后退 返回首页
作者:河合ゆうみ,サカノ景子
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-11-25(角川书店)
价格:¥3672 原版
文库:角川Beans文库
丛书:花は桜よりも華のごとく(8.5)
代购:lumagic.taobao.com
【合本版】花は桜よりも華のごとく 全8巻 【合本版】 花は桜よりも華のごとく 全8巻 河合ゆうみ 角川ビーンズ文庫  目次 花は桜よりも華のごとく 花は桜よりも華のごとく 第二幕・月下氷刃 花は桜よりも華のごとく 第三幕・鬼炎万丈 花は桜よりも華のごとく 第四幕・疾風神雷 花は桜よりも華のごとく 第五幕・真剣勝舞 花は桜よりも華のごとく 第六幕・桜花嵐漫 花は桜よりも華のごとく 第七幕・悲花落葉 花は桜よりも華のごとく 第八幕・百華繚乱 巻末特典 花は桜よりも華のごとく 河合ゆうみ 角川ビーンズ文庫 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載したりすることを禁止します。また、 本作品の内容は、底本発行時の取材・執筆内容に基づきます。  目次 壱番目 神の章 弐番目 男の章 参番目 女の章 四番目 狂の章 五番目 鬼の章 六番目 祝の章 あとがき  ぽん、ぽぽぽん。  鼓の音が空気を震わせ。  ぴーい。  笛の音が空気を切り裂く中、桜色の衣をまとった少年が『女』の扮装をし、急ごしらえの小さな舞台の上で、艶やかに扇を翻す。  面は、若く美しい娘を模った『小面』。  遠目にもわかるほど華奢な肢体が、あまり見ない、変わった装束をまとっていた。  地色は濃い紅だが、その上に砧で柔らかく打った艶やかな白衣を重ねているので、舞い人が動くたびに桃色、薄紅色にとその色合いを変える。流れる水のように流麗な、色彩の変化。  半月形の長い袖からは一本、そよ風にさえ揺れるような透ける細長い布が縫いつけられて垂らされ、手や扇と共に揺れて華やかな軌跡の余韻を残す。細袴は葉桜の色に染められ、薄紅の帯が蝶のような形に結ばれて、小さな背中に広がっていた。  ここは京の都の四条の河原。今は諸国の大名が覇権を争う時代の狭間。  空の青と水の青に挟まれて、桜の精がひとり、咲き誇る花びらのように華やかに。  ひらりと翻る扇からは、まるで桜の香りが漂うよう。  ふわりと揺れる袖からは、桜の花びらが零れ落ちるかのよう。  さらり。  扇が描く緩やかな曲線の跡に、金砂がさらさらと散って見えるのは気のせいか。  それほどまでに美しく危うい、極上の舞。夢幻の一時に、観衆は息を飲んで魅入る。  天女のように身軽く、優雅だけで織りなしたような舞いを舞う、この舞い人は誰だ。今までこの京に、こんな舞い人はいなかった。人々は瞬きすらも忘れて舞台を見つめる。  舞台の少年は舞いの仕上げに、袂に隠し持っていたものを摑み取り、ぱっと撒いた。  馥郁とした香り豊かな春告げ草の花びらが、桜の舞いに降り注ぐ。  これは、夢か幻か。うっとりとした余韻を残して、舞いは終わる。 「見事だ、日輪座!」 「何と美しい……!」  どよめきと歓声とが辺りを埋め尽くして、日輪座の京初興行は大成功を収めたようだ。 「さっきの『吉野天人』の主シ役テが、白火さまでしょ!? 昨日、客寄せで白火さまが大通りを歩いていた時に初めて見たの。素顔がすっごく綺麗でもう夢中~! 何て言うかね、透き通るみたいに綺麗で、本物の桜の精かと思っちゃったわ~。しかも舞いも上手だしすっごく色っぽかったし、ああん、もう幸せ~!」  日輪座の舞台を観た帰り、年若い京娘たちが、興奮冷めやらぬといった面持ちできゃっきゃっと笑いさざめく。桜の幹にもたれて煙管を吹かしていた蒼馬は、空気すら動かさないような身のこなしで幹の後ろに姿を隠した。今は、目立ちたくないし騒がれたくもない。 「あたしってば、役者を見る目があるのかも~」 「あら、あたしだって。昨日、どこの座の方ですかって話しかけたら、白火さま、少し笑ってくれたんだから。日輪座の白火と申します、よろしければどうぞお越しくださいませって、あたしのことじっと見つめて言ってくれたのよ! 白火さまって、近くにいるとすっごく良い匂いがするの~」 「えー、うそ何それ、羨ましーい!」 「うふふ~。今まで、柚木座の蒼さま一筋だったんだけど、何か白火さまに浮気してしまいそう……心が揺れてる……」 「何よ、浮気者ぉ。でもわかるわあ、その気持ち。何かしら、蒼さまには遊ばれてみたいけど、白火さまは──そうねえ……あたししか知らない場所で大切に飾り立てて、ずっと大切に抱き締めていたい感じ? 他の誰にも見せたくないわ。閉じ込めちゃいたい」 「きゃー、それ、大胆な発言ねえ~!」  かしましく行き過ぎかけていた娘たちのひとりが、通り過ぎる間際にふと足を止めた。 「あら、何、この匂い? いい匂い……きゃ~! 蒼さまだわ~!」  蒼馬の僅かに焚き染めた香を嗅ぎ取り、振り向いた娘が顔を真っ赤にして口元を手で覆う。 「うそ、なんで蒼さまがここに!?」 「──あんまり騒がないでくれよ。お忍びなんだからさ」  苦笑いした蒼馬が粋なしぐさで目配せすると、娘たちは声を押し殺して色めき立つ。 「こんな近くで蒼さま見るの初めて~!」 「くらくらする~……」 「蒼さま蒼さま、この後お暇なら、お茶でもいかがですか?」 「生憎だけど、ちょっと野暮用があってね」 「えーっ、残念」 「それより、さっきの『吉野天人』、あれをやっていたのは白火っていうやつなのか?」  一体どこから集めてくるのか、年頃の少女たちの情報は、どこよりも早く正確だ。今日興行が始まったばかりの日輪座の花形役者の名前を、もうしっかり押さえてある。 「そうですよ、日輪座の太夫の息子の、白火さま。蒼さまも観てたんですかぁ? 綺麗でしたよね、白火さまの『吉野天人』」 「ああ、悪くなかったよな。基礎がしっかりしてるし、感情表現も見事だった」 「天下の蒼さまが褒めるなんて、やっぱり白火さまって凄いわよねえ!」 「でも蒼さまも素敵~!」 「ありがとよ。ほら、早く帰りな。もう陽が暮れるぞ」  娘たちを適当にあしらって帰し、蒼馬はぼそっと呟く。 「──俺は、遊び相手には後腐れのない大人の女が好きでね。素人の、しかもおぼこ娘なんて面倒そうなもの、絶対にごめんだ」  首を巡らせて、河原に立てられた幟に目を留める。 「さて、と」  先ほどの桜の女。蒼馬の知っている限り、『吉野天人』をあそこまで上品に、体重などないかのように身軽く舞った人間は初めてだった。 「日輪座の白火、か……。欲しいな」  ぷかりと、煙管を唇から離して白い煙を吐き出す。  あの天与の才。  まだ原石だが、磨けば凄いことになるだろう。 「疲れた~!」  面を取ったままの姿で桜天人が、舞台裏手にある小さな幕で仕切られた支度部屋に戻ってくるなり叫び、ころんと転がる。 「お疲れ様、白火……って、いやあああ、お装束のままで寝っ転がらないで!」  一座の若太夫の帰りを待ち受けていた黒髪の美少女が悲鳴を上げ、白火の身体を抱き起こして甲斐甲斐しく帯を解き始める。 「一応新調なのよ、このお装束。とても一人前には足らないから安く売ってくれた反物なんだけど。うん、白火なら何とか足りたわね。我ながら良い出来だと思うの、これ。よく似合っていたわよ」  陽に透ける薄茶色の、蕩けるびいどろを嵌め込んだような大きな瞳が、今はとろりと眠気に潤んでいるのが美しい。小さな顔の中で双眸だけが大きく、花びらのような唇は小さくて甘やかさを含む。  一見、冷たい印象を与えるほどに整った美貌だが、どこかに人懐こさを示しているのか、少年にしては線の細すぎる、愛らしい印象を受けた。 「ありがと、朧……」  細身の美少年の口調はほわほわと頼りなく、声は高くて甘い。白火が眠い時、疲れているときの癖だ。 「まだ寝ちゃだめよ。そんなに疲れたの? やっぱり緊張したんだ?」 「当たり前だ、初めての京での興行の初日に緊張しなかったら、そいつの神経はきっと鋼か何かでできているんだろうさ」 「矢涼なんかはそっちかしらね。全然平気そうな顔してたもの。ほら白火、袖抜いて」  こまごまと世話を焼いてくれる幼なじみの朧にすべてを委ねきるように、白火はくったりと力を抜いて安心しきっているようだ。よほど、朧という少女のことを信頼しているのだろう。  白火の属する流派で舞台に立つのはすべて男、女人禁制が掟だ。元々が神仏に捧げる奉納舞から始まったとされる能は、女性が表舞台に立つことを決して認めない。女性は裏方を務め、縁の下の力持ちとして座を支えるのが常識となっている。 「はい、お水飲んで。お神酒は?」 「舞台裏で口つけてきた」 「まさかそれ、飲んでないわよね?」 「うん」 「そうよね。白火、笑っちゃうくらいお酒に弱いんだもの。飲んでいたら支度部屋まで戻って来れていないわね、きっと」  上衣や仕掛けをすべて解き、下着代わりの単衣姿にしてやると、これ以上の着替えは面倒だとでも言いたげに、白火は再び床に寝そべってしまう。 「──よっぽど疲れたのね。少し休んでいるといいわ。お腹空いてる?」 「いらない……」 「そう。後で、何か甘い物を持ってきてあげるわね」 「──うん」  敷物を腕に抱え込むようにして身体を丸め、白火はもうとろとろとまどろみ始めていた。無心に眠っている横顔は、疲れているせいかいつもより白さが増し、透き通るかのようだ。  全体的に色素が薄いらしく、ほのかな色香を漂わせる細い首筋にはらはらと落ちかかっているのは、稲穂の濃い所のような色の髪だ。さらさらとして艶やかな髪なのだが、朧のように漆黒ではない髪の色を、本人は気にしているらしい。 「変なことを、気にするのよねぇ」  頰に落ちてくすぐったそうな髪を一筋払ってやってから朧は足音を忍ばせて支度部屋を出、誰もいない場所に向かってそっと囁く。 「矢涼、いる?」 「何だ」  すぐ傍から聞こえてくる、馴染みの深い声。気配もなく天幕の前に佇んでいた一座の笛方の青年を見上げ、朧は天幕の中を目線で指し示した。 「寝ちゃったのよ。しばらく、見張りをお願いできる?」 「わかった」  言葉少なな性質の矢涼の返事はいつも短く無愛想だが、朧は慣れているので一向に気にしない。  いつのころからか、座の花形である白火の身辺を、陰ながら自発的に警護するようになったのだ。白火が矢涼に助けられたことは一度や二度ではない──何せあの美貌だから、行く先々で男たちに絡まれることは数え切れない。もっとも、そういう時はすぐに矢涼が助けているから、白火に実質的な被害はないのだけれど。 「疲れているところ悪いけど、よろしくね」  朧の頭上で、矢涼が無表情に頷いた。  京での興行を始めて、数日が経った。初日から大入り満員で、日輪座は嬉しい悲鳴を上げている。 「日輪座の白火か?」  舞台を終え、身支度をして天幕から出てきた白火は、背後から呼び止められて思わず足を止めた。聞き慣れない声だ。さらりとしていて、低すぎはせず、高くもなく。 「誰だ?」  振り返り、目を瞠る。  そこには、妙に目立つ、辺りを払うような雰囲気をまとった青年が立っていた。  かすかな笑みを刷いた唇に、火を消した黒光りする煙管をくわえたまま、腕を組んで悠然とした眼差しを白火に向けている、その造作。その華やかな存在感は、太陽のような眩しさに溢れていた。  すっと筆で一刷きしたような眉に、切れ長で涼しげな目元。薄めの唇には男らしい色香が漂い、高い位置で簡単にまとめた髪が風に揺れていた。すらりと背が高く、しなやかな体軀に浅緑の着物の胸を寛げて、大胆な着崩しと無造作に穿いた袴。鮮やかな色合いの組紐で髪をまとめ、武士でも町人でもない『傾き者』の出で立ちだった。けれど、男臭さと同時にどこか危うい美しさが漂い、不思議な印象を醸し出す。 「何の用だ?」  舞台裏には、日輪座と、その関係者以外は入れない。全然悪びれていないし物盗りの類でもなさそうだが、白火はつと身構えた。大きな声を上げれば、矢涼たちがすぐに気づくはずだ。 「名乗れないなら、人を呼ぶぞ」  白火と同様に、こちらを値踏みするようにじっと眺めていた男が不意に、妙に人懐こい笑みを浮かべた。 「俺は蒼馬だ」 「蒼馬……?」  聞き覚えのあるその名前に、白火は小首を傾げる。聞いたことがある。  蒼馬──それは。 「もしかして、柚木座の蒼馬さま!? 京一の舞い人と名高い、あの蒼馬さま!?」  思わず指差して叫ぶと、蒼馬が苦笑いする。 「まあ……そう、かな。面と向かってそう言われるとくすぐってえな」 「あの……っ、は、初めてお目にかかります! 日輪座の白火と申します!」  勢いよく頭を下げた白火に、蒼馬は手を差し出した。 「ああ、よろしくな」  差し出された手を握る。蒼馬の手は思った以上に大きく、さらりと乾いていて心地よい感触だった。白火は大感激して目を潤ませる。 「はい、こちらこそっ! あの、あのっ、オレ、一昨日の蒼馬さまの奉納舞、観に行きました! 凄かった! さらっとしているのに滲み出る想いが凄くて、圧倒されました!」  これほどまっすぐな感想を言われることはそうはない。蒼馬は思わず笑ってしまった。 「俺も見たぞ。『吉野天人』、なかなかだった。お前、流派はどこだ? 師匠は? 今まではどこで舞っていた?」  矢継ぎ早に問われ、白火は憧れの人に会えた嬉しさに頰を染める。舞い人で、蒼馬に憧れない者などいるはずがない。 「生まれた時より、父、一陽に教えられました。一応、扇をおもちゃ代わりに育てられましたので。流派は傍流ですが、元は観世の流れを汲むと聞いております。京に来るまでは、もっぱら田舎回りを」 「そうか。それであの舞いとは上等だ。女舞いが得意か。まあ、その身体では当然だろうがな」  ちら、と流された視線が細い手足を透かし見ているような気がして、白火は恥ずかしくなってしまった。 「年は」 「十六です」  十六にしては丈が低く軀つきも細すぎるし、声も高く、甘い。 「祝儀に酒でもと思ったが、お前にはこっちの方が似合いかな」  蒼馬は袖から、小さな袋を取り出してぽんと放り投げた。弧を描いた袋は、白火の手の中にすとんと収まる。 「え」 「金平糖だよ」 「金平、糖……?」 「何だ、食ったことないのか。南蛮菓子だよ。甘いぞ」  恐る恐る袋を開いて指先で摘み上げる。  不思議な形をした、綺麗なころころとした固まり。まるで、星をぎゅっと小さく縮めたかのように見える。 「これが、食べられるんですか!?」 「ああもちろん。砂糖だ」 「凄い! 後で、弟たちにもわけてやります! きっと喜びます! こんなに綺麗な菓子を見たの、初めてです!」  この時代、菓子は高級品だ。蒼馬は違うが、白火たち普通の芸人は、食べていくだけで精いっぱいの暮らしだった。  白火が嬉しそうに、手のひらの上で金平糖を転がして遊ぶ。 「……白火」 「はい、何でしょうか?」  白火が無邪気に蒼馬を見つめる。その視線は、十六歳という年齢よりもあどけなかった。何も汚れを知らないようなその瞳に、蒼馬は内心気圧される。無言で扇を取り出すと、薄茶色の双眸が、驚きにゆっくりと見開かれた。 「あ…………」  ──来し方より 今の世まで 絶えせぬものは    恋といへる曲者    げに恋は曲者  蒼馬が『花月』を舞い始めると、白火は吸いつくようにその動きについてきた。意志よりも先に身体が反応したという感じで、空気に乗るように、すい、と伸ばされた腕に、蒼馬は軽く瞠目する。身軽いとは思っていたが、こうして間近で見ると、本当に空気に乗るような軽やかさが見事だった。  ──これはまた、随分と……。  舞いのために鍛錬した軀はすらりと伸びやかだ。頭が小さく手足が長いので、小さな所作も優雅に映える。少々細過ぎるものの、白火が常に稽古を怠っていないのがはっきりとわかった。  能は、即興の要素を重視する。蒼馬の仕掛けたさまざまな動きに、白火は戸惑うことなくさらりとついてきた。舞いがぴたりと心地よいほどに揃って、蒼馬は一瞬我を忘れる。  ──なんだ、これは…………?  初めて味わう感覚だった。今まで知らず欠けていたものが今、初めて満たされたかのような陶酔に戸惑いながらも蒼馬ははっと気づく。  蒼馬と共に舞っている白火が、合わせているのだ。恐らくそのことに、白火自身気づいていないだろう。蒼馬の動きを感覚だけで摑み、自身の舞いに没頭しながら合わせてくる。蒼馬は、わざと動きをゆっくりしたものに変えた。その突然の変化にも、小さな軀は自然についてくる。  ──…………っ!  蒼馬の背筋を、ぞくりとしたものが走り抜ける。それは、自分と同等、もしくはそれ以上の好敵手を見つけた蒼馬の、役者としての本能だ。  優美な獣を思わせる、しなやかな色香の蒼馬と。  桜のような艶やかな色香の白火と。  蒼馬は気を引き締めた。うかうかすると引きずられそうなほどに、白火の紡ぎ出す舞いの世界は深い。  自分の胸の奥深くにじっと秘めてきた野望が燃え上がるのを感じ、蒼馬の身体の芯に火が灯されたような気持ちになった。  白火はきっと、自分と同じ性質の役者だと確信する。高処を目指さずにはいられない、舞いに取り憑かれた人間──それこそが、生粋の役者だ。 「気に入った」  蒼馬が白火をじっと見据える。華奢な体軀の舞い人は息を荒げ、頰は舞いの余韻で赤く火照っていた。 「蒼馬さま?」 「俺の座に来い、白火。お前を、最高の舞台で舞わせてやる。お前の舞いは、磨けばもっともっと上手くなる。こんな貧乏な一座にいたのでは、せっかくの才能が泣くぞ」  白火はしばらくぽかんと蒼馬を見上げていたが、やがて、ゆっくりと首を振った。 「ここはオレの生まれ育った一座です。何も問題ありません」  まっすぐで無垢できかんきな眼差しに、蒼馬は思わず苦笑した。  あまり今まで、嫌なことに遭ったことがないのだろうと思わせる、子供の瞳だった。 「まあ、そうだろうが……舞いの道は、どこまでもどこまでも高処が続く。終わりはない。芸人としての最高を目指すためには、家族だののしがらみは足手まといになるだけだぞ」  それは、蒼馬の常識だ。  京でも不動の人気の柚木座。世襲ではなく、芸のみを自らの誇りとする生粋の芸人たちが集まった異色の座で、次期太夫となる実力を認められた青年は、芸の道に関しての意識は高い。一種傲慢とも言えるその言葉に、白火がむっと唇を尖らせる。 「オレの生き方はオレが決めます。あなたの指図は受けません」  今度は、蒼馬がつと顔をしかめた。  この京で、芸に関して蒼馬に真っ向から逆らう人間など、そうはいない。ましてや、移籍を断られたことなど初めてだ。 「俺は、お前のためを思って言っている。この座では、お前は成長できない。一座がお前ひとりに伸しかかっている有様じゃねえか。とても見ていられない」 「じゃあ見なければいい。ここは、太夫の息子のオレが、将来背負う一座です。当たり前です。オレは、この座のために舞っている」 「ふうん。一座のために、ね。自分自身のためじゃないって言うのか?」 「…………」  白火は、ぐっと口を噤んだ。  自分自身のために舞っている──それは、違うと言ったら噓になる。舞っているときのあの高揚は、実際に舞った者にしかわからない。その心地よさを誰よりも熟知しているだろう蒼馬の前で、白火は言葉に詰まってしまった。  蒼馬が腕を組んだまま、顎を上げる。 「そらみろ。反論できないじゃねえか」 「でも!」  馬鹿にしたように鼻を鳴らされ、白火が真っ赤な顔をして喰ってかかる。 「オレは、この座でしか舞えないんだ!」 「何故だ?」  打って変わって冷徹な眼で見据えられ、白火は唇を嚙んだ。  言えない。  これだけは、絶対に言えない。 「白火?」  鋭い眼差しに絡め取られ、うっかり墓穴を掘らない内に白火はこの問答を終わらせることにした。元々、言い繕ったり言いくるめたりは大の苦手なのだ。 「あ、あなたには関係ないだろう! 放っておいてください!」  ばっさりと切り捨てられて、切れ長の双眸の奥に、おもしろくなさそうな光が生じる。 「──そうか。じゃあ好きにするがいいさ。だがな、白火。これだけは言っておく。後で言おうと思ってたんだがな」  うつむいたまま顔を上げようとしない白火の小さな頭を見下ろしながら、蒼馬は低い声で威圧的に言い放つ。 「お前の舞いには、最大の欠点がある」  ぴくり、と華奢な肩が揺れる。 「お前、変な癖を持っているな。能の女舞いは、『男』が舞うから本物の女にはなれない。だからこそ、生々しい女とは違う、別の『生き物』になる必要がある。より女らしくより美しく──そこにあるのが能舞の美学だ。お前の舞いは、女よりも女臭いときがある。あれを直せ。このままじゃ、『女』の演目以外舞えなくなるぞ」  きゅっと握られた拳がふるふると震え、きっと睨み上げた薄茶の瞳に今にも零れ落ちそうなほどに涙が浮かんでいるのを見て、蒼馬はぎょっとした。 「…………っ」 「どうした」  泣くもんかと頑固に食い縛った唇が紅を塗ったよりも赤く変化し、長い睫の先から水滴が滴り落ちる。瞳が大きいと涙も大粒なのかと、変なことに感心する。 「オレが……っ、女っぽいって言うのか……!?」  あまりにも悲しそうなその表情に、蒼馬が腰を屈めて白火の頰に手を伸ばそうとする。 「少し言い過ぎたかもしれないが、何も泣かなくても」  ぱちん!  小気味の良い音が響き、蒼馬は束の間、茫然と目を見開いていることしかできなかった。  小さな手が、蒼馬の頰を思いっきり平手打ちしたのだ。 「蒼馬さまの馬鹿野郎っ! 言いたい放題言って!」  すばしっこい身体はそのまま走り去り、あっという間に見えなくなってしまった。  叩かれた頰は僅かに赤くなりはしたものの、大した痛みもない。 「……やってくれるじゃねえか」  この程度、蚊に刺されたほどの痛みも感じないが、格下の相手に殴られるなど生まれて初めての体験だ。  柚木座の蒼馬に憧れながら、移籍の話はにべもなく突っぱねる。女っぽい舞い癖を指摘すると、泣いて怒って引っぱたく。 「なかなか、おもしろそうなやつだな」  むくむくと湧き上がる興味は、急速に蒼馬の中で育ってゆく。  蒼馬はそのまま、くるりと踵を返してその場を後にした。  ばふっ。  白火は収まらない苛立ちをそのままに、乱暴に髪を解いて頭を振り、解いた帯を床に投げつける。 「何なんだ、何なんだ何なんだまったく! 何であんなに言いたい放題言われなきゃいけないんだ!? こっちの気も知らないで! ちくしょう、蒼馬さまの馬鹿野郎!」  日輪座の仮住まいとして借りている古めかしい館でひとり、ぶつぶつと不満を零す。まだ憤りが収まらなくて、できることなら、そこらを走り回って喚きたい気持ちだ。 「大体オレが移籍なんてできるわけないじゃないか!」  夜はすっかり更けて、人の多い館も静まり返っている。  小さな庭に植えられた黄梅の花が、今盛りだ。迎春花とも呼ばれるこの花が終わると、いよいよ本格的な春になる。  専用に与えられた小さな部屋で着替えていた白火は廊下から聞こえた小さな物音に、ばねのように反応した。着物を脱ぎかけていたせいで露わになっていた左の二の腕を、ほとんど怯えたように慌てて覆い隠す。 「誰だ、誰かいるのかっ!?」 「しぃっ。あたしよ、白火」 「朧」  寝間着に解き髪の朧が、小さな紙燭を掲げて入ってきた。白火が咄嗟に腕を隠したしぐさを横目で確かめつつも、さりげなく目をそらす。 「さっきから何暴れているの? あまり大声出すと、大部屋の皆に聞こえちゃうわよ。何か手伝うことある?」 「いや、ない……お休み」 「お休みなさい。何かあったらすぐに呼んで」  日輪座は大し