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作者:辻村七子,雪広うたこ
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-11-18(集英社)
价格:¥562 原版
文库:Cobalt文库

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宝石商リチャード氏の謎鑑定 天使のアクアマリン (集英社オレンジ文庫) 集英社eオレンジ文庫 宝石商リチャード氏の謎鑑定 天使のアクアマリン 村七子 この本は縦書きでレイアウトされています。 本書は書き下ろしです。 CONTENTS case.1 求めるトパーズ case.2 危ういトルコ石 case.3 受けつぐ翡翠 case.4 天使のアクアマリン extra case. 傍らのフローライト イラスト/雪広うたこ  早いもので、俺が宝石店でバイトを始めてから半年近くが経過しようとしている。  今年の四月にオープンした、銀座七丁目のジュエリーショップ『エトランジェ』。毎週土日の俺のバイト先である。大学生のアルバイトを雇う宝石店なんて珍しいと驚かれたこともあるが、俺の他には店主一人しかいない小規模経営だし、そもそも仕事はお茶くみと掃除くらいなので、まあそういう店もあるんだろうと今では思っている。 「お茶お待たせいたしましたー」 「あらあら、アイスミルクティー? 喫茶店みたいね」 「ロイヤルミルクティーです。紅茶にミルクを注いでるんじゃなくて、ミルクで茶葉を煮立ててるんです。お好みに合いました?」 「もちろんだけど、珍しいものを出してくれるお店なのね」 「萩乃さん、お茶なんかいいから。石をご覧よ。石を見に来たんだよ」 「はいはい」  今日は土曜日だ。まだまだ夏の日差しが厳しいが、あと一カ月もすれば、氷を入れたお茶よりも、温かい飲み物のほうが喜ばれる季節になるだろう。いや去年は十月まで相当暑かったから、もう二カ月くらい待たないと駄目か。冷蔵庫で冷やすだけとはいえ、アイスロイヤルミルクティーは、普通のロイヤルミルクティーより手間なので、お茶くみとしては寒い季節のほうがありがたい。 「正義、お茶菓子はあとで構わないとのことです」 「気が散っちゃいますからね。いいよね萩乃さん」  業務用スマイルで微笑むのは、ロイヤルミルクティー過激派ことリチャード・ラナシンハ・ドヴルピアンである。一日最低四杯はこのお茶を飲み高級菓子を貪り食っているのに、初めて会った時から一ミリも太ったように見えない未知の生き物だ。おまけに美しい。生きた宝石のような存在だ。金髪碧眼白色人種の男性だが、日本語とその他の言語を流暢に話す。何カ国語イケるのか俺は知らないが、両手の指では到底収まらないだろう。  午後からお越しの田村ご夫妻は、二人とも五十代半ばくらいの容貌に見えた。インペリアル・トパーズを見せてほしいという予約は二カ月前から入っていた。初来店だが、知り合いからこの店のよい評判を聞いたそうで、ぜひ店主のお手並みを拝見したいという。気合十分だ。リチャードも彼の熱意に応えて、いい石をいくつも仕入れていたようだし。  リチャード自慢の、扁平なベルベットの宝箱には、夏の日差しの塊みたいなオレンジ色の宝石がいくつも並んでいた。大きさは小指の先くらいのものから、親指の爪サイズまでさまざま。グレーがかった色やベージュ色、ピンクの石もあって、どれもそれぞれきれいだが、ひときわ目を引くのはやっぱり、強烈なオレンジ、あるいはブラウンの石だ。透明度が高いようで、どれも光を反射してキラキラ輝いている。かっこいい。こういう色の石なら、男性でも身につけやすいだろうか。  それにしてもトパーズというと、俺の付け焼き刃の知識の中では、なんとなく青い石というイメージだったのだけれど、『インペリアル』とつくトパーズは、ああいう色をしているものなんだろうか。インペリアルは多分『皇帝の』という意味だろうが、オレンジ色は皇帝の色だったんだろうか。だとしたらどこの?  好奇心でうずうずし始めた俺を牽制するように、リチャードは輝くような笑みを浮かべた。脈絡のない美貌の笑顔は、正直怖い。わかってます、わかってます。どうも俺は、必要以上に気安いというか、余計な一言が多いらしい。リチャードにもう何度も言われているのに、なかなか改められない厄介なバイトなのだ。フレンドリーな接客を喜ぶお客さまばかりではない。今はまだ静かにしているべきだろう。 「やあ、見事なもんだな。インペリアル・トパーズって、アメシストやガーネットみたいに、普通こんなに並べられるものじゃないでしょう。この『エトランジェ』は、ブラジルの鉱山に縁のある会社なんですか?」 「確かにこちらの大半はブラジルの石ではございますが、スリランカのものもございますよ。田村さまは石の産地にお詳しいのですね」 「えっ? あはは! まあコレクターのようなことを十年くらい続けてましてね。ジュエリーコレクターじゃなくて、ルースコレクターですが。どうも石が好きで。男らしい趣味でもないもんで、友達にはなかなか言えませんが」 「そうでしょうか? 私の知る限り、宝石のコレクターには女性よりも男性のほうが多いものです。最も有名なのは、自然史博物館にコレクションを寄贈した」 「ジョン・モルガンでしょう。知ってますよ。ニューヨークの博物館のブルートパーズはすごかったなあ。ねえ萩乃さん。覚えてる? 一緒に見たよね」 「覚えてませんよ。あなたどんどん先に行っちゃうんだから」 「まあ、家内にはちょっと不評な趣味なんですがね」  そう言って田村さんは、笑いながら自分の話をしてくれた。田村帝一。五十三歳。証券会社の大きな部署の副部長さんだそうで、話し方がきびきびしていて声が大きい。他方、奥さまの萩乃さんは小柄で色白な人で、ナチュラル志向のゆるっとしたワンピースに、白いストールを巻いていた。半ば白髪の髪の毛を、ビーズの髪飾りでお団子に結っている。きれいな人だ。ビジネス用にも使えそうなシャツとスラックス姿の帝一さんとは大分ベクトルが違うが、確かな自分の好みを持っている人という感じだ。でも彼女はあまり喋らない。というか。 「ねえ萩乃さん。これはどう。とてもいいよ、持ってごらんよ」 「いいよいいよって言われても、わかりませんよ。ご店主さん、これは全部同じ種類の石なんですか?」 「左様でございます、インペリアル・トパーズの」 「当たり前じゃないか! インペリアル・トパーズを見せてくださいって頼んだんだからさ。ほらきれいだろう、手に取って見てみるといいよ。ライトも持ってきたから」 「もう何が何だか……」  帝一さんは、全部自分でやりたがるタイプの人のようだった。あのリチャードが言葉をはさむ暇がない。いわんや萩乃さんをやである。カバンから取り出した黒いライトは、リチャードが使っているのと同じ種類のものだった。 『ジュエリー・エトランジェ』は通好みの店らしく、ひやかしで来るお客さまは少なく、それなりに宝石のことを知っているお客さまが多い。銀座の前にリチャードが働いていたという香ホン港コン店舗時代からの常連さんや、特定の石のコレクター、ブランドのジュエリーよりも『いい石』のついたジュエリーが欲しいという人などなど。店主を道端で助けたご縁のみでアルバイトを始めた俺が、店内で一番の素人という局面もしょっちゅうだ。お客さまの退店後、俺が素朴な疑問を訴えると、リチャードはその都度嫌な顔もせず、素人用にかみくだいた説明をしてくれた。質問すればするだけ答えてくれる。俺はあのレクチャーが好きだ。リチャードは語りがうまいから、いくら聞いても疲れない。  それが特別な才能だということは、けっこう前からわかっていたつもりだったのだが。 「萩乃さん、トパーズはオパールみたいに柔らかい石じゃないから、そんなにおっかなびっくり触らなくてもいいんだよ。今持ってるそれよりこっち、こっちの石を見たほうがいいよ。カッティングがすごくいい。職人さんを雇ってるんですか?」 「こちらと、こちらの二点はアメリカのディーラーから流れてきた石ですが、こちらの石はカットの段階から手掛けた石でございます。スリランカのカッターのものでございますね」 「紅花みたいで素敵ねえ。あら、この石はピンク? 可愛らしいわ」 「ピンクなんて昔は『インペリアル・トパーズ』とは呼ばなかったんだよ! 一番いいのはシェリー色って言って、きれいな茶色の石なんだ、そうですよね?」 「ええ、まあ」 「ほら僕の言う通りだ! だからね、ピンクより深いオレンジの石のほうが珍しいし、それよりもこの茶色っぽい石のほうが、いいと思うなあ。いやあ素晴らしい」  帝一さんは、おもちゃ売り場にやってきたばかりの子どものようにはしゃいでいる。向かいのリチャードは微笑みながらフォローを出してはいるが、帝一さんの隣に腰掛けた萩乃さんの表情は、曇ってゆくばかりだ。  帝一さんはリチャードの許可を得てから、玉手箱の中の石を全部配置換えして、ずらりと一列に並べてみせた。彼流の格付けらしい。こっちから順にいい石、そんなによくない石と彼は並べたが、彼のいう一番いい石というのは、キラキラ輝いている色味の強いブラウンかオレンジの石のことのようだった。ピンクやペールオレンジは割合とどん尻で、萩乃さんがいいなと言っていたピンクは後ろから三つめだった。 「どうです? 合ってます?」 「さあ、石のお好みはお客さまそれぞれですので」 「そういうことじゃなくて、価格の話ですよ。合ってます?」 「……それでしたら」  おおよそご予想の通りかと、とリチャードは頷き、真ん中のオレンジ色の二つを入れ替えた。帝一さんはあと一歩でクイズの全問正解を逃したような顔をして、嬉しそうに膝をうった。そして褒めてほしそうに萩乃さんのほうを見たが、彼女は完全に白けた顔をしていた。 「ねえ萩乃さん、石は選べた?」 「どうして私に質問するんです? あなたがお選びになったらよろしいんじゃないの」 「え? だってこれは……萩乃さんの指輪になるんだよ」 「でもお支払いをなさるのは帝一さんでしょ。お好きにどうぞ」 「……そんなことを言わないでくれよ。一緒に選ぼうって話だったじゃないか。せっかく三十年も一緒にいたんだから」 「よしてくださいよこんなところで」  帝一さんは申し訳なさそうに、そろそろ結婚三十周年なのだと照れたように笑った。 「あれ? 三十周年はトパーズ婚じゃなくて、真珠婚ですよね?」 「お、君は若いのに詳しいんだね。トパーズ婚なんて年はないんじゃないかな、サファイア婚、ルビー婚あたりは聞いたことがあるけど。でも真珠の首飾りはもうあるし。彼女は十一月生まれだから、誕生石のトパーズがちょうどいいかなって」  萩乃さんは何も言わずにそっぽを向いていた。石なんか見ないわという意思表示らしい。帝一さんは慌てて萩乃さんのご機嫌を取り始めた。可愛い夫婦だなあと思ったが、そんなことを言ったら店主の雷が落ちるだろう。気分転換にお菓子を持ってこようかと俺はリチャードに目くばせをしたが、その前に萩乃さんがため息をつき、譲歩したようだった。もう一度リチャードの玉手箱の上に身をかがめた萩乃さんは、しげしげと石たちを眺め、また嘆息した。何だかこんな風に宝石を見てもらうのは忍びない。 「……まあ、あなたがお勧めしたいのは、この石なんでしょうけど」 「そうそう! 一番いい石はそれだよ!」 「私には見る目がありませんから、こういうのは全部同じに見えますけど……こっちもいいんじゃないかしら」 「えっ、そうかなあ」  大学の少人数講座でも高校のディベートでも中学校の学級会でも、誰も教えてくれなかったが全員が理解していたことがある。それは『自由に意見を言いましょう』と言った先生や司会者が特定の意見だけをひいきする場合、自由な意見なんて出ようがないということだ。自分の言ったことが建設的に受け取ってもらえると思うからこそ、わざわざ何かを言おうという気にもなろうものだ。  どうしたらこんな説教くさい話を、大きな会社で働いている五十代の男性に聞いてもらえるだろうと俺があわあわすると、帝一さんは俺の挙動不審を何か別の理由と勘違いしたようで、愛想よく微笑みかけた。 「君は、あんまり宝石のことは知らないのかな? 何か気になることでもあった?」 「いや……あー……そ、そういえば『インペリアル・トパーズ』って、なんでインペリアルなんですかね?」  その瞬間の帝一さんの嬉しそうな顔と、翻ってげんなりした萩乃さんの顔は、しばらく忘れられそうになかった。  帝一さんはそうだよね普通はわからないよね大丈夫だよと嬉しそうに前置きしたあと、得意げにインペリアルの来歴を語り始めた。そもそもトパーズという石は昔からヨーロッパではポピュラーなもので、古代ローマの時代から人々に愛されてきた石らしい。しかし十八世紀の中頃になると、アメシストを加熱すると、トパーズ風の黄色い石、シトリンになることが発見され、それが『ゴールデン・トパーズ』という名前で市場に出回るようになってしまった。水晶はよくとれる石なので、当時からトパーズより安価だったが、黄色いトパーズとシトリンはよく似ていて紛らわしい。今の日本なら消費者庁か何かが出てきそうな話だが、当時そんなものはない。ゆえに、本物のトパーズではない石と差別化するため、黄色っぽいトパーズのことを『インペリアル・トパーズ』と呼ぶようになったという。 「インペリアル・トパーズが産出するのはブラジルなんだけど、当時のブラジルは帝政の国だったからね。時の皇帝ペドロ二世にちなんで、『インペリアル』ってわけだ。中でも珍しいのが、茶色いシェリー色の石。わかった?」 「わかりました、わかりました。本当に……すごく詳しいんですね」 「まあねえ!」  帝一さんは嬉しそうな顔で顎を上げてみせた。上司にするなら付き合いやすいタイプかもしれない。好きなことを褒めると喜んでくれるのだから。でも奥さまの萩乃さんはいよいよ置いてけぼりで、リチャードにこのロイヤルミルクティーはどうやっていれるのと質問していた。帝一さんはそれが気に食わないらしい。 「萩乃さん、わかった? インペリアルって言葉にもちゃんと意味があるんだよ」 「ええ、そうなんですね。あなたは何でも知っておいでだから、別に私が知らなくたっていいじゃありませんか」 「えっ……そんなことを言われたら、何のためにここへ来たのかわからないよ」 「もうずっと前からそれは私の台詞ですよ」  萩乃さんはキッと美しい顔をゆがめた。ああ、やばい。 「何のためにここへ来たかですって? わかっていますよ、あなたの大好きな宝石のお買い物に私を付き合わせるためでしょう? ブラジルの皇帝の石だか何だか知りませんけど、指輪につける石が欲しいから一緒に選んでくれって頼まれたからついてきたのに。一人でお選びになりたいならどうぞ、お好きなだけお楽しみになればいいじゃありませんか。私はそこの三越でお茶をしていますから」 「えっ…………本当に?」  ごきげんよう、と手を振って、萩乃さんは席を立った。電子ロックの扉は、内側からだと施錠中でも問題なく開く。扉の隙間からするりと抜け出す猫のように、萩乃さんはそのまま店を出て行ってしまった。ここから一番近い喫茶店は花椿通りの店だが、三越までは十分くらい歩く。本当に行くんだろうか。  帝一さんはちょっと反省したようにため息をつき、すみませんとリチャードと俺にわびた。 「どうも……今日の彼女は虫の居所が悪かったのかな」 「俺もすみませんでした。変なことを質問しちゃって」 「いやいや、君のせいじゃないよ。全く、三十年付き合っても、女性ってものはわからないよ。こんなにいい石ばっかりずらっと並んでるのに。変だなあ」 「…………」  本気で言っているんだったら困った人だ。この二人の関係はそのうちひび割れてしまいそうな気がする。俺がいきりたち、お客さまと声をかける前に、リチャードが半歩先を行った。お客さま、と問いかける声色は、いつものように優しい。だが決然としている。 「お客さまは先ほどから、『よい石』という言葉をよくお使いになられますが、お客さまはこちらに『よい石』を手に入れるためにお越しくださったのですか」 「え? そりゃ、そうですよ」  三十年目ですからねと彼は笑った。この人は萩乃さんがいないと静かな人になるようだ。奥さまが傍にいると自宅モードになって、リラックスしすぎてしまうんだろうか。 「どうせなら、一番いいものを持っていてほしいじゃないですか。大切な相手ですから」  気持ちはわかる。すごくいいことを言っている。でもこの人の場合、大事なのは思いの有無ではなくて、その気持ちが相手に伝わるかどうかなんじゃなかろうか。  口をむずむずさせて何も言わずに耐えている俺の前で、リチャードは再び微笑んだ。 「確かに宝石の価値は、指輪の財産価値に直結します。なるべく高価なものを贈りたいという気持ちはよくわかります。田村さまのお見事な鑑識眼に裏打ちされたものであればこそ、いっそう確かな価値になることでしょう」 「いやあ、照れるな」 「ですが」  冷たいナイフのように、リチャードの言葉は田村さんの間合いに切り込んだ。口を挟ませる間もない。それでいて人好きのする微笑は絶やさないのだから、お見事だ。 「人間は一体何のために、より価値のあるものを誰かに贈りたいと願うのでしょうか?」  帝一さんは黙り込んだ。リチャードの言おうとしていることは伝わったらしい。  気まずそうにやや赤面した帝一さんは、低い声で呻くと立ち上がった。 「すみません、心配なのでちょっと、様子だけ確認してきます。わざわざ三越に行くなんて言ったんですから、涼しい顔をして僕を待ってるのかもしれません。二十分くらいで戻りますから」  申し訳ありませんと俺たち二人に一礼して、帝一さんもまた、店を出て行ってしまった。あー、と俺が呻くと、リチャードは無言で自分のお茶のグラスを手に取った。接客中だったのでお預けになっていたお茶を、喉を鳴らさない最大速度でぐっぐっと嚥下し、無音で置く。昔のヨーロッパの社交界の偉い人も、腹ペコの時にはきっとこういう芸をしていたんだろう。親近感の湧く優雅さだ。 「……砂糖が控えめですね」 「今日のお客さまはそこそこのお歳って話を、今朝お前から聞いてたから、少しでもヘルシー志向のほうがいいかと思ってさ。悪かったよ。追加してこようか?」 「いえ」  結構です、と付け加え、リチャードは残りを全て飲み干した。 「お客さまのことをどうこう言いたくないけど、あれはちょっと……奥さんが可哀相に見えたよ。お前の話術って、やっぱ才能なんだな。いくら聞いても嫌な気分にならない。相手のこと考えながら喋ってるんだな」 「当然です。聴衆なき演説などテニスの壁打ちだと、学校で習いませんでしたか」 「そのへんのスキルは日本人の苦手分野なんだよ」 「よく知っています。苦手だからと逃げ続けていては熟達しませんよ」  何だか含みのある言葉だった。言いたいことはスピーチのことだけではなさそうだ。どういうことだよと俺が食い下がる前に、コンコンというノックの音がした。ノック。わざわざ。インターホンがあるだろうに。新しい来客にしては不自然だ。  新しいお客さまだったら、今日は予約がつまっているので別の日に改めてと言わなければと思いつつ、入り口のカメラを見ると。あれ。 「……萩乃さんが戻ってきてる」  開けて差し上げなさいと言うリチャードは、平静な声をしていた。扉を開けて入ってきた萩乃さんも、何だか楽しそうに見える。 「どうも。あの人、出かけた?」  どうしてここに? 三越はどうしたんだ。  リチャードだけがしたり顔をして一礼し、萩乃さんにソファを勧めた。さっきまで帝一さんが腰かけていた、店主と差し向かいの席だ。  俺が眉根を寄せていると、萩乃さんはいたずらっこのような顔で笑った。 「驚かせてごめんなさいね。一人でじっくり見たかったのよ。私だって石は嫌いじゃないのに、あの人がいると独壇場でしょう?」  それはそれとして、何故リチャードは、戻ってきた萩乃さんの姿に驚かないんだろう。  ここから三越まで行くには花椿通りをゆくのが一番の早道だ。そのあとは中央通りを左にゆくだけですぐ時計台にたどり着く。一本道だ。一分かそこらで帝一さんは萩乃さんを追って出て行ったのだから、道のどこにいようとも絶対に発見されてしまうだろう。それとも近くの喫茶店に入ってすぐに出たとか?  俺の疑問を読み取ったように、リチャードは穏やかに萩乃さんに微笑みかけた。 「先ほど三越に行くと言って出て行かれた時には、階段を下りる足音が聞こえませんでした。反響のよいビルですので、店内にいても足音が聞こえるのです。失礼ですが、三階と二階の階段の間で、帝一さんが出て行かれるのを待っていらしたのでは?」 「ハンサムな名探偵さんね。その通りですよ」  なるほど。陽動作戦か。お見それいたしました。 *この続きは製品版でお楽しみください。 村七子(つじむらななこ) 9月24日生まれ。神奈川県出身。『時泥棒と椿姫の夢』で2014年度ロマン大賞受賞。受賞作を改題・加筆改稿した『螺旋時空のラビリンス』で文庫デビュー。 集英社eオレンジ文庫 宝石商リチャード氏の謎鑑定 天使のアクアマリン 立読み用 著者 村七子 © NANAKO TSUJIMURA 2017 2017年1月31日発行 この電子書籍は、集英社オレンジ文庫「宝石商リチャード氏の謎鑑定 天使のアクアマリン」 2016年11月23日発行の第1刷を底本としています。 発行者 北畠輝幸 発行所 株式会社 集英社     東京都千代田区一ツ橋2丁目5番10号     〒101-8050     [電話]     03-3230-6080(読者係) 制作所 トッパングラフィックコミュニケーションズ