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作者:木村千世,蘭蒼史
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-11-15(Enterbrain)
价格:¥1672 原版
文库:Bs-Log文库
丛书:アストフェルの舞姫(3.5)
代购:lumagic.taobao.com
【合本版】アストフェルの舞姫 全3巻 【合本版】 アストフェルの舞姫 全3巻 木村千世 電子版 ビーズログ文庫 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載したりすることを禁止します。また、 本作品の内容は、底本発行時の取材・執筆内容に基づきます。  目次 アストフェルの舞姫 アストフェルの舞姫 空知らぬ月の王子 アストフェルの舞姫 炎に舞う恋の花びら 合本版特典SS 王太子殿下の寝台 合本版特典 舞台裏 アストフェルの舞姫 木村千世 電子版 ビーズログ文庫   目次 * * * 序 幕 第一夜 恋知らずの舞姫 第二夜 昏き定めの烙印 第三夜 宿命の交わる城 第四夜 震えて眠れ 第五夜 炎に舞う花びら 第六夜 仮面、剝がれし刻 終 幕 あとがき * * *  星屑の燃える夜空に向けて、男は手にした剣を振りかざした。  居並ぶ黒装束の戦士たちが、こちらに目を引かれたのを確かめてから、口を開く。 「憶えてるか? おまえたちの兄弟の亡骸が、洗われもせずに砂原に転がった日のことを。その時の怒りと屈辱を──」  英雄詩めいた言い回しでありながら、男の口調に芝居くささはなく、また無駄に大声を張ってもいない。  むしろ淡々と事実を述べるような響きなのだが、男の声にはそれだけで不思議と心を熱くさせる力があった。 「──しかしだ。ただ砂の上に涙しても、意味はない。憐れな兄弟たちの救いになんざ、なりようもない。わかるな? 彼らが、生き残った俺たちに望んでいることは何だ? 何をしたら悲壮な死に報いてやれると思う?」  断崖に挟まれた、地獄の底じみた細い道。  星空が、長い帯のように頭上に流れている。  後は左右の岩肌のかたちすら定かでない闇の中では、男の目と刃のみが、正しい路を照らす松明のように光って見えた。 「──その通りだ。復讐。それしかない」  いっそう低めた声が、ティムール族の戦士が従うべき唯一の定めを告げる、火の神『炎帝』の託宣の如く重く響く。 「傲慢なる帝政アシェラートに、自分たちの罪業を思い知らせてやろう。剣の鞘は火にくべたな? ならば立て、部族の尊厳を担いし勇士どもよ!」  応──!  戦士たちは高鳴る心臓に鼓舞されるまま、口々に鬨の声を上げた。  我らが『灰の導き手』エンヴェルに従い、義士として戦いに赴こう。  復讐を果たそう!  黄金沙漠サハラー・ザハヴイーの果てに顔を出した陽の光が、旅籠ハーンの一室を明るく照らしている。  遊牧民のあざやかな色の絨毯の上をばたばたと行き来して、シュマリアは舞に必要な道具をかき集めた。愛用の、夜色の鞘におさめた模造剣。なけなしのお給料で買った金色の装飾品。飴色の革のサンダル──  草木染の一枚布を張った衝立の陰で、ドトレースブ風の白っぽい衣裳に着替えて出ると、レイニーが待ち構えていた。 「シュマリア、君は今日のお化粧どうする?」 「あ、今日は兄さんと剣舞やるくらいにしとくんで、口紅だけでいいかな~なんて……」 「何を言うの、それじゃつまらないじゃない! そういう男っぽい演目の時こそ、秘めたる女の艶が大事なのよ? いつも元気で勇ましい女の子が一瞬チラ見せする可愛らしさとかに、男ってアホみたいに弱いんだから」 「……えっと……じゃ、またレイニーさんに頼んでもいいですか?」  衣裳を自分で縫ったり、黒い巻き髪をあれこれいじるのは好きなのだが、お化粧だけは苦手なシュマリアだ。  レイニーは自信たっぷりに頷いた。 「おねえさんに任せなさい。君は可愛いから、いじりがいがあるしね♪」  手品のように化粧筆を操り、瞼のきわに漆黒の瞼墨クフル、唇にアネモネの花色の紅などをさしてくれるレイニーだが、本人はそこまでお化粧好きになる必要もなさそうな華やかな美人だ。花に喩えるなら大輪の向日葵。 「──はい、東領旅団のお姫様のでき上がり!」  はっとしてお礼を言うと、オリーブ材の台に嵌めこまれている円い手鏡を渡された。  明るい窓辺にたたずむ少女が映る。透明感を重視した薄化粧は、シュマリアにふさわしい清楚な仕上がりだった。 「さっすがレイニーさん、東領聖撰軍一の化粧師」  シュマリアは素直に感動して、きりりと鋭角を描く眉を満足そうにつり上げた。  くっきりとした二重の碧眼が円っこく、双眸の大きさとは不釣り合いに唇が小さいせいか、少年じみた爽やかさばかりが目立ってしまう造作だ。あどけなさがレイニーの腕でもごまかしきれていないのが、ちょっと残念で、軽く唇を尖らせた。  窓辺に置いた鏡を見ながら黒髪の左右に編みこみを入れていると、見慣れた無表情が傍らに映った。 「あれ、兄さんもう完成したの? 早いなあ。早すぎよ」 「ん」  裾を長くとった黒衣裳(実は軍の戦闘装束なのだが)を適度に着崩したアレスが、ごく淡々と頷く。腹部をぴしりと締める朱地にビーズ刺繡も華やかな腰帯と、同じ色のバンダナマンデイールしか差し色がないのに、独特の涼やかな存在感を醸しているのはさすがだ。  シュマリアの従兄にして義兄でもある青年は、抑揚のない声でぽつりと問うてきた。 「今日は、剣舞だけか」 「……恋語りはお披露目してみないのかってこと? うん、実はちょっと迷ってたんだ」  シュマリアは軽く眉をひそめて悩んだ。  アレスを相方にして舞う『戦姫ファランと仮面の王』は、東領生まれの古典の名作で、剣舞と恋愛劇が見所なのだが。 「宮宴向けに場慣れはしときたいけど……でもレイニーさんとカイさんのいちゃいちゃ踊りの後だと絶対見劣りしちゃうし、やっぱり今回はやめと」 「──おまえたち」 「ぅわお!」  突然横合いから響いた声にびっくりして、シュマリアは足をすべらせて転んだ。  アレスは瞬きもせず、低い声の主を冷静に振り返って、こう呟いた。 「御師」  そうして呆れたふうな低い声が、シュマリアの頭上のはるか高いところから落ちてくる。 「何をずっこけているのだ」 「先生が無意味に気配を殺してくるからじゃないですか!」  いつのまにか間近にいたのは、長い黒髪をうなじで束ね、軍服の上から黒地に金緑の縁どりも渋い羽織ジユツパをはおった姿で、見慣れたしかつめ顔をしている男性だ。シュマリアたちの師匠にして旅団の束ね役──ダリヤールである。  床にしりもちをついた弟子の少女を面白がるでもなく、ダリヤールは厳かに告げた。 「修行が足りん。それより村人衆はもう集まっているぞ。遊んどらんと、村広場に急げ」  刻一刻と真昼に近づく空が、目にしみるほど青い。  広場にはナツメヤシや橙の木が円屋根を造るように緑豊かな枝をさし交わして、涼しい木陰を提供してくれていた。 「わぁお。思ったより集まってるねえ!」  引きずるような長衣ジヤルラビーヤをまとった老人に、堅くターバンクフイーヤを巻いた男、色違いのベールイザールを幾重にもかさねて顔を隠した女、膝や腕が出ている軽快な平服サウブの子供たち。  小オアシス、アゥラ=ハガールの村人のほとんどが集まってきてくれたようで、シュマリアは興奮と充実感をいっぺんに味わう。しかしごく自然に義妹の手を引くアレスは、あくまでも平淡に指摘してきた。 「帝都の宮宴は、もっとすごいぞ」 「……今それを思い出させないでよ、兄さん。変に緊張しちゃうでしょ」 「ん。悪かった」  レイニーとカイスタンの息の合った──口のヒネたジハールが「美男美女が踊りながらいちゃいちゃしてるだけなのに、変に魅せるよな」と評する熟練の組舞で、すでに場の熱気は十分だった。  惜しみない歓声と拍手が、シュマリアたちを迎えてくれる。 「よし、行こう!」  自分を奮いたたせるように頷くと、シュマリアは無表情すぎる相方の分まで笑顔を振りまきながら、開始位置についた。  宿代をタダにしてもらうためにするという、東領聖撰軍の舞師にしてはみみっちいとも言える条件下での演舞だが、手を抜く気はない。  最後にちらりとだけ、オリーブの木陰に座っている楽師陣を見やってから、アレスと背中合わせになる。  深呼吸。  ──一拍後に、旅団の誇る天才楽師、ジハールの竜笛ナーイの高音が天を貫いた。  切り裂くような調べに合わせて、シュマリアは黒革の腰帯からすらりと模造剣を抜き、振り返りざまにアレスと斬り結んだ。  一合、二合── (上出来!)  水が流れるように美しく、ぴたりと息の合った殺陣に、おおっと周囲から感嘆の声が上がる。  ──完璧な一対。  呼吸が少しズレただけで即怪我に繫がる高難度の剣舞を、いつだって危なげなく演じられる二人を、ダリヤールがそんなふうに評したことがある。対なる者。互いが互いのために生まれた舞師のようだと。  確かに今、自分のすべてがアレスと呼応しているかのような手応えが、爽やかな快感となってシュマリアの背筋を貫いている。  客席がどっと沸きたつのも肌で感じられて、ぞくぞくと昂揚さえしたが── 「──兇賊だ! 兇賊が来てるぞっ!」  誰かの絶叫。  それが、シュマリアの火照った気分に冷水を浴びせた。  ぎょっとして、村のぐるりを囲む砂色の防壁の東門を振り返ると、遠くから黒っぽい虫の群飛にも似た馬群が押しよせてくるのが見えた。賊の顔まではわからないが、もうもうと立つ砂煙が不安を煽る。 (え……あれ?)  その時、シュマリアは奇妙な違和感を覚えた。  兇賊の姿がふとブレて、蜃気楼のように朧げになって見えたのだ。  瞬く。  すると今度は、はっきりと見えた。……目の錯覚だったのかな? 「シュマリア」  不意に二の腕をつかまれたので、シュマリアは目をまるくして義兄を振り仰いだ。 「旅籠ハーンに戻れ。ディアスたちと」  いつもは眠たげにさえ見える紫闇の瞳の光を不意に鋭くして、アレスは有無を言わせぬ音調で命じてくる。シュマリアは鼻白んだ。 「でも、わたしだって少しは力に──」 「〈春の大祭ノールーズ〉前に、おまえに怪我はさせられない」  義妹がぐっと詰まった瞬間を逃さず、アレスはダリヤールやカイスタンとともに東門へと駆けだした。 「シュマリア……早く」  楽師のディアスの、こんな時でも妙におっとりと響く声が聞こえる。  確かに怪我はしたくない。  だがアレスたちにしても、怪我をしたらまずいのは同じなはずだ。唇を嚙む。 (わたしだって軍の舞師で、ダリヤール先生からちゃんと星魔術シーミーヤも剣も教わってるのに……)  ──東領カブル=フードを守る聖撰軍にあって、旅団は特殊な分隊だ。  その職務は、舞や音楽で出陣前の軍兵たちを鼓舞するだけに留まらない。  旅芸人などに身をやつして、領内の郡代官たちの行状をこっそり調査したり、騒乱の予兆が見える土地を偵察にいくのも大切な仕事だ。これから向かう帝都では、それとはまた別の使命を果たすことになっている。  シュマリアはまだ危険の大きい任務に加わったことはないが、覚悟だけならとっくにできている。  だからこんなふうに一方的に守られるだけなのは、正直不満だった。  しかしわがままを言って義兄たちを困らせるのはもっと厭だったので、シュマリアはぐっと我慢した。……今は。 「自警団は武器を持ってきたか! 星魔術シーミーヤはっ」 「舞師の方たちが手伝ってくれてる。だから早く門を! 門扉を全部閉じるんだ!」  悲鳴や怒号が飛び交う中、すれ違いざまに村人とぶつかってしまいながら、旅籠ハーンへの狭い路を選んだ時──  目の前に突然、大きな影が立ちはだかった。 「──っ!?」  男だ。  恐ろしく背が高く、体格のいい男。白いターバンクフイーヤでしっかりと顔を隠している。 (でも……兇賊ではないよね?)  シュマリアは戸惑う。隊商を狙ったり、オアシスに掠奪を仕掛けたりする兇賊は、野卑で小汚くろくな身装をしていないものだが、その男は違った。  毒々しいまでの赤黒い色をした外套の下は、神官の衣を思わせる清潔で白い長上着クンバーズ。鋼色の柄の偃月刀を目に灼きつくような紅い腰帯に佩いた姿は、下手な遊牧民の族長などよりはるかに堂々としている。  得物は抜いていないし、今まさに抜くような気配もない。  それなのに、ひどく威圧感があった。 「……だれ?」  空唾を吞んで、シュマリアは訊ねた。思わず模造剣を握り締めていた。  ターバンクフイーヤの陰で光る、何かを燃やし尽くした後の灰塵の色をした瞳が、困惑するシュマリアを見下ろす。値踏みするような冷たい目つき。 「……、烙印……じゃないのか」  周囲の叫騒のせいで、男の低い声は聞きとりづらかった。シュマリアは眉をひそめる。  が、男が何かを言葉を継ぐより早く、シュマリアの前に誰かが立ちはだかった。 「兄さん」  アレスは模造ではない本物の偃月刀を右手にたずさえ、背に義妹を隠すと、男を冷ややかに睨みつけた。 「シュマリアに近づくな」  常のぼんやりとした姿を裏切る硬質な気配をまとって、アレスは続ける。 「去れ」  すると男はアレスを一瞥し、嘲るかのように目を細めて──ふっと大きな背を返すと、意外なほどあっけなく立ち去った。  男が見えなくなった途端、背中にぶわっと汗が浮いた。  シュマリアはそれで初めて、自分ががちがちに緊張していたことに気づいた。 「シュマリア。怪我は……」  ないかと訊こうとしたらしいアレスの声が、不自然に途切れる。わずかに眉間が狭まった。 「……衣裳。裾が」  シュマリアはぎょっとして、義兄がじっと見つめる先を目で追った。  渾身の花文刺繡をほどこした衣裳の裾が、縦の布目沿いに、びりびりに裂けていた。 「あー!?」  右往左往の騒ぎが続くアゥラ=ハガールを後に。きつい陽射しで下草が枯れた曠野から、野花がぽつぽつと色を灯すガウダ平原へと鞍上からの景色が変わる頃、エンヴェルはわずかに手綱をゆるめ── 「──あれが、十五年前に失踪した〈烙印持ち〉か」  確かめるように呟いた。灰色の瞳が、不穏に光る。  走りながら合流して、そのまま駱駝の首を並べている、エンヴェルと同じ赤黒の外套をまとった戦士が頷いた。 「黒髪の若い舞師、東領の監察官マスウド・ハクバ・アーリ=ジェディットの養い子──調べの通りです。あれで間違いないでしょう」 「まさか本気で東領聖撰軍の、それも舞師になってるとはな。傑作だが、バルク家の長老衆に教えたら嘆くかもな。『柔弱なる者ムハンナスーン』なんぞにするために、貴い炎帝の秘儀をほどこしたんじゃないとか言って」  芸術や学問に従事する者を小馬鹿にする東領独特の表現を使いながら、エンヴェルは覆面の陰でくくっと嗤う。  これから帝都で恐るべき所業をしでかす予定の人間とはとても思えぬ気楽な態度だが、十人あまりの戦士はそれで不安になるどころか、むしろ、余裕を漂わせるエンヴェルを頼もしそうに見つめていた。 「ですが、本当に何もせずに〈烙印持ち〉を行かせてしまうのですか?」 「ああ。〈聖灰〉まで使わせといて悪いが、少し気が変わった。逢ってみたら意外と気が強そうだし、まあまあ腕も立つみたいだったからな。強引に攫うのはてこずりそうだし、あの手の輩にはじわじわ追いつめる方が効く」 「──その辺りの判断は、お任せいたします」 「任されてやるぜ」  不敵に頷き、エンヴェルはやがて嗤うのをやめると、再び駱駝の速度を上げた。  風も太陽も穏やかなガウダ平原を抜け、百花繚乱の帝都アムサールには、予定より半日遅れでたどりついた。  それでも各封領カテイーアから派遣されてくる旅団の中では、シュマリアたちが一番乗りだ。黄金沙漠サハラー・ザハヴイーの気まぐれな空を考慮して、日程に余裕を持たせておいたお蔭である。  きっちりマス目状に区画されている都の七カ所で検問を受け、殺風景な沙漠に慣れた目がちかちかするほど華やかなバザールを──買い物したい気持ちをぐっとこらえ──通過して、白亜の中央宮殿ダルガーフへ。  政の行われる壮麗な内宮エンデルンではなく、それを中庭とともに取り囲む外宮ビルンと呼ばれる区域の真東に、祝宴会場の『春静の館』はある。  名に「春」を冠する邸館らしく、やさしい緑と白、そして花びらを思わせる濃淡のさまざまな紅の釉薬タイルで外壁が彩られ、内装も細やかな花文様のアラベスクで統一されている。中でも円舞台が設えられた大広間などは、春の盛りの花園を描いた壁のモザイク画がため息ものの美しさなのだが── 「……ちょっと広すぎると思うのよね」  シュマリアは、誰にともなくぼやいた。 「お手洗いから、ちゃんと元来た道を戻ってきたつもりなのに……なぜに外」  光る鉄鋲の飾りがついた扉の先──迷子になりそうなほど広大な庭苑は、人気もなく、ひっそりとしていた。  高い樹々の枝には白檀や伽羅で作られた鳥籠カフエスがかけられており、夢のような色をした鳥たちが切々と囀っている。手入れのよい花壇を見てシュマリアは、薔薇ってこんなにたくさん色と形があるんだと感心してしまった。  顔を上げると、夕暮れ間近のやわらかな橙色の陽射しに輝く内宮エンデルンの青い円天蓋が、高い木立の向こうに見えた。  ──がんばって王子様をタラしてきてね!  ふと甦ったのは、アイシャの声だ。  倒れた祖父の看病のために〈春の大祭ノールーズ〉行きを諦めた親友は、そんなふうに言ってシュマリアを送り出してくれたものである。 「ま、さすがに王子様は無理だと思うけどね」  アイシャへの土産話の種に庭苑を見てから戻ろうと思いつき、シュマリアは革サンダルの足で芝生へと下りた。  ひとつに編んだ黒髪が背中で揺れる。  薫る風に、シュマリアはうっとりと瞼を閉じた。 (……気持ちいい風)  広大な帝国領土は、帝都アムサールを中心として東西南北の四つの封領カテイーアに分かれ、それぞれ帝スル王タンに信任された総督によって治められている。春と秋の年に二度の〈大祭〉では、各封領カテイーアが持つ聖撰軍から帝都へと旅団が遣わされ、帝スル王タンとその一族の御前で互いに技を競う「闘舞」が行われる。  その幕開けまで、あと七日。 (身体馴らししてから、広間に戻ろうかな)  深呼吸。  ……『戦姫ファランと仮面の王』の物悲しい旋律を、ゆるゆると鼻歌でなぞる。  そうしながらシュマリアは、腕でなめらかに空を裂き、軽やかなスムテーッシプユを刻みはじめた。  舞の華やかな衣裳ではなく、白木綿の中袖シカャミツスに腰帯で締めた袴サルワールという動きやすさを最優先にした少年的な普段着だが、それでも振り付けの優雅さが損なわれることはない。  身体がのってきたら、次は表情を、憂いを帯びたそれへと切り替えて……。  不意に、楽器の音色が耳を打った。 『戦姫ファラン』の旋律を紡ぎゆく、リュートウードの爪音だった。  ディアスのやさしく温かい響きとは違い、虚ろで、儚い哀傷を感じさせる── 「──だれ?」  編んだ黒髪をなびかせて振り向くと、この地方では稀少な林檎の木の根元に、見知らぬ青年が座っているのが目に入った。 (気配に全然気づかなかった。……いつからそこに?)  相手をまじまじと見たシュマリアは、驚きに碧眼を瞬かせた。  まだ二十歳そこそこだろう。なのにあれほど完璧な演奏ができるとは、素晴らしい腕だ。  しかも、整った顔の異性にはアレスで慣れていたつもりだったが── (わあお!)  完璧な美貌。  ──そんな言葉が浮かぶ青年だった。  白いターバンクフイーヤで押さえた髪は黒に近い濃い鳶色と地味だが、そのお蔭で肌の抜けるような白さが引き立ってもいる。優美な顔立ちの中の、すんなりと通った鼻梁の高さも、淡い笑みが似合う唇のかたちも、意志の靭さを示すかの如く凜とした弧を描く眉も、非の打ち所のない造形美の極みにあった。 (ここまで綺麗なひとは、舞師にもいないかも……艶っぽいし)  何よりも印象深いのは彼の瞳だ。  まなざしの角度が変わるにつれ、冷たい翡翠色や、まじりけのない黄金色、綺麗に青みがかった灰色などに輝きが変わるのだ。じっと見つめていると、幻惑されたような心地になる。 (虹水晶みたい)  南領でも霊山でしか採れないという幻の宝石を思わせる、光さすたびに色を変える瞳。  こんな不思議な虹彩を見るのは初めてだ。 「こんばんは」  ──青年が唐突に言った。  うっかり見惚れていたシュマリアは驚いて「こんばんは」と鸚鵡返しに応えてしまった。  それで彼女が気を許したとでも思ったのか、青年は静かに立ち上がると、シュマリアの方にやってきた。  背が高い。  細いと感じさせる肢体だが、肩幅が意外に広いので軟弱そうではなかった。舞台映えしそうな姿のよさである。 「驚かせてごめん。練習を邪魔してしまった?」 「いや……別にそんな、練習ってほどじゃないんだけど」  身構えるあまり、無愛想な声になってしまったが、気分を害したふうでもなく青年は微笑んでいる。温かな魅力にあふれた笑顔だ。  アレスは無表情なせいで作り物めいた冷たさを漂わせることもあるのだが、この青年の印象はどこまでもやわらかだった。 「『戦姫ファランと仮面の王』」 「え」 「さっき、君が歌いながら踊っていた曲。違った?」 「……ううん、違わないけど。よく知ってるなって驚いたの」  代表とされる演目の『船乗りシンディバード』や『砂の女皇』に比べると、知名度では格段に劣るのに。 (もしかして、東領の文化を勉強したことがあるとか?)  感心なひとだと思ったシュマリアは、ふと、青年が右手にさげている楽器に気づいた。  白い木製のリュートウードだ。  長い棹に張られた複弦は六本。ずんぐりとした共鳴胴の部分には、緻密なアラベスクの彩色と寄木細工が華麗に踊っている。一介の軍の楽師や流れの吟遊詩人では手に入れることも難しい、高価な逸品に見えた。それで思いつき、ぽんと手を打つ。 「あ。もしかしてあなた、宮廷楽師?」 「より正確には、宮廷楽師『未満』かな」 「未満?」 「この前やっと弟子入りを許されたばかりなんだ。正位の楽師になるには、まだ道は遠いよ」  青年が苦笑する。  宮廷楽師には腕前もさることながら、身許が確かでないとなれないはずだ。貴族の子弟だとか、親族が宮廷楽師だとか。 (このひとは、たぶん貴族だろうな)  三歩の距離を保ったまま、シュマリアは相手を観察した。  金色のターバンクフイーヤ留めや白麻のシカャミツス、茶系でまとめた短上着アバと長い脚に沿った脚衣ビンタールは地味だが清潔で、どこか洗練された空気がある。  ほんの少し警戒をゆるめる。貴族なら、帝スル王タン陛下主催の〈大祭〉の時期に変な真似はやらかさないだろう。 「でもどうして、宮廷楽師のひとが独りでこんなところにいるの?」 「ちょっと師匠と揉めてね」  青年は、ばつが悪そうに目線をずらしながらではあるが、あっさりと白状した。 「気難しい、名人肌のひとでね。僕の演奏にあれやこれや言うくせに、どうしたらそれが改善できるかは教えてくれないんだ。今日も、おまえの演奏には心がない、技術だけが先走りすぎているとか散々言ったあげくに、『独りでよく考えてみろ』で放り出されたものだから、つい頭にきて」 「飛び出してきちゃった?」 「そういうこと。──参考までに、君はどう思った?」 「さっきの演奏のこと? うーん……そうね。ちょっと考えるから待ってて」  シュマリアは腕組みをして、まじめに頭を捻った。  自分も舞のことでしょっちゅう悩んでいるので、助けになることを言ってあげたくなったのだ。同じ、芸術を愛する人間として。 「わたしはそんなに、あなたの演奏に心がないとは思わないけど──」 「シュマ