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作者:喜多みどり
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-12-02(角川书店)
价格:¥555 原版
文库:角川Beans文库
丛书:光炎のウィザード(4)
代购:lumagic.taobao.com
光炎のウィザード 運命は千変万化 光炎のウィザード 運命は千変万化 喜多みどり 角川ビーンズ文庫 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載したりすることを禁止します。また、 本作品の内容は、底本発行時の取材・執筆内容に基づきます。 「あんた、家族はいないの?」  頭を無理矢理擦り上げられた。撫でるなんてものではない。加減を知らない幼い手は、ぐいぐいと力強く彼の頭を押してきた。首が痛いくらいだ。逃げようと身をよじっても、もう片方の手でしっかりと地面に胴体を押さえつけられていたので、残る手段として彼は牙を剝いた。  だが、少女の手は元から傷だらけだった。おおかたこんなふうに動物に手を出しては引っかかれているのだろう。牙が掌を引っ搔いて血が出たというのに、少女は至って平然として、変わらず彼の頭をぐいぐいと押さえつける。  少女の、丸く見開かれた目が彼を覗き込んで、興味深そうに笑った。 「こんなケガして、一人なんて寂しいね。それなら、ねえ、あんた、あたしといっしょにくる?」  彼は再び牙を剝いた。少女はけらけらと笑ってその口を摑んで顎を押さえ込み、もう一方の手で彼を抱き上げた。彼はもがいたが、傷の治療に集中するため、今は子ギツネの姿を取っていた。この姿ではそうそう強い力は使えない。 「そっかあ、そうねえ、いっしょにいこうねえ」  少女は彼を抱えて身を起こすと、小麦畑の真ん中で、やってきた方向を振り返った。畑の向こうには人と家畜が黒い列を作って移動していた。アリの行進のようなそれを見つけると、少女はにっこりと笑って駆け出した。  だが、その鼻先を蝶が一羽掠めて飛んだ。それだけで少女の注意はそちらへ行ってしまい、また蝶を追いかけて畑の中を走り回る。やっと捕まえると、脚のところを持って、自慢げに彼に見せるのだ。 「どう? 珍しい色でしょ。最初はこの子を追いかけて畑に入ったのよ? それであんたを見つけたの。ふふ、ねえ、あんたも運が良いんだから──」  勝手にそんなことを言う。彼はうんざりしてまたもがいたが、少女は気にも留めずにそれを押さえつけ、蝶と彼を抱えて顔を上げた。  件の列は、さらに遠くに移動して、もはや黒い影にしか見えなかった。  少女はさすがにその距離に驚いた様子で、彼を抱え直し、慌てて走り出した。その拍子に蝶がふらりと手を離れて飛んでいったが、もう見向きもしなかった。ただ麦の穂を搔き分け、畑を抜けてあぜ道にまろび出て、そこから馬車の通る街道へ抜け、土埃を立てて列を追いかけ、ついには追いついて、疲れ切った大人と子どもの中に交じった。  だが、そこでさらに顔色を変える。 「……あれ?」  周囲を見回す。疲れた顔の大人たち、元気をなくした子どもたち、瘦せた家畜──そうして、少女の目に怯えが走る。 「知ってる人、いない……」  少女は慌て始めた。あちこち走り回って、大人たちに訊いて、ようやくこの列が自分の村の列ではないと知って、いっそう慌てた。その間中彼は彼女の腕に抱かれていて、おかげでやっと事情が飲み込めた。つまり、彼女や彼女の村の人間たちは、敗戦によって入植地を捨てて本国に戻ろうとしていて、今彼女が勘違いしたこのグループも、同じような境遇で移動中の入植者たちだったのだ。彼女の村の人々は、彼女が追いかけっこに夢中になっている間に、ずっと先に移動してしまったのだろう──あるいは、ここまでのどこかで、別の道に入ったのかもしれない。当然彼女の家族も、どこか別の場所にいるのだ。  少女は、見知らぬ人々の中で、途方に暮れた様子だった。  夏ではあったがその夜は冷え込んだ。疲れた人間と家畜の集団は森の外れに見つけた空き地に固まり、火を焚き、少ない食糧を分け合って食事をし、毛布にくるまり眠った。食事時に面倒見の良さそうな女が僅かばかりのパンを彼女に分け与えたが、いつまでもそれを続けられるわけではあるまい。危機感と飢餓感のためか、入植者たちが、それ以上一人きりの少女を取り立てて構うということはなかった。  少女は、集団から少し離れた、けれど焚き火の明かりは届く辺りで、倒木を背に座り込んだ。相変わらず彼のことはしっかりと抱き締めて、離そうとしない。憔悴しているようだったが、彼は、バカな子だ、としか思わなかった。とにかくこの子が眠り込んだら腕の中から抜け出そうと考えていて、その機会を待っていた。  その時ぴちゃんと額に冷たいものが降ってきて、彼は頭を上げた。雨かと思ったら、水滴の源は少女の目だった。薄青い、ちょっと緑の混じった目だ。氷河に光を当てたみたいなその目が濡れて、本当の氷のようだった。おや、こいつはバカだけど、この目だけは綺麗だな。彼はそう思った。もう少し泣かせてみたくなって、自分を拘束する彼女の肘を引っ搔いた。彼女は目を丸くして、何故か笑った。 「あたしのこと、なぐさめてくれてるの?」  彼は泣かせたかったのに、彼女はどういうわけだか笑って彼にほおずりした。最初に頭を撫でられた時より力が弱くて、優しい感触だったので、彼は彼女の行為を許し、されるがままになった。汗の臭いに混じって、お日様によく当てて乾燥させた藁の匂いがして、彼は目を細めた。甘い花のような匂いも少し。ふんふんと匂いを嗅ぐと、彼女はくすぐったそうに首を竦めた。 「やさしいこね」  彼女は良い匂いがした。それから柔らかくて、温かくて、美味しそうだった。食べたら少しケガの治りが早くなるかな、と彼は考えて、元の姿に戻って牙を突き立てることも考えたが、その温もりがあんまり心地よかったのでとりあえず後回しにした。  彼女は彼の頭を優しく撫でた。そうだ、最初からそうやって撫でればいいんだ。彼は目を瞑った。 「あんたあったかいわ。ねえ……」  少女の声が、少しずつ間延びしてくる。頭を撫でる動きが、ゆっくりと、緩慢になってくる。眠気が湧いてきたのだろう──彼も少し寝てもいいかな、と思えてきた。 「ねえ……いっしょに、」  小さな、幼い声が、彼の耳に甘く言葉を囁く。 「いっしょに、いこっか……」  どこへも行き場所なんかないくせに。  彼は腹の中で笑った。笑いながら、もぞもぞと動いて彼女の腕の中に寝場所を確保した。彼女の身体から力が抜けて、腕の重みが彼の身体にかかった。  一人と一匹は、空き地の外れで、小さくまるまって夜を過ごした。  どちらも、行き場所なんてなかった。一匹は自由で、一人は孤独だったから。だから彼らは孤独と自由を分け合って、どちらのものともわからなくなった熱を感じながら微睡んだ。  そうして、まるで夢の続きのような日々が始まった。 1 「いっしょに──……」  口が重くて、なかなか声が出てこなかった。苦労してやっと言葉らしきものを押し出した時には、彼女は半ば目覚めていた。音が聞こえる──がたんごとんという揺れが、意識を再びの眠りへ誘おうとする。周囲のざわめきは子守歌のように身体を揺すぶる。足下の火鉢からはじわじわと熱が伝わる。 「むにゃ……あと五ふ……んっ」  後頭部を叩かれた。  仕方なく、リティーヤは衝撃を受けた頭部をさすりつつ顔を上げた。隣には研究室の先輩であるテヨルがいて、呆れた顔でリティーヤを眺めていた。殴ったのは彼女だろう。小柄ながらパワフルなテヨルは、しばしば口より先に手が出る。 「あんたねえ、何寝ぼけてんだよ。もう降りるよ、準備しな」 「んにゃ、いや、寝ぼけてない、ですよー……」 「……寝るなっ! ブルーライドに着くよ!」  また寝そうになっていたリティーヤは、テヨルに胸ぐらを摑まれわっさわっさと揺さぶられ、目をこじ開けた。何か、聞き覚えのある言葉を聞いた。 「ぶるーらいど……」 「北部鉄道の終着駅! 極地遠征! あんたどんだけ寝ぼけてんだよ!」 「あ」  さあっと眠気が吹き飛ぶ。車窓の景色は荒野から街中へと変わっている。もうすぐ駅に着くのだ。北部鉄道の終着駅、ブルーライドに。郊外の宿に泊まって、そこから先はウマと橇での移動になる。  そうして、極地を目指すのだ。  奪われた、石板を追い求め。  二週間ほど前のことだ。 《学アカ園デミー》本部に潜り込んだ賊が、最重要地区から数片の石くれを奪い去った。  それは、大陸中の魔力を支配するという《グリーンワードの魔導書》、その中でも〈昼〉魔力を司る〈昼〉の石板の欠片だった。《学園》には、五つに砕かれ、寒冷化の引き金になったと言われるその欠片のうち二つ、ことによっては三つが保管されており、賊の狙いは欠片の強奪にあった。  奪っていったのは《風と八月党》なる組織だ。その後の行方は定かではないが、事件と前後して、魔力が原因と思われる異常が発生している地域があった。  それが、大陸最北端、氷と雪に閉ざされた無人の土地──極地だ。  極地は人の住める場所ではない。ただ気温が低く雪が多いだけでなく、強すぎる〈夜〉魔力の影響下にあって、《嵐》と呼ばれる異常現象がたびたび発生した。魔力が竜巻のように荒れ狂い、体内の血液すら凍らせるという。人間が巻き込まれれば命はない。  それでも、極地独特のその強い魔力の影響によって変異し、《嵐》を避けるすべを持った幾つかの種が棲息している。  第一の異変は、それら極地でしか見られないはずの種が、ひと月ほど前から南下し、北部の人の住む場所に姿を現すようになったことだ。  そして、第二の異変は、《学園》から石板が奪われた当日に始まった気温の上昇だ。  気温の上昇は〈昼〉の書の存在を示すサインの一つだ。《学園》では保管所であったラガロの塔自体が魔力の封印となっていたため、そこを離れた瞬間から、〈昼〉魔力は周囲に溢れ出すという。再封印までの間、ずっと。  動物たちの移動の方はまだ原因がわかっていないが、それも今回の件と無関係ではないだろうと考えられている。事を起こす前に《風と八月党》が極地で何らかの準備や実験をしており、危険や異変を察知した動物たちが移動を始めたのではないか、というのが有力な説だ。  そういうわけで、《学園》は石板の欠片が極地に持ち込まれたのではないかと睨んでいる。 『ボクはその中でも《王都》が怪しいと思う』  とは、リティーヤも所属する魔力環境研究室の室長、ロードマスターの言葉だ。出発前、彼はここ数日隠れ家に使っている病室のベッドに腰掛け、この遠征についての最後の確認をした。すでにコートを着込み、傍らには旅行鞄が置いてある。 『《王都》っていうのは、人類の統一王朝があの辺りを支配していた頃の都で、勿論今は誰も住んでいない。でも建物は結構丈夫だったみたいでまだ残ってるのもあるし、高台にあるから気温の上昇で雪や氷が解けても、まあなんとかなると思う。極地観測所のデータと突き合わせても、あの辺りが異常の中心みたいだしね』 『じゃあ、そこに行けば《風と八月党》がいて、石板があるんですか?』  リティーヤが尋ねると、彼は首を傾げた。伸びすぎた前髪が目にかかるのを、指でくるくると巻いて弄ぶ。 『その可能性が今一番高い、ってところかな。少なくとも、《風と八月党》が極地に入り込んでる、っていう情報はあるし、物資の流れからも彼らが極地に拠点か基地のようなものを持っているのは確実だと思う。で、その極地の中のどこが一番怪しいかっていうと、《王都》だっていう話。近づかないと、これ以上の断定は難しい』 『はあ……』 『で、問題はキミなんだけど』  そこで彼は髪を巻いていた指で、リティーヤを指した。リティーヤはちょっとのけぞる。 『《始原のキツネ》は現在《風と八月党》と行動をともにしてる。《キツネ》は、キミに極地で待つ、って言った。たぶんキミが現れれば姿を見せる。そもそも〈昼〉の石板を人間に与えたのは《キツネ》なんだし、その《キツネ》がキミに執着してるなら、キミを使えばこっちに有利な状況を作れるかも、っていうのが《学園》の考えで、判断ね』 『はい……』 《始原のキツネ》というのは、寒冷化の始まった二百年前、人類に魔術と〈昼〉の石板をもたらした物言うキツネのことだ。石板を奪っていった《風と八月党》はこの《キツネ》を信奉し、石板強奪の際には当の《キツネ》も姿を現した。  その時、《キツネ》はリティーヤに言ったのだ。極地で待っている、と。  ……肘で断ち切られた腕から、大量の血を流しながら。 『でも、ボクらとしてはもう少し踏み込みたい』  ロードマスターは、追憶の中に沈み込みかけていたリティーヤの額を、指先で弾いた。痛みはないが驚いて、彼女は目をしばたたかせた。 『ボクらには時間がない。ボクは死んだことになってるし、魔力も失った。この遠征を最後に《学園》から姿を消すことになってる。グレイビルはキミの〈昼〉魔力を狙ってる。研究室は、もう盾にはならないんだ。だから、これが最後の機会だと思って欲しい』  ロードマスターは石板を奪われた時に、《風と八月党》の党首によって魔力を奪われている。言葉通り、これまでリティーヤを守ってきた盾は失われようとしていた。  ぼんやりしている暇はない。リティーヤは姿勢を正した。  キミがしなくちゃいけないことは、三つ。  そう言って、ロードマスターは一本ずつ、指を折りながら説明していった。 『一つ目は、《キツネ》について、できるだけ多くの謎を解き明かすこと。彼の意図や目的まではっきりさせられれば、行動の予測ができる。うまくいけば、こっちの味方につけることだってできるかもしれない。二つ目は、〈昼〉魔力を完璧に制御できるようにしておくこと。〈昼〉の石板とキミが引き合う以上、いつどこでキミの魔力が必要になるかわからない。……その時、ラガロの塔でやったみたいな半暴走は、絶対にしちゃいけない』  リティーヤは慎重に頷いた。制御方法はもう何度も訓練し頭にも身体にも叩き込んだつもりでいたが、石板が奪われた時、一瞬だがたがが外れそうになった。あまりに衝撃的なことがありすぎて、感情に同調するように、魔力も制御を失ってしまったのだ。  リティーヤの神妙な態度を見て、ロードマスターは三本目の指を折った。 『三つ目は、それらを通じてこの遠征で石板の奪還に役立つこと──《キツネ》がキミに極地で待ってる、って言ったんだから、キミが極地に行けば他の人間には引き出せない《キツネ》の行動を引き出せると思う。そこをついて石板の奪還に貢献すると、実績も大きくて良い感じ。魔導書調査委員会が口出しも手出しもできない状況作ればいいんだからね、要するに。で、一方のボクらは魔力異常についてのデータ分析をして、本当に石板が要因なのか、他に問題はないのか、確かめる。あと、本拠地の割り出しもね。  さあて──準備はいいかな?』  言葉に応じて、研究員たちが立ち上がった。先輩であるバドとテヨル、それにリティーヤの指導教官であるヤムセ。リティーヤも、自分の鞄を手に椅子からすっくと立ち上がった。  出発時刻だった。  ホームの屋根の遥か上空を、大型の猛禽類が通り過ぎていくのが見えた。 「リティーヤ。何してんだい」  それに見入っていたリティーヤは、名前を呼ばれることでようやく我に返った。見ればテヨルが呆れた顔で少し先で立ち止まり、リティーヤが来るのを待っていた。他の魔術師たちの集団はすでに階段を上っている。連絡通路を通って駅舎に向かうのだ。  ──と、その階段を数段上がったところに、《学園》支給のコートが見えた。魔導書調査委員会に所属するゼストガが階段の半ばで立って、リティーヤらがやってくるのを待ち受けている様子だった。  夕暮れの迫った光に透ける細い銀髪と女性も顔負けの白い肌、やや女顔ながら、いかにも柔和そうで整った目鼻立ち。彼はやってきたリティーヤと目が合うと、心底困った顔で言った。 「早く移動してください。リティーヤさんの頭がとろいのはわかっていますが行動がそこまでとろいとこちらも色々と迷惑を被るんです。団体行動を乱すなって、おたくの研究室では教えていらっしゃらないのですか? やれやれ、とんだ先輩をお持ちですね、リティーヤさんも」  ……これを本当に、心から困ったような顔で言うのだ。眉をやや垂らし、同情したような目でリティーヤを見て。リティーヤは思わず息を吞んだが、テヨルは、ふ、と笑いを漏らした。笑っただけなのに、妙な迫力があった。彼女は一つ下の段に立つと、鞄を持つのとは反対の手でゼストガの顎の下に指をあてがい、その顔を覗き込んだ。 「可愛いことを言ってくれるね。まるで五歳の子どもだ──ママに構ってもらいたくてわざと怒らせる子どもだよ。なあ、それで、どっちがいいんだい?」 「…………は?」 「叱られたいのかい? それともミルクがいいのかい?」  ゼストガの顔がカッと赤く染まった。すぐにその色は落ち着いて、彼は無言で相手の手を振り払ったが、傍で見ていたリティーヤにも勝敗は明らかだった。テヨルは低い声で笑いながらゼストガの隣を通り過ぎ、さっさと階段を上っていく。 「ゼストガさんも、めげない人だなあ……」  ──こういったやりとりも、《学園》を出立してからのこの一週間で随分聞き慣れた。ゼストガがあからさまな物言いに弱いのも、そろそろ見抜かれつつある。普段ならこの辺りで彼も退散するのだが、今日は少々悔しかったのか、違った。彼は先を行くテヨルに追いすがり、その背に嫌みったらしく言った。 「僕や魔導書調査委員会の人間に当たるのはやめていただきたいものですね。あなたの育ての親が《学園》を出て行くことになったのは、僕らの意図とはまったく違う部分でのことですよ。《Aエース》位魔術師が魔力を失うなんて。まったく、なんて恥さらしでしょうね。それくらいなら、いっそ例の党首もろとも死んでくれれば──」 「ゼストガさん!」  リティーヤはハッとして階段を駆け上がり、彼らの間に入ろうとしたが、遅かった。テヨルは振り向きざまにゼストガの胸ぐらを摑んでいた。鞄はとうに投げ捨て、反対の手で拳を作って鋭く突き上げる──。  ぱん、という音とともに、その拳は第三者の掌に受け止められた。  リティーヤは、胸に手を当て、思わず安堵の息を吐いた。テヨルはふてくされた顔で乱暴にゼストガの胸ぐらから手を放し、ゼストガは僅かによろめいてから、姿勢を正し、何食わぬ顔で襟を直した。  テヨルの拳を受け止めた人物は、痛そうに手を振って笑った。 「相変わらずテヨルのパンチは重いなあ」  中途半端に伸びた白い髪はくしゃくしゃで、着ているコートはよれよれだった。へらへらという形容がよく似合う顔はゼストガ以上に色素というものが欠落している。  リティーヤの研究室の室長──だった、ロードマスターだ。書類上では、彼はすでに死んだことになっている。  テヨルはぷいと背を向け放り投げていた鞄を拾い上げると、靴音も高く連絡通路を渡っていった。ゼストガの方はそれを眺めてから、皮肉っぽい笑みをロードマスターに向けて言った。 「部下の教育がなってないんじゃありませんか?」  余裕のある態度からすると、ロードマスターが止めることは計算済みだったらしい。 「グレイビルの教育とどっこいどっこいじゃないかなあ」  さらりと言い返して、ロードマスターはリティーヤの方を向いた。 「行こう?」  この場に彼がいて良かったと、リティーヤは心から思った。  ──が、すぐにゼストガの言葉を思い返し、笑顔が曇る。気付いたロードマスターが顔を覗き込んでくる。 「どしたの? テヨルがゼストガに切れるのなんか今に始まったことじゃないでしょ」 「……あ、うん、そですね……」  リティーヤは言葉を濁した。 『育ての親が《学園》を出て行くことに──』  幼いテヨルを《学園》に連れてきたのはロードマスターだ、というのは、リティーヤもちらりと聞いたことがある。確かに、誰に何を言われても泰然自若とした態度を崩さないロードマスターが、唯一下手に出るのがテヨルだ。リティーヤも彼らがかなり前からの付き合いなんだろうというのは感じていたのだが、いざこうして他人から『育ての親』という言葉を聞くと、色々と考え込んでしまう。  テヨルにとって、本当にロードマスターは親のようなものだったのかもしれない。  そのロードマスターが、魔力を失い、《学園》を、テヨルの下を去ろうとしている。  それはいったい、どれほどの苦痛なのだろうか。 「なんでも、ない、です」  呟いて、きゅ、とリティーヤは唇を嚙んだ。鞄を抱えるようにして連絡通路を歩き始めると、ロードマスターも並んで、苦笑を漏らした。 「なんでもなくはないでしょー」 「…………」  ちろ、とリティーヤは隣のロードマスターを見上げる。彼が何もかも見透かした様子なので、渋々口を開いた。 「……だって、口に出しても、あたしがすっきりするだけですもん」 「ふぅん? なら口に出してすっきりしてもいいんじゃない?」 「……少しくらい自分で抱え込ませてくれませんか?」 「口に出したくらいで抱え込めなくなるわけじゃないでしょ。要はキミの意志だもの。口に出してすっきりして、それでもちゃんと抱えていたいなら、そうすればいい」 「…………」  この人は、他人に甘いのか、厳しいのか、時々わからなくなる。  リティーヤは諦めて、先を行くテヨルに視線を移しながら言った。 「……ロードマスターがいなくなってしんどい人は、たくさんいるんだろうなあって思っただけです」 「ふふん、そりゃボクは働き者だし、人望もあついからね!」 「今の自画自賛は聞かなかったことにします」 「肯定しようよ、そこはさ」  じゃれ合うようにそう言って、彼もまたテヨルの方を見やった。気遣うような、労るような視線だった。ちくりとリティーヤの胸が痛む。 「確かに、周りの人たちにはちょっと急だったかもね。まあでも……あの子について心配してるなら、もう親離れしてる年だし、大丈夫でしょ。だってさ、ボクの教え子で養い子なんだもん。立ち直れるし、やっていけるよ」  テヨルはまだ苛立っている様子で、肩を怒らせて足早に歩いていく。今は無理しているにしても、ロードマスターの言葉は事実だろうとは思う。  だが──。 「ロードマスターは」 「ん?」 「…………悔しい、とか、思わないんですか?」 「ああ──」  言われて初めて気付いたという顔で、彼はリティーヤを見た。 「別に、わかってたし、仕方ないかなと……」 「でも魔力なくなっちゃったんですよ? 人生激変しちゃったんですよ? やっぱりそれって、大事じゃないですか」 「でも、ボクって人間の何が変わるわけでもないしねえ」  あまりにあっけらかんとした言い方だった。 「この時期に《学園》離れるのはキミに悪いなーとは思うけど、それくらいかな? いつか失うっていうのは結構前から《キツネ》に言われてわかってたし、そうなったら当然《学園》離れるだろうなってのも考えてたし。そもそも、魔術なんて使えない人間の方が多いんだし、ないからって日常生活に不便は……あっ、戦う時と研究する時は困るよね。でも、ボク正直言って、魔術なくてもそれなりに強い自信あるし。魔術使えなくても共同研究はできるし……」  しばらくぶつぶつ呟いてから、彼は困った顔で肩を竦めた。 「……魔術がないからって何かできないことってあったっけ?」  リティーヤには、相手の発言が本気なのか、冗談なのか、リティーヤの心的負担を和らげようという心遣いなのか、本当にわからなかった。  リティーヤは呆れて、少しだけ笑って言った。 「ロードマスターは」 「うん?」 「ステキな中年ですね」 「……できれば、最初の方だけにしてもらいたいかな」  彼は、はは、と引きつった笑いを浮かべた。  一週間ほど前のことだ。 『人を守るっていうのは、難しいもんだねえ』  共用の長机に突っ伏し、テヨルがそう呟