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作者:神奈木智,硝音あや
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-11-15(Enterbrain)
价格:¥1701 原版
文库:Bs-Log文库
丛书:暗殺姫のアドレッセンス(3.5)
代购:lumagic.taobao.com
【合本版】暗殺姫のアドレッセンス 全3巻 【合本版】 暗殺姫のアドレッセンス 全3巻 神奈木智 電子版 ビーズログ文庫 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載したりすることを禁止します。また、 本作品の内容は、底本発行時の取材・執筆内容に基づきます。  目次 暗殺姫のアドレッセンス ~狙いは黒の俺サマ王子~ 暗殺姫のアドレッセンス ~陰謀は金のツンデレ殿下~ 暗殺姫のアドレッセンス ~誓いは白の目覚める姫君~ 合本版あとがき 暗殺姫のアドレッセンス ~狙いは黒の俺サマ王子~ 神奈木智 電子版 ビーズログ文庫   目次 * * * 序章 第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 終章 あとがき * * * 『白』の姫には、決してキスをしてはなりませんよ。  毎夜、就眠の前にベッドで絵本を繰り、乳母は必ずそう言った。  絵本で語られる物語が何であろうと関係なく、それは彼女の決まり事であり、最後は同じ言葉で締めくくられる。お陰で、成長した今となっても、覚えている話など一つもなかった。  頭に残っているのは、乳母が父王に解雇されるその日まで、くり返し自分へ言い聞かせてきた言葉。『白』の姫には、決してキスをしてはならない。それだけ。  バカバカしい──そう思う反面、彼女の言いつけには一理あると思う。  何故なら、自分は『黒』だからだ。  生まれながらに漆黒の髪を持ち、闇色の瞳は忌み子の証と疎まれていた。だが、それも無理はない。王家の人間は輝く金髪と白磁の肌が特徴で、父王も正妃である母も、ついでに言うなら二歳年下の忌々しい取り澄ました弟も、皆がその遺伝子を顕著に受け継いでいたからだ。  けれど、自分だけは何もかもが違う。  肌こそ白くはあるものの、容姿で目につく全てのものが夜に属している。  いや、容姿だけではなかった。  声もだ。  自分が一声発すれば、闇の静寂から目を覚ます者たちがいる。彼らにしか届かぬ声と、魔の者を魅了する響きと、思いのままに操る音を自由に出すことができる。  だから、自分は『黒』なのだ。  決して、『白』の姫にキスすることは叶わない。  だが、とエミール国の不吉な王子、正統なる第一王位継承者、十九歳になりたてのキリアン・エルランドは考える。  一体全体、『白』とは何なのだろう。  そこに属する姫とは、はたしてどういう人物を指すのだろうか。  そうして、彼女もやはり自分と同じように、寝物語にくり返し聞かされていたのだろうか。 『黒』の王子には、決してキスをしてはなりませんよ──と。  どこからだろう、薔薇の香りがする。  レティシアは、くん、と夜風に鼻を利かせ、見取り図にあった薔薇園の位置を確認する。城の東翼に作られた瀟洒な薔薇園は、五月の今を盛りに咲き誇っているはずだ。とすれば、自分が今いるのは北翼の裏門の辺り。月が木造の鐘楼の真上に輝く時刻には吊り橋が上がって、外界から城をすっかり孤立させてしまう。それまでには、速やかに仕事を終わらせねば。 「……ふぅ」  一度首を振って、夜気の中で深呼吸をする。闇を切り取ったような黒髪は耳の下でばっさりと切り揃えられ、真紅に光る耳飾りと共に月光に浮かぶうなじの白さを際立たせていた。  華奢と言っても過言ではない細い肩、薄い背中。しかし、レティシアを見る者は決して彼女を「儚い」などとは表現しない。意志のはっきりした目力は、サファイヤブルーの神秘的な色彩と相まって対峙する相手を容赦なく貫くからだ。  今、レティシアは余分な肉のついていない俊敏な身体を、髪の色と同じ黒いロングジャケットに包んでいた。その下は動きやすい半ズボンを穿いており、ちょっとした少年剣士という出で立ちだ。もし、その姿を見かけても、十六歳の少女だと見抜くのは難しいだろう。 「キリアン・エルランド」  薄く開いた唇で、小さく獲物の名前を刻む。  今夜、レティシアは彼の命を奪うために城の敷地へ忍び込んできた。第一王位継承者でありながら、まるで幽閉されるように首都の外れで暮らしている忌み子。必要最低限の使用人だけを置いて、現国王の曾祖父がかつて愛人を住まわせていたという古びた城に住んでいる。  そう、ここは──あらゆる不吉の巣窟、七星城。  生まれながらに魔力を持った黒の王子が、十の歳から九年間を過ごしている場所だ。 「噂に違わず、不気味な城だな」  目の前にそびえる石造りの塔を見上げ、レティシアは臆するまいと気丈にうそぶく。七星城はその名の通り、大小様々な七つの塔を有する無骨な城だった。とても、愛人の住処などというロマンティックなイメージは浮かばない。どちらかと言えば、戦艦のようだ。 「成る程な。黒の王子には、またとない居城というわけか」  エミール国の首都ガディエラ。海と山に囲まれた天然の要塞を思わせるこの街には、いくつもの小島が付随している。その島の一つに建てられたのが、この七星城だ。本土と城を繫ぐ吊り橋は北翼の一か所のみで、それも夜の決まった時刻には上げられてしまう。そうなると、翌朝までは城の敷地から誰も出られなくなるのだった。無論、鳥か魚であれば別だが、国民の間で実しやかに流れる話では、王子は敷地に『呪』をかけていると言う。城の敷地内で空を飛ぶもの、海を泳ぐもの、それらはことごとく王子の『呪』によって身体が溶け去るらしい。  そんなのは法螺話だ、とレティシアは一笑に付す。  日暮れ時、人目を避けて城へ渡ったのは確かだが、警備の兵士が一人もいなかったので潜入は実に楽だった。このまま目的を達成したら、吊り橋が上がる前に速やかに街へ帰ろう。 「街へ戻ったら、すぐレオンのところへ行かないと。きっと、ひどく怒っているだろうし」  ふと八歳年上の育ての親の顔が脳裏をよぎり、レティシアの心はざわついた。捨て子の自分を拾い、時に兄のように、あるいは父のように慈しんでくれた男は、今頃置き手紙を読んでカンカンに怒っていることだろう。何しろ、彼の仕事を横取りしてしまったのだ。それも「王族を手にかける」という、捕まったら極刑は免れない重要な仕事を。  レオンとレティシアは、共に苗字を持たない。孤児だという点を抜きにしても、暗殺者には必要ないからだ。身寄りのない子どもを引き取り、運動能力や知能などいくつかの点で見込みありと思われた者を選別して有能な暗殺者に育てる──そういう秘密裡の組織がエミール国にはあって、二人ともそこで成長した。その歴史は古く、王家を巡る陰謀や宮廷の出世劇、あるいは諸外国へのけん制といったありとあらゆる場面で暗躍してきたと聞いている。  レティシアは、レオンが成人したのを機に一緒に組織の寮を出て街で暮らし始めた。だが、『仕事』が入ると組織から連絡がきて、彼はそのたびに出かけていく。決して、自分を連れて行こうとはしない。レティシアは不安を抱えたまま、レオンが笑顔で戻ってくるまでジッと一人で待つのが常だった。  でも、そんな夜を過ごすのはもう真っぴらだ。 「行くか」  己を鼓舞するため、わざと声に出してみた。ついでに、腰に二つ並んで差した短剣に触れて存在を確かめる。柄と刃にそれぞれ美しい細工を施した対の短剣は、両手使いのレティシアが扱いやすいようにとレオンが腕利きの鍛冶職人に作らせた逸品だった。だが、これらは残念なことに未だ一度も血を浴びたことはない飾り物だ。切れ味も軽さも申し分ないのに、貴婦人の胸に光る宝石と何ら変わらなかった。  だが、今夜からは違う。どれほど見た目は美しかろうと、武器は武器だ。本来の役目を全うした時にこそ、真の意味で輝きを放つ。  自分も同じだ、とレティシアは思った。  レオンが大事にしてくれるのは有難いが、人を殺めるためのあらゆる技術を叩きこまれているのに、彼は一度もレティシアに仕事を回さない。与えられた命令には全て自分が赴き、己の育てた少女の手が血に染まることを良しとしなかった。彼が有能だから皆も黙認しているが、庇われるレティシアはたまったものではない。ひそひそと仕事仲間から陰口を叩かれ、組織の人間からは「お人形さん」と呼ばれ、鬱憤は日ごとに増えていった。  でも──と、短剣の冷たさに安堵しつつ心の中で呟く。  今夜で、そんな惨めな思いとはおさらばだ。国民の誰もが知っている、王族から生まれた魔族の子。あと一年で成人を迎えれば、彼は王の住む中央の城へ戻らねばならない。そうして、次期国王としての教育を受けるのがしきたりだ。たとえ誰一人それを望んでいなくても、彼が生きている限りしきたりは守られねばならない。  そう、生きている限りは。 「王子も気の毒に。好きで魔族に憑かれたわけでもあるまいに」  どうして黒の王子が誕生したか、諸説あってレティシアにも真実はわからなかった。だが、そんなことはもう関係がない。自分が王子を殺めれば、それで全てはお終いだ。  気持ちを引き締めて、レティシアは歩き出した。編み上げのブーツの下で、刈られていない草たちがざわりと音をたてる。まるで侵入者はここだと囁き合っているようで、あまり気持ちの良いものではなかった。  事前に入手した見取り図によれば、城壁に沿って南へ向かえば出入りの商人用の扉があるはずだ。見渡したところ、ここにも見張りの姿は見当たらなかった。王子の居城とは思えない手薄な警備だが、それも国王が彼へ関心を持たないが故かもしれない。今回の依頼人についてレティシアは何も知らなかったが、あるいは、と残酷な憶測は頭に描いている。もし自分が考えている通りなら、さすがに王子が哀れだとは思った。標的に同情は禁物なので、あくまでちらりと考えたに過ぎないが。  古今東西、王家に生まれて不遇に処せられた人物は数多くいる。まして、身内に殺された者など枚挙に暇がない。だから、彼だけが特別不幸なわけではないだろうが、それでも王子として生まれていなければもう少しは長生きできたかもしれない。 『いいか、レティシア。どんな相手でも、決して舐めてかかるんじゃないぞ』  訓練中に、レオンがくどいほどくり返した言葉が蘇った。彼ほどの凄腕でも、毎回仕事へ行く前はひどく緊張するんだそうだ。 「相手は、怪しげな『呪』の使い手だという。油断などするものか」  もし王子が人間ではなかったとしても、ここで引くわけにはいかない。  レティシアはきりりと唇を嚙み、目指す扉へと足を運んでいった。 「──イヴァ」  城主のみが座ることを許されている、緋色の天鵞絨ビロードに包まれた豪奢な椅子。  艶やかに磨き上げられた背もたれの支柱には、左右それぞれに絡みついた見事な薔薇の花が彫刻され、天井に届かんばかりの高さを誇っている。  今、その椅子にだらしなく背中を預け、肘掛けに右肘を突いた青年が口を開いた。 「イヴァ、客が来たようだぞ」 「客ですか。それは珍しい」 「俺を殺しに来たようだ。殺気が、ここまで届いてくる」 「キリアン様を。それはまた物好きな」 「別に、趣味で殺しに来るわけではないだろう」 「じゃあ、お仕事で」 「そうなるな」  ふあぁ……と猫のように欠伸を漏らし、キリアン・エルランドは片頰を歪める。命の危機が迫っていると言う割には、ひどく吞気な様子だ。少し長めに伸びた黒髪が目にかかり、彼はうるさそうに優美な指で払った。 「侵入をお許しになったのですか?」 「退屈していたからな」 「城内に血が流れるのは、ちょっと嫌です。匂いとかも苦手です。あんまり、血とか内臓が飛び散らない死に方を選んで差し上げてくださいね」 「魔剣の分際で何を言う」  くっくと、キリアンは愉快そうに喉を鳴らす。本気でお願いしたのに、と傍らで焼き菓子を両手に摑んで食べていたイヴァは憮然とした面持ちになったが、他人の意見などに耳を貸す男ではないので諦めて溜め息をついた。  客人がゆうに百人は入れるであろう、七星城の大広間。改築を重ねた城の中でも最古の空間であり、キリアンがベッドに入るまでのほとんどの時間を過ごす部屋でもある。  ドーム型の高い天井。たっぷり陽光を採り込める、テラスに面した広い窓。  クリスタル製のシャンデリアは手入れを怠っているのですっかり輝きを失っているが、備え付けの燭台に火を灯せばたちまち煌めきを放つ。  だが、目につく物と言えばそれだけだった。他はがらんとしてもの淋しく、大理石の床も煤けて見る影もない。城主の椅子がある他は、だだっ広い中に申し訳程度の飾り棚と振り子の大時計、そして誰の顔かも判別のつかない肖像画が数枚、壁にかけられているのみだった。 「久しぶりの客人だ。せめて、顔を拝んでやろう」 「お会いになるのですか?」 「放っておいても、ここまで来るさ。何せ、獲物はこの俺だ。キリキリと突き刺さるような殺気が、どんどん近づいてくる。心地好いほどだ」 「また、変態なこと言ってる」 「場合によっては、おまえを使うぞ?」  生意気な口を利くイヴァへ、意地悪な視線を投げかける。契約によって魔剣が人型となっているイヴァは、武器のくせに殺生があまり好きではなく、キリアンの言葉にどよんと暗い顔つきになった。人型の時は身震いが出るほどの美青年なので、そうすると人生の苦悩を一身に背負ったが如くの様相となる。ただし、口元に焼き菓子の屑をつけていなければ、だ。 「そろそろかな」  ぞくりと肌が泡立つほどの快感を覚え、キリアンはゆっくりと身体を起こす。これまで数多くの刺客が城へやってきたが、こうまで清々しい殺気は初めてだった。 「切り刻んだら、薔薇園に埋めてやろう。良い花を咲かせるかもしれないぞ」 「悪趣味ですね」  せっかくの提案をにべもなく評価され、軽くイヴァを睨みつける。腹いせに焼き菓子を取り上げられては大変と、イヴァは急いで衣装の袖に残りを隠してしまった。  情報によると、目指す標的は大広間にいるはずだ。  目的地までの最短ルートは頭へ入れておいたつもりだったが、思っていたよりも城内が薄暗いためレティシアは慎重に先へ進まねばならなかった。そのせいで予定外に時間を食ってしまい、少しずつ焦りが募ってくる。首尾よくキリアンを殺せたとしても吊り橋が上がってしまっては脱出困難になるし、もしそのまま一晩帰らなかったら過保護なレオンは気も狂わんばかりに心配するだろう。残された時間は、そう多くはない。 「それにしても、本当に使用人がいないな……」  先ほど侵入に使った商人用の扉を思い出し、レティシアは口の中で小さく呟いた。一応鍵がかかってはいたものの、鍵開けは得意技の一つだ。人目につかないようこっそり開けたつもりだったが、城内は警備の者どころか人の気配そのものが皆無だった。これにはさすがに不気味なものを感じたが、そこで怯んでなどいられない。どこかに罠が張られていないか注意深く見回した後、猫が忍び込むように中へ滑り込んだのだった。  携帯用の小さなランプに素早く火を灯し、貯蔵庫への扉まで移動する。そこから更に台所へ出ると、さすがに壁の燭台には火が入っていた。レティシアは急いでランプを消したが、ゆらゆらと浮かび上がる自分の影が今にも形を変えて襲ってきそうな気がする。心の中で(落ち着け)と己へ言い聞かせ、廊下へ通じる扉をそろそろと開けた。  ──だが。 「…………」  一歩台所を出れば、そこは再び薄闇の世界。廊下に点在する燭台の灯りは、まるで月下に咲く花のように頼りない。いっそ、月光の差し込む回廊の方が明るいくらいだ。 「まいったな……」  本当は走り抜けたかったが、それは諦めた方が良さそうだ。レティシアは小さく息をつき、壁伝いに用心深く歩き始めた。  触れる石壁はひやりと冷たく、掃除が行き届かないのか時折、蜘蛛の巣とおぼしきものが絡みつく。足元はおぼつかず、レティシアの内心で焦りと苛立ちが徐々に膨らんでいった。冷静さを欠けば命取りだと頭ではわかっているが、闇の不気味さが余計に焦燥を駆り立てる。 「大丈夫。この日のために、ずっと修練を積んできたんだから」  自身を鼓舞するため、歩きながらレティシアは口の中で小さく呟いた。  そう、だって──と祈るように続ける。  私を暗殺者として仕込んだのは、他ならないレオンなのだ。  陽気で逞しくて、明るいお日様のような笑顔。屈託なく誰とでも打ち解け、居酒屋へ行けば必ずそこの女性に惚れられるくせに、迫られると本気で困っている純情な面もある。そんな時の彼は、暗殺者としての非情な顔とはまるきり別人だった。人たらしで、少しだらしなくて、家族以上に大切な存在。レティシアにとっては、かけがえのない相手だ。 「だからこそ、ちゃんと独り立ちしなければ。いつまでも、レオン一人に汚い仕事をさせてはいられない。私は、この仕事を成功させる。……レオンのためにも」  ゆっくりと言葉にしたら、噓のように落ち着いてきた。  レティシアは肩から力を抜くと、意を決して足を止める。どうやら、ここが目指す大広間のようだ。見上げるほど高い両開きの扉には、王家の花である百合が彫刻されている。 「──よし」  殺すべき相手は、この奥で寛いでいるはずだ。  二本の短剣を鞘からゆっくりと抜き、それぞれを左右の手に持ち直した。短く深呼吸をし、腰を屈めて体勢を整える。後は、スピードが物を言うだろう。相手に逃げる間を与えず喉を切り裂き、心臓を正確に刺し貫く。素早さと身軽さなら、レオンにも引けは取らない。  一、二、三!  レティシアは右足で思い切り扉を蹴り、僅かに開いた隙間から中へ飛び込んだ。狙い通り、標的は城主の椅子に座っている。 「はッ!」  しなやかな獣のように床を跳ね、椅子の前へ着地した。黒の王子。噂に違わず、黒づくめの装束に身を包んでいる。美しい漆黒の髪、黒曜石の瞳。不意の侵入者にも動じた様子はなく、目が合った刹那、不敵に微笑まれる。  次の瞬間。 「!」  喉を狙って繰り出した右の刃が、虚しく宙を掠った。我が目を疑い、半拍レティシアの動きが遅れる。続けて心臓を突くはずの左の刃が、背もたれにかかった天鵞絨を切り裂いた。 「口上もなしか。無粋な暗殺者だ」 「な……ッ」  後ろか、と反射的に飛び退る。その直後、レティシアがいた場所に落雷があった。激しい衝撃を受けて転がりながら、どこから、と混乱する。周囲からは焦げ臭い匂いが立ち昇り、ひび割れた大理石が床へ大きく亀裂を走らせていた。 「何……」  驚きに、唇が震えた。まるで、空中にいきなり雷が出現したとしか思えない。 「──立て。そして剣を構えろ」  愉悦を滲ませた氷の声音が、レティシアに命令をした。  目の前に立つ黒の王子は、冴え冴えとした美貌の下から残酷な微笑を唇へ刻む。 「まさか、これで終わりではないだろう? この俺が、わざわざ待っていてやったのに」 「…………」  待っていた? どういう意味だ?  うそぶく相手の顔を睨みつけ、レティシアはよろりと立ち上がる。まだ頭はふらついていたが、ここで弱った顔は見せられなかった。ゆっくりと呼吸をくり返し、再び両手に短剣を構え直す。不覚を取った己を恥じ、怒りがめらめらと湧いてきた。 「キリアン・エルランド。おまえの命を、貰い受けにきた」 「一国の王子を呼び捨てか。せめて、殿下をつけろ」 「私は、王家に忠誠など誓っていない。おまえは、私の王子ではない」 「流れ者か。どうりで、礼儀がなっていないはずだ」  ははは、と愉快そうにキリアンが笑う。彼は右手を軽く掲げると、長くて形の良い指で宙に不可解な模様を描き始めた。 「〝我は黒。我は雷の主〟」 「な……んの真似だ……」 「〝我はその名と契約する。雷は我が手となりて、仇為す者を全て焼却せよ〟」  ドンッ!  再び、落雷がレティシアを襲う。吹き飛ばされた視界に閃光が走り、空気がびりびりと鳴り響いた。だが、キリアンはわざと外したようだ。うつ伏せの姿勢のままかろうじて顔を上げた先で、彼が興味深げにこちらを見下ろしているのが見える。ぞくりと悪寒が走るほど、その微笑は美しかった。 「立て、身の程知らずの暗殺者。つまらないじゃないか」 「く……」 「それとも、焼き焦がされるのは本意ではないか? どんな風に殺してほしい?」  獲物をいたぶる獅子のように、うっとりとキリアンが尋ねてくる。この期に及んで、ようやくレティシアは城の警備が手薄な理由を痛感した。彼には、兵士など不要なのだ。忌み子と呼ばれる通り『呪』を自在に操り、息一つ乱さずに敵を滅ぼすことができるのだから。 「……おまえ」  ふと、乱れたレティシアの黒髪にキリアンが目を留めた。戦闘の邪魔にならぬよう、短く切り揃えられた飾り気のない髪。だが、彼は僅かに目を細めると、いきなり目の前で右膝を突き、床に伏したレティシアへ右手を伸ばしてきた。 「さわ……るな……っ」  なんとか避けようとしたが、飛ばされた際の打撲と擦り傷で動きが鈍る。キリアンは意に介さず毛先を指に絡ませると、窺うようにレティシアの顔を覗き込んできた。  何の真似だ、と間近に迫る瞳を睨み返す。  こちらを見つめる甘い闇は、抗い難い魅力で絡みつき、レティシアを取り込もうとした。傷ついた獲物に爪をかけ、どんな形に引き裂こうかと舌舐めずりする魔獣のように、キリアンはゆっくりと唇の両端を上げる。幻惑の響きに満ちた声音が、そこから零れ落ちてきた。 「真実の姿を、俺に曝け出すがいい」 「え……」 「おまえは、もっと賢くなった方がいいな。女に生まれたのだから、特権は利用しろ。もっとも、目的のために手段を選ばぬ覚悟があるのなら、の話だが」  言うが早いか、彼は毛先へふっと微かな息を吹きかける。  瞬間、レティシアの黒髪の下から眩いばかりの金髪が姿を現した。光を含んで風に乗り、溢れるばかりの豊かな髪は煌めきながら床へ流れ落ちる。 「見ろ」  感心したように、キリアンはほくそ笑んだ。 「警備もいない城へ地味な変装で忍び込むより、金髪を綺麗に結い上げて胸の開いたドレスを纏い、下着に短剣をしのばせた方がよほど成功率は上がるぞ?」 「う……うるさいっ!」 「まぁ、その細い身体では成熟しているとは言い難いが」 「放せッ!」  怒りに痛みを忘れ、レティシアは素早く飛び起きた。遅れて長い髪が背中にかかり、燭台の炎を反射する。耳たぶを飾る小さな血赤の宝石と、きらきらと毛先まで縁取る光の粒にキリアンは一瞬見惚れたようだが、そんな自分に気づくと舌打ちをし、忌々しげに毒づいた。 「金髪は嫌いだ」 「え……」 「そろそろ、俺は寝る時間だ。もう少し楽しめるかと思ったが、見込み違いだったようだな。こちらの『呪』に怯まない度胸だけは認めてやるが、黙って睨みつけているだけでは俺は殺せないぞ?」 「…………」 「安心しろ。苦しませずに逝かせてやる」  あらかたレティシアに興味を失ったのか、すでに瞳から快楽の色は失せている。キリアンは再び右手で同じ模様を描き、低く呪文を唱え始めた。次の一撃がくれば、間違いなく雷に打たれて死ぬだろう。レティシアは唇を嚙み、短剣を構えて考える。  なんとかしなければ。なんとか。  じりじりと迫る瞬間に追われ、必死で突破口を探し求めた。  落雷を避けることさえできれば、奴の懐へ飛び込むことができるはずだ。 「〝焼却せよ〟」  冷酷な一言が雷となり、身体を貫こうとした──刹那。 (今だ!)  レティシアは右手の短剣を、城主の椅子目がけて素早く投げつけた。剣先は背もたれへ突き刺さり、鉄に誘われた雷が椅子を粉々に破壊する。一瞬の出来事に目を奪われ、キリアンに僅かな隙が生まれた。それを見逃さず床を蹴り、喉元を目がけて左手の短剣を振りかざす。高揚に胸が膨らみ、心臓が大きく音をたてた。 「覚悟!」 「…………ッ」  鋭い切っ先を、紙一重でキリアンが避ける。だが、レティシアの