつまでも豆剝きをしていなくてもいいと言ってはみるものの、豆の山を消費するまでやめないだろうことは目に見えていた。 「お昼には様子見に来るから」  豆剝きに戻ったリーテは生返事。肩を竦めたヴィヴィは、さっさと別荘の角を曲がっていく。  後を追ったイザベラは、声を潜めたヴィヴィの呼びかけに足を止めた。 「ねぇ、ベラ。あれ、誰だろう……?」  干し場の向こうを指差すヴィヴィに促され、揺れるリネン類を透かし見たイザベラは、一人の青年が立ち尽くしている姿を捉えた。  細身の外套を身に纏った青年は、瞬きもせず榛の木を見上げている。鼻筋の通った横顔は端整で、静かな佇まいは使用人の仕事場である裏口に似合わない上品さがあった。  不審な視線に気づいたのか、不意に青年はイザベラとヴィヴィに首を巡らせる。黒褐色の髪は柔らかく揺れ、細められる茶色の瞳は優しげに緩んだ。 「……イザベラ…………?」  耳に心地良い低い声音に、イザベラは身を硬くする。距離を詰める青年はごく自然に笑みを浮かべ、急ぐ様子ながら乱れた風情を感じさせない品があった。 「ベラ……、知り合い?」  早口で囁くヴィヴィに、イザベラは全力で首を横に振る。  近づく青年の服装をよく見れば、派手な装飾はないものの、模様の織り込まれた高級生地の胴衣を外套の下に着込んでいた。足元に目を向ければ、革靴の照り一つとっても品質の良いものだとわかる。 「あんな上流貴族の知り合いなんて、いないわよ……っ」  声を潜めて返したものの、イザベラは迫る青年貴族に既視感を覚えた。  身を寄せ合うイザベラとヴィヴィの前で足を止めた青年貴族は、懐かしげに目を細める。既知であると言わんばかりの表情に、イザベラは堪らず口を開いた。 「あ、あの! …………どなた、ですか?」  瞬間、青年貴族の笑みが固まった。  信じられないと言わんばかりに眉根を寄せた表情は、厳しく近寄りがたい雰囲気になる。それでも不快さを覚えないのは、やはり元の顔が整っているためだろう。 「……俺を、覚えていない? ベラも、ヴィヴィも?」  愛称を呼ばれるほど親しい相手の中に、眼前の青年貴族はいない。妹と揃って呼ばれては、人違いだとも思えないが、声にさえ聞き覚えはないのだ。  不意にヴィヴィは睨み上げるような角度で首を伸ばすと、青年貴族を凝視した。 「あれ……? もしかしてフリッツ?」 「え、何処に? フリッツって、あの小さなフリッツよね。何処にいるの?」  ヴィヴィの口から出た懐かしい名に、イザベラは反射的に声を出したが、状況を思い出し目を瞠る。  ゆっくりと視線を上げて目の前の青年貴族を窺えば、自らの胸に指を差していた。  聞き覚えのない声。顎を上げなければ目の合わない身長差。落ち着いた紳士らしい立ち姿。何処をとっても七年前に別れた幼馴染みフリートヘルムの姿はない。  ただ一つ、苦笑に細められた瞳の色は、幼少から変わっていなかった。 「え、ほ、本当に、あの……フリッツ、なの…………?」  信じられない思いがそのまま声色として出ているイザベラに、目覚ましい成長を遂げた幼馴染みは懐かしげに笑みを深める。 「ベラ、会いたかった。国に帰ってくるのに七年もかかったんだ。……覚えてないのは、その…………しょうがないさ」 「覚えてないわけないじゃない! でも、そんな……、わかるわけないでしょ!」  寂しげに目を伏せられ、イザベラは慌てるあまり叱りつけるような声音を上げてしまう。フリッツは勢いに押され、呟くように謝ると、ヴィヴィへ確認の視線を向けた。 「わかるわけないじゃん。フリッツって呼んだのも当てずっぽ