后退 返回首页
作者:喜多みどり
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-12-02(角川书店)
价格:¥514 原版
文库:角川Beans文库
丛书:光炎のウィザード(6)
代购:lumagic.taobao.com
光炎のウィザード 想いは未来永劫 光炎のウィザード 想いは未来永劫 喜多みどり 角川ビーンズ文庫 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載したりすることを禁止します。また、 本作品の内容は、底本発行時の取材・執筆内容に基づきます。 『あんたが……虹ドロさん?』  愕然と呟けば、身体に回された腕に、少し力が込められたのを感じる。  リティーヤは名前も知らない──そういえば本当の名前はなんだろう、バゼルは偽名だろうし──男に抱きすくめられながらも、驚きのあまりそれをふりほどくことすら忘れていた。  男の肩越しにちらちらと視界を掠めていくのは、羽毛のように軽やかな雪。雪に埋もれる足にすでに感触はなく、ただ男と肌を接する部分だけが燃えるように熱い。  男は彼女の首筋に口を近づけ、吐息で肌をくすぐるように言った。 『もうすぐわかるよ』  そして、雪になって消えてしまう。  その指が、その顔が、その髪が、その声すらも、雪となって静かに自分の上に降り注ぐのを、リティーヤはただ目を見開いて見つめていた。  その雪は、不思議と熱かった──。 1 「──っ!!」  跳ね起き、リティーヤは周囲を見回す。  そこはフレアバタンに借りたアパートメントの一室、リティーヤに与えられた寝室で、当然彼女以外の姿はなかった。  雪もない。何しろ、季節は夏。いや、もう秋か。 「……虹ドロ……さん」  掠れる自分の声と、出てきた言葉に驚いて口を噤み、それから、自分の言葉を笑い飛ばすため、はは、と声を上げる。 「や、やだなあ、あたしったら何言ってんのよもー! 夢だっての。そーよ、夢よ、夢……」  独り言は、尻すぼみに消えてしまう。  手がまだ震えていて、心臓がどくどくと騒いでいたから。 「夢……だもん……」  呟き、汗ばんだ手でシーツを握りしめる。  虹ドロさんはリティーヤの命の恩人だ。優しくて恰好良い魔術師。彼に憧れて、リティーヤは《学園》に入った。リティーヤに、虹色のドロップ一つ残して消えた、その人が──。  自分の前によく現れる神出鬼没の男を思い出し、リティーヤはぶんぶんと首を振る。 「あんな……あんなやつのわけないじゃない! だって虹ドロさんはもっと恰好良かったし、もっと背だって高かったし、歳だって上だった……!」  しかし、リティーヤの頭には再びその感触が蘇る。  白く冷たい吹雪が猛った凱歌を上げていた夜。  自分のそばには、あの温もりが、あの、乾いたような懐かしい匂いが、確かにあったのだ。  獣に寄り添い生きていた、あの感触を、自分はまやかしなんかではなく知っている。  どんどんどん、と頭の内側から誰かに叩かれているような、そんな痛みを覚え、蹲る。 「虹ドロさんは……!」  リティーヤは頭の中で鳴るようなその音を消したいと強く願い、無意識に枕を摑み、 「あんたなんかじゃない!」  叫んで、それを虚空めがけて投げつけた。  ぼふ。  するとそれはたまたま扉を開けた指導教官の顔面に命中して、床に落ちた。 「…………」 「…………」  彼女の指導教官である男性、ヤムセは、しばしの沈黙の後、ぼそりと言った。 「…………ノックをしても返事がなかった」  リティーヤは頭の中でこだまするようなあの音が、どうやらノックの音だったらしいと気付いてハッとした。 「あ。いや、悪気があったわけでは」 「別におまえの虹ドロさんが誰だろうとどうでもいいが」  ヤムセは枕を拾い、彼女の方に放って言った。 「夜は静かに寝ろ」  扉が静かに閉まり、夜の闇に取り残され、リティーヤは結局のろのろと枕に顔を埋めた。  だが、流れる空気に気付いてふと顔を上げる。  開けた覚えのない窓が開いていた。  そして部屋にはキツネ男の、少し獣じみた、熱を感じさせる匂いが残っていたのだ。  リティーヤは大陸最大の魔術師組織《学アカ園デミー》の魔術師見習いだ。  今いる街はフレアバタン。古王国と呼ばれる南部の大国の首都であり、《学園》と対立する魔術師組織《貴ハウス族・オブ院・ローズ》の本拠地である。  リティーヤが《学園》を出奔した友人のミカを追い、遥か東部辺境の《学園》本部からフレアバタンに入って、はや十日。肝心の友人は依然として行方不明、しかも色々と起こった事件の後始末のために、リティーヤは師・ヤムセとともにこの街で足止めを食っている。  勝手な外出は禁止されているので、この日もリティーヤは、ヤムセの借りたアパートメントの居間に籠り、椅子に座って上半身をテーブルの上に伸ばした恰好のまま、もう長い時間を過ごしていた。 「……あんなのが虹ドロさんのわけないもん」  呟くが、勿論返事はどこからもない。  ヤムセは今日も特務警察だかなんだかに呼び出されたとかで、朝から外出したきり戻っていない。ここ一週間は、毎日これだ。……まあ、旧市街の地下道を一区画ほど水没させた上に歴史的建造物を全壊させてしまったのだから、当然といえば当然のことで、本来なら逮捕されて一晩二晩留置所に入れられてもおかしくはない。それが任意同行程度で済んでいるのだから、幾ら《学園》の権威が南部には届かないとは言っても、古王国側にしてみればそう簡単に手を出して良い相手でもない、といったところか。  ヤムセがそうして拘束されている間、リティーヤはといえば、とりあえずすることもできることもないので、こうしてテーブルの上で伸びている。  伸びて、夢のことを考えている。  背後で鍵が開き、扉が開いたが、考え事に一生懸命になっていたリティーヤはそれに気付かず、その日何度目かの思考の堂々巡りを終えてぽかすかと頭を叩く。 「ダメダメ! 違うったら違うんだから、これ以上考えたって仕方ない! もう──」  ぱし、とその拳を摑む者がある。  振り返れば、さっきまでいなかったはずの指導教官の姿があった。 「あ……れ、先生」  ヤムセはいつもの、むすっとした顔でリティーヤを一瞥し、その手を放した。  リティーヤの頭に一瞬、昨夜のこと──つまり枕を投げつけたこと──が過るが、謝罪の言葉が出てくる前にヤムセが口を開いた。 「叩くな。それ以上頭が悪くなったらバドが泣くぞ」 「あ、はい……って先生! それ以上、は余計です!」  素直に頷きかけて、慌てて睨みつける。  実はここ数日、ヤムセとはまともに口を利いていなかった。ミカの件やら何やらで、リティーヤは彼に感謝しつつも、腹を立てていた。ミカを捜すのに協力してくれたのもヤムセだが、寸前でミカを捕まえようとしたリティーヤを止めたのも、ヤムセなのだ──勿論、それには色々の事情があってのことで、別に彼もリティーヤへの嫌がらせでそうしたわけではないのだが。  さすがに日が経つにつれ、リティーヤの中にも、ここで彼に腹を立てるのは八つ当たりなのではなかろうか、という考えが湧いてきた。結局、彼がリティーヤを止めたのも、リティーヤ自身の身の安全をミカの身柄確保より優先させただけのことだったのだし。  だから、そろそろ謝らなければいけないかなあ、とは思い始めていたのだ。  しかし、だからといって素直に謝れるかというと、子供じみた意地やら苛立ちやら、あるいは彼の幼イルザ馴染みークの問題やらのおかげで、そういうわけにもいかず、今に至っていた。 「移動する。荷物をまとめろ」  ヤムセはそう言うなりリティーヤを置いて奥の寝室に向かう。相変わらず唐突な男だ、と思いながら、リティーヤは身体を捻り、椅子の背越しに振り向いて声をかけた。 「移動ってなんですか? あたし《学園》には──」  ヤムセは扉を開けながら面倒くさそうに答えた。 「ホテルだ。追跡チームと合流する」  追跡チームというのは、出奔したミカを追っている《学園》の魔術師たちのことだ。 「? なんで……」  ヤムセが懐に手を突っ込み、封筒をひょいと投げて寄越す。  それを受け取った時には彼はもう扉の向こうで、リティーヤは自分が謝るタイミングを逸したことに気付いた。 「……ま、いっか」  封は開いていて、封筒の中には折りたたまれた白い便箋と、徽章が一つ入っていた。  便箋には何も書かれていなかったので、徽章の方をよく見た。尾を自らの首に絡めるヘビを象った、《学園》の専門課程に在籍することを表す徽章だ。通称《盲目のヘビ》。  いったいなんなのだろう、と何気なくひっくり返して悲鳴を上げそうになった。  椅子を蹴倒して部屋を横切り、ノックもせずにヤムセの部屋の扉を開け放つ。 「先生! これ……」 「おまえの友人のものだ」  床に置いた鞄の前に屈み込んでいたヤムセは、書類を整理する手を休めずに言った。元々ほとんどの荷物は鞄から出していないため、荷造りと言っても書類と本をまとめて押し込むだけのようだ。 「手紙が来た。差出人の名前はない。シロユメハナクイが──現状ではユローナの使い魔と目されているが──玄関前に仕掛けた罠に引っかかっていて、そいつは手紙を持たされていた。結局ハナクイは逃がしてしまったが、紙におまえの友人の徽章が挟まっていた。文章はない」  リティーヤは親友の名が刻み込まれた徽章を握りしめた。  今この徽章が届いたということは、ミカが《学園》出奔後も徽章を処分せずに持ち歩いていたということだ。もう戻らない、戻れないと言いながらも、彼女は徽章を持ち歩いていたのだ。  ミカは、心のどこかで《学園》に戻りたがっていたのかもしれない。  そして、そのミカを今捕らえているはずの女魔術師を思い出し、リティーヤはぞっとする。 「ミカは無事……なんですよね」 「殺していたら死体を送りつけてくる女だからな」  だから生きているのだろう、とヤムセはいささか血なまぐさい言い方をした。 「またこれから手紙が来るのかもしれんし、あるいはこちらの出方を窺うつもりかもしれん。何にしろ、気をつけろ」  ヤムセは書類の詰まった封筒を丁寧に重ねて鞄に入れながら言った。 「おまえ宛の手紙だったんだからな」 「……………………は?」 「封筒を見ろ。ユローナの筆跡でおまえ宛になっている」 「…………な、なん………」 「そういうわけだから、万が一の事態を防ぐためにも、ホテルに移る。あそこなら追跡チームの誰かしらがいるから、おまえの身も安全だろう」 「なんで最初に言ってくれないんですか、あたしに!」 「おまえが最初だ」  ヤムセは肩越しにリティーヤを見上げ、淡々と言った。 「今そこで起こったことを話しているんだ」 「…………!」  シロユメハナクイの小さな目を通して、ユローナはリティーヤを見ていたのだ。  つい、さっきまで。  いや。ひょっとしたら、今もどこかで見ているのかもしれない。  リティーヤはこくりと喉を鳴らして唾を飲み込み、震え始めた指先を拳の中に握り込んだ。  意識を逸らそうとしても、ユローナに痛めつけられた記憶、誘拐され、ナイフを突きつけられた記憶が心を過る。その時リティーヤを覗き込んできた紫の双眸には、確かに理知の光があるのに、同時に到底リティーヤには理解できない信念の暗さも感じられ、今思い出すだけでも深淵を覗き込んだような気分にさせられる。  そのユローナに、ミカが捕らわれているのだ。  立ち尽くすリティーヤに、ヤムセは今度は振り返りもせずに言った。 「今後は勝手な行動を取るな、ユローナからの接触があったら必ず私や追跡チームの人間に知らせろ」  確かにリティーヤにはそうするくらいしかできることはない。ユローナはリティーヤのことを以前から狙っていた。ミカの徽章をわざわざリティーヤ宛に送ってきた以上、今もそうである可能性は高い。リティーヤが表立って動くのは危険すぎるのだ。  だが、幾らそうであって、そしてリティーヤがユローナを恐れていても、リティーヤにはただ黙って震えているわけにはいかない事情があった。 「でも、先生、ミカが」 「入らない……」  ヤムセはリティーヤの言葉を遮るように言い、真剣な顔で自分の鞄とその周囲の書類の山を見比べた。 「これ、いったいどうやって入ってたんだ……?」 「……………………先生の鞄の総容量なんかあたしは興味ないんです! っていうか現時点で先生の興味はあたしとかミカの安全より鞄の中身にあるんですか!?」 「悩みどころだな」 「……先生!」  叫んだリティーヤの方へ、ヤムセが何か差し出した。  紙だ。  紙には、魔術で使う原始文字が一つ書かれている。Y字に似たその文字には見覚えがある。  実習の追跡調査で使う文字だ。  追跡調査では、この文字の刻まれたリングを対象の脚などにつけ、放す。すると離れていてもリングと連動するコインと地図でその居場所を知ることができる。  それを受け取り、まじまじと見つめて、リティーヤは呟いた。 「……つまり、またあたしに囮になれ、と?」 「二度も同じ手が通じるとは思っていない。ただ、おまえが街中を歩き回っても居場所が特定できるように、ということだ。もし誘拐されたり、やむを得ない状況で街中に一人で放り出された場合、おまえは暴れず無理せず応援を待てばいい。ありあわせのもので作っただけだが、当面の間は保つだろう。それがおまえの生命線だ」 「…………」 「リティーヤ。学生の本分は?」 「……勉強……」 「雑用だ。部屋を片づけて、自分の荷物をまとめろ。二度は言わん。それが今おまえにできることだ」  かつて、ヤムセはユローナの囮にするために、リティーヤにこの同じ原始文字を仕込んだ徽章を身につけさせたことがある。その時は、リティーヤには何の断りもなしだった。  勢いを削がれ、現金なことだが恐怖も薄まり、リティーヤはぽつりと呟いた。 「……あの頃から比べると先生も進歩してるのか……な……?」  少なくとも、断りは入れてもらえた。  そんなことを指して進歩だのなんだの言わねばならない状況がそもそもおかしい気もしたが、ヤムセだから仕方ないと半分諦め、半分満足し、リティーヤはぺらぺらの紙を折りたたみ、上着のポケットに入れた。 「じゃあ、あたしはこれを持って、何かあったら慌てず騒がず先生を待てばいいんですね」 「……そうなる」 「んじゃ絶対助けに来てくださいね。こんなか弱い女の子放っておいたら承知しませんから」 「わかっている」  ヤムセはおざなりに頷き、作業に戻った。本当にわかっているのか、今の態度だけではなんともわかりにくいところがあったが、彼が言葉の通りに必ず助けにきてくれることを、リティーヤは確信していた。  ついでにリティーヤはさっきから気になっていたことを教えることにした。 「ところで先生。その書類、フレアバタン着いてから集めたやつですから、入らなくても仕方ないと思いますよ」 「…………」  ぽんと手を叩く師を眺め、リティーヤは、ほんとにこの人はなんだかなあ、と思い、彼に友人の安否を任せることに一抹の不安を覚えた。 2  細やかな筆遣いで花束と青い蔦の描かれた、白い磁器。  注がれた茶を曇り一つない銀のスプーンでかき回せば、ミルクが螺旋を描いて広がっていく。  女はスプーンを置き、幸せそうに目を細めてカップを口元に運んだ。  華やかさと同時に慈愛と気品を感じさせる顔も、優雅な所作も、緩やかなウェーブを描く豊かな金の髪も、すべてが際だって美しい女だった。  名はユローナ。  十年前に《学園》を出奔し、今もなお多額の賞金をかけられている、女魔術師である。  ミカは何度も頭の中でそのことを確認していた。そうしないと相手が様々な人体実験と殺人の罪を重ねた重罪人であり、今も追われる立場の人間なのだということを忘れそうだった。  だが、何度思い直しても──目の前で優雅に午後の茶を啜る相手は、犯罪者にも、追いつめられている人間にも、見えなかった。  ミカは自分の前に置かれた茶器には手を触れないまま、相手の顔を見つめてぽつりと言った。 「何故私を助けたんですか」  くす、と突然ユローナは笑った。 「そんなことが気になるの?」  ユローナは茶の面から少しの間目を上げて、その紫の虹彩にちらりとミカを映した。  その目に映るミカは、《学園》を出た時から幾らか瘦せてはいたが、目立つ傷もなく、健康そうに見えた。  だが、一週間前の自分が確かに死にかけていたことを、ミカは覚えている。  ユローナはボロ雑巾のようになって街に転がっていたミカを拾い、この部屋に連れ込み、魔術で傷を癒し、熱が出れば夜通し看病し、こうして起きて椅子に座れるまでに回復させた。まるで人形の世話でもするように、ユローナはそれを楽しそうにこなしていた。  しかし、ミカの方は命を救われ喜ぶわけでも、感謝するわけでも、ましてユローナの名に怯えるわけでもなかった。ミカには現実世界の何もかもがぼんやりしていて、つかみ所がないように感じられていた。ここ数ヶ月ずっと続く異常事態の中で、感覚とか感情とかいうものがすっかり麻痺したか、鈍麻したかしてしまったようだった。何もかも、半ば投げやりになっていたのかもしれない。  ただ一つ違ったのは、自分を追いかけてフレアバタンまで来てしまった友人、リティーヤに会った時だけ。  その時だけは、ミカは忘れかけていた感情が突き上げてくるのを感じたのだった。  今は、違う。ユローナに問いをして現状を把握しようとするのも、ほとんど反射とか、義務に近い。意味は薄い。  だから彼女は淡々と思ったことを口にした。 「あなたの手配書は見たことがありますから。あなたは人を殺すことに理由のいらない人で、人を救うのに理由が必要な人です」  そんなミカの様子を興味深そうに眺めて、ユローナが短く答えた。 「夢よ」 「……夢?」 「あなたが見てた夢とやらに興味がわいたの。私に拾われた時のこと覚えてないみたいだけど、あなた言ったのよ、夢を見ていました、って。とっても幸せそうな顔で」  ぼろぼろで、傷だらけだったのにね、と言ってまた少し笑う。  訝しげな様子が伝わったのだろう、ユローナは言葉を続けた。 「どんな夢か訊いたら、秘密って答えたわ。それで気になったの。あなたの夢を、見てみたいと思ったの。勿論、その時はあなたが《学園》に追われているなんて知らなかったしね。でも、あなたを助けて私に追われる理由が一つ二つ増えたところで、私には今更あまり変わりはないのよ」  それは確かにそうかもしれない、とミカも思う。追われる理由、というのであれば、ユローナは両手両足の指を使っても数え切れないほどある。  ただ、今の話に一つ気になるところがあった。 「……私の夢、見たんですか」  ええ、と笑ってユローナは椅子に深く腰掛ける。 「あなたは《学園》の優等生。友人は多くはないけれど理解者はちゃんといた。向上心旺盛で研究熱心、人間関係や研究上の問題で多少の困難はあったけれど、将来は明るく、希望に満ちて、そう、それと気付くこともできないほどに、確かに幸福だった。おかげで私も幸せな気持ちになってしまったわ」  相手の言っていることがわからず、ミカはすこし混乱した。まだ頭がはっきり働いていないのかもしれない──。  だが、その相手の口から、たった一つ、わかる言葉が転がりでてきた。 「あなた、リティーヤのお友達だったのねえ」  ──血が頭から足先に落ちたように感じた。  ミカは強くて複雑な幾つもの感情が臓腑の奥から込み上げてくるのを感じ、その感情のままに椅子を蹴って立ち上がっていた。 「どうしてリティーヤのことをあなたが知っているんですか!」 「あの子は、私にとってとても重要な人物なの。あなたの夢を覗かせてもらって、リティーヤの姿を見た時の私の気持ち、想像できて? とても嬉しかったわ──とても幸せだった。ね……?」  ユローナは青ざめたミカを愛で、喉の奥から楽しそうな含み笑いを漏らした。ヘビのような目がぬらりと輝いてミカを捕らえる。 「あなたを使えば、リティーヤはのこのこ私のところに来てくれる。そう思うのだけれど、間違っているかしら?」 「なんのためにリティーヤを! あの子がいったいなんだって言うんですか!」 「あら、知らなかったの?」  意外そうに、小馬鹿にしたように、ユローナは頰杖をついて言った。 「あの子はね──」  その時、扉がノックされた。 「なあに」  会話を邪魔されたせいだろうか、ユローナが不機嫌に答えると、扉が開いて、二十代半ばと思しき男がひょいと顔を出した。歳の割に、妙に屈託なく笑う男だ。 「馬車の用意ができました」 「出るわ」  ……残されたミカは、扉に錠の下ろされる音を聞き、ようやく全身の力が抜けるのを感じ、椅子に座り直すこともできず床にそのまま座り込んだ。  掌に顔を埋めて、長く、長く、吐いた息は、微かに震えていた。 「リティーヤ……」  思わぬ事態の展開に混乱を深めつつも、ミカはやっと回転し始めた頭で、親友のことだけを繰り返し考えていた。 「本当に、どうしてあの子を連れてきたんですか?」  ユローナに付き従う男──イルザークは、少し先を行くユローナにそう声をかけた。  黒いケープを羽織り、重厚な螺旋階段を下りながら、ユローナは笑みを漏らす。 「あなたまでそんなことが気になる?」 「ええ、まあ。今は一応、《貴族院》の客になるわけですから、その客の身でさらに客を抱えるのはどーなんだろうと。あなたを嫌う幹部連中が騒いでますよ?」 「彼らは騒ぐことが仕事なの。放っておきなさい。それよりあなた見た? あの子、リティーヤの名前出した途端顔色変えたわ。可愛いものねえ」 「部屋の外では聞き耳は立てられても顔色は窺えないもので」 「あら、そうだったわね。なら後で試してみるといいわ」 「可愛い子を虐める趣味はないんでやめておきます。……本当にあの子を使ってリティーヤをおびき出すつもりなんですか?」  ユローナは愉快そうに声を上げて笑う。 「さあ、どうかしら。あなたの幼馴染みはそこまで間抜けじゃないと思うけど」 「ではあの子はそのうち《学園》か《貴族院》に引き渡すんですか? 《学園》はあの子を追ってここまで来たんですから、あの子を引き渡せば本部に帰っていきますよ。そうしたら、あなたは《貴族院》での地歩を固めるべく動き始めることができる」 「…………」  ユローナは答えない。その背中を見つめて、イルザークは、逡巡しつつももう一度口を開いた。 「あなたがあの子を連れて帰った時、いつもと様子が違っていました」  ……ユローナはその場に立ち止まった。 「どう違うとか訊かないでくださいよ。そういう感じがしただけですから。とにかく、それで、あなたは、リティーヤに対する囮や、《学園》との交渉材料としての用途以外にも何か、あの子に求めるものがあるのかもしれないと思ったんです」  イルザークに背を向けたまま、ユローナがくすりと笑う気配があった。 「私が、あの子に何を求めると?」 「……さあ。そこまでは。ここに連れてこられた彼女は見ましたけど、すごいケガでしたから、そのケガを負って死にかけながら微笑むことのできる夢……というものに、あなたは惹かれたのかも。彼女の見た夢に惹かれたか、彼女自身に惹かれたかはわかりませんが」 「抽象的だこと。あなたが詩人とは知らなかったわ」  イルザークは黙って肩を竦めた。 「でも、あの子はせいぜい実験対象よ」  そう言って、ユローナはまた階段を下っていく。ゆっくりと、一歩一歩を楽しむように。 「《学園》にいた頃から続けていた研究に、そろそろ成果を出せそうなの。ちょうど良いからあの子で最終確認するわ。その後は──そうね、《学園》に戻してもいいかもしれない」  くるりくるりと螺旋を描いて、下って