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作者:朝霧カフカ,春河35
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-10-02(角川书店)
价格:¥600 原版
文库:角川Beans文库
丛书:文豪ストレイドッグス(4)
代购:lumagic.taobao.com
文豪ストレイドッグス 55Minutes 文豪ストレイドッグス 55Minutes 朝霧カフカ 角川ビーンズ文庫 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載したりすることを禁止します。また、 本作品の内容は、底本発行時の取材・執筆内容に基づきます。  目モク次ジ 55Minutes あとがき  その日、横浜は消滅した。  行政区画の青いビル達が、炙られた砂糖のように溶け落ちた。  沿岸の化学コンビナートが、太陽のような高熱でまたたく間に蒸発した。  舗装道路の上に行儀よく並んだ自動車の群れが、まるで気まぐれな神様から突然存在する許可を取り上げられたかのように、灰色の陽炎となって中の人間もろとも消えうせた。  窓から外の青い空を眺めていた少年も。  手を繫ぎあって海辺の公園を歩いていた恋人達も。  地下室で悪事の計画を立てていた犯罪者達も。  何もかもが突然、何の予告も忠告もなく、自分達が消えるのだという恐怖さえ与えられることもなく──ある瞬間さっと消滅した。  奇術師が見せる手品のように。  手品と違うのは、消滅した半径35粁キロメートルの大地と、そこに含まれる四百万人近い人間が、奇術師の思わせぶりなウインクとともに再び姿を現す──などということはなく、そして今後二度と元に戻ることはないということだった。  横浜の沖合を爆心地として、高熱はほとんど何も残さず、あらゆるものを持ち去っていってしまった。決して帰ってくることのできない遠いどこかへ、永久に。  かろうじて後に残されたのは、グツグツと煮える赤い液状大地と、死者の魂のようにゆらめく陽炎と、そして宇宙まで突き抜けているかのように深く青い、夏の晴れた空だけ。  そこは奇妙に静かだった。  寂しさすら漂っていた。  その上を、あざやかに白い夏の積雲だけが、消滅した巨大都市になど興味ないという風に、のんびりと空を泳いでいた。  ──夏である。  消滅劇のはじめを告げる開ゼ始ロア点ワーは、それから僅か──  ──55分前。  横浜消滅の55分前。  中島敦は海の上にいた。  双胴型の高速艇が白い飛沫を散らしながら波を切り裂いていく。敦は高速艇の舳先に立って、飛沫まじりの風を全身に浴びていた。  空は青く、海はどこまでも続いている。日差しは暑く、飛沫は冷たい。誰が見ても〝何かいいことがありそう〟と思わせる快晴の日和だった。 「おい敦! そんな舳先に立って、海に転げ落ちても知らんぞ!」  背後の船室から呼ぶ声に、敦は振り返った。 「国木田さん、僕こんなに速い船に乗ったの初めてです! 気持ちいいですね! 速いし、良い天気です!」  国木田と呼ばれた眼鏡の青年が、船室のドアから出した顔をしかめた。 「天気も速度も、見れば判る」そう云って国木田は懐から手帳を開いた。「本日の気象状況は降水確率0%だ。風速は南の風のち南東の風で、波の高さは1米メートルのち1・5米メートル。それから──」 「相変わらずその手帳、何でも書いてありますね……」 「俺の手帳には万象の予定が書き込まれている。何事も手帳の予定通りになるのは善いことだ。一度天気予報が外れて気象庁に乗り込んだことがあるが」表情を変えずに物騒なことを云った国木田は、手帳を閉じながら敦を見た。「それより船室に入れ。この船に乗っているのは遠足ではないぞ。仕事の打ち合わせをする」 「あ、はい、了解です」  敦は素直に舳先から飛び降りた。  空の上で、船を追って飛んでいるウミネコがミャウミャウと鳴いた。  国木田の背中を追って船室に入る。冷房で冷やされた空気が顔にぶつかった。  船室の中は十畳ほどの待合室になっていた。壁には地図、救命胴衣、乗組員の集合写真が飾られている。部屋の中央には会議にも使えそうな長机があり、その周りを乳白色の長椅子がぐるりと囲んでいた。 「見ろ、すでに探偵社の調査員が全員集まって、お前を待っている」国木田が手で室内を指し示した。 「待って……、いる……?」敦は室内のメンバーを見回した。  その長椅子に座っている人物は四名。  敦は思った。……これは、待っているって云うんだろうか。 「うーん、うぐぼえー、きぼちわるい……なんで船っていうものは揺れるンだろうナオミ……? ああ、世界が揺れる……消化器系も揺れる……こみあげるこの想いにボクはうぐぶぼえええ」 「あああ兄様かわいそうな兄様、いくら吐いてもナオミが看病してあげますからね、だからどんどん吐いちゃって下さいませ、うふふふっ」  席の一番奥でぐったり伸びている少年──谷崎は、探偵社の中では敦と最も年齢の近い、ひとつ上の先輩だ。金盥に頭を突っ込み、青い顔で何やらうわごとをつぶやいている。それを甲斐甲斐しく看病する妹のナオミは、何故か恍惚とした悦びの表情を浮かべている。これまで敦が見た限りでは、妹のナオミは兄が困れば困るほど嬉しそうな顔をする。理由は判らない。  その隣には──。 「この写真はイマイチだねェ、下顎骨裂傷がキレイに写ってない。おやこっちは上物だ、散弾が小腸と膵臓と脾臓をばっさりえぐり出して……吹っ飛ばされた仙骨までくっきりだ。じゃ、これは拡大して探偵社の壁に貼る奴、と」  机上に現像された写真を並べて丁寧に選別しているのは、探偵社の専属女医の与謝野だ。置かれた写真に写っているのはどれも凄惨な殺人現場の遺体写真ばかり。体がねじ切れているもの、首が取れかけているもの、骨が飛び出しているもの──何十枚もの写真を並べ替えたり顔に近づけたりしながら、時々嬉しそうなため息をついている。  その隣には──。 「んむぅ、むにゃむにゃ……モー子、きみはなんて素敵な牛なんだろう……見てよし撫でてよし食べてよし……むにゃ」  倖せそうな笑みで寝こけているのは、最年少調査員の賢治だ。少し前まで電気も通っていないような田舎で牛を飼って暮らしていた少年で、探偵社社長に見いだされこの横浜に来た。性格は敦が今まで会った誰よりも純朴で人を疑うことを知らない、田舎出身という風情の善良な少年。だが不思議と業務の成績はすこぶる良い。寝起きの凶悪さは黒社会の人間が逃げ出す程なので、探偵社には寝ている賢治を無理矢理起こす人間は誰もいない。  敦は室内の探偵社員を端から順に見た。そのあと逆側からもう一度順に見直した。  それから国木田のほうを見た。 「……待っている……?」 「うむ……」国木田が顔を小さくひきつらせた。「その、あれだ。待ち方は人それぞれだ」 「太宰さんに至っては居すらしない様子ですが……」敦は室内を見回して云った。「太宰さんはどちらに?」 「あの阿呆助か」国木田はこめかみを指で押さえた。「奴は集合場所の港で、『泳いでいくよぅ~』と云って海に飛び込みおった。助け出すのも面倒で放置して出港した。今ごろ海中で鮫に食事を提供している頃だろう」  太宰、と呼ばれた男もまた、探偵社の調査員だ。敦を探偵社に誘った張本人でもある。しかし行動が奇矯で、次に何をするか誰にも読めない。何しろ〝趣味は自殺だ〟と公言するような人物だ。国木田はどうにか太宰を真人間にしようと苦闘しているようだが、敦から見るとその努力が実る日が来るとは思えなかった。  武装探偵社。  武装探偵社は横浜に居を構える異能者集団だ。依頼によって動き、警察にも手に負えない危険な依頼をこなす。構成員のほとんどが異能者と呼ばれる特異な能力を持つ者であり、市民のみならず政府機関からの信用も厚い。  ──が。 「これより会議をはじめる。全員注目!」  国木田が叫んだものの、反応するものは誰もいない。谷崎はうなされているし、与謝野は写真の選定に夢中だし、賢治は寝ているし、ナオミは兄以外意識にない。  まあそうなるよね──と敦は思った。  個性的で個人主義の探偵社員は制御が中々に難しい。基本的には個人あるいは二人一組で仕事をするが、今回のように集団で仕事にかかる場合は、音頭を取る人間──大抵は国木田──が苦労を背負うことになる。 「全員注目!」国木田の声がもう一度、むなしく部屋の壁に吸い込まれた。  敦はそわそわして国木田を見た。国木田は全員注目、の姿勢ポーズで固まったまま微動だにしない。社員も誰も反応しない。 「そ……それで国木田さん、会議っていうのは、何についてです?」敦はもじもじしながら訊ねた。 「うむ、仕方ない。敦、お前がそれほど聞きたいのなら教えてやろう」国木田は敦に目を合わせないようにしたまま咳払いをした。「依頼の詳細は知っているな。この連絡船の向かう先である『島』に依頼人がいる。依頼は島にいる盗賊を捕まえる事」 「盗賊、ですか」 「ああ」国木田はうなずいた。「盗賊退治だ。この面子メンツならば、豪勢な捕り物になるな」  国木田と敦は室内の人間を見た。めいめい個性的な格好で時を過ごしている探偵社員達を。  敦は考える。今回の依頼、どちらかというと可哀想なのは盗賊のほうだろう。知らない人間には想像もつかないだろうが、今ここにいるのは武装探偵社の精鋭だ。個々人でも強力な異能を持つ探偵社員がこれだけ揃えば、盗賊どころか小さな街ひとつくらいは壊滅させうる。国木田の云う通り、豪勢な捕り物になるだろう。  これだけの社員を一度に動員するのが、依頼人の意向らしい。依頼人は相当慎重な性格か、あるいは相当大きな財布を持っているのだろう。  敦は改めて、その強力な異能者達である同僚を見渡した。 「むにゃむにゃ……モー子、人と牛でも心をこめて話せばきっと判り合えるよ……駄目な場合は水桶で殴ります……むにゃ」  寝言をつぶやく賢治。 「うぅ……気持ち悪い……ナオミ、冷たい水を一杯くれないかな……」 「もちろんすぐ飲ませて差し上げますわ兄様! 口移しでどうぞ!」 「いや、普通に……」  看病されているようでされていない谷崎兄妹。 「うーん、こうやって死体と肉片見てると、ウチにも大腿骨一本飾りたくなってくるねェ……ねえ敦、アンタの大腿骨一本おくれよ」 「あげません!」 「牛乳飲みゃあ治るさ」 「治りません!」  この人達がいかに凄いかを人に説明するのは、さぞ骨が折れることだろう。 「そう云えば国木田さん」敦はふと思いついて訊ねた。「『盗賊退治』の依頼ですけど……依頼人はどうして警察ではなく、僕達探偵社に頼ることにしたんでしょう?」 「お前、あの『島』について知らずに来たのか?」国木田は逆に訊ね返した。「理由は簡単だ。あの島では日本の警察は捜査権がない。何故なら、あの島は厳密に云えば──〝日本ではない〟からだ」  ──日本ではない? 「それって、どういう」 「実際に見るのが一番早い」と国木田は云って、船の外を視線で指し示した。「そろそろ見えてくる頃だ。窓から覗いてみろ」  敦は云われた通り、船室の窓から外の海を見た。 「あれは……!?」  敦が最初にその島を見た印象は──『機械の島』。  それは島というよりは、海に浮かぶ巨大なプレートだった。遠目に見る限り、島の上には三階建て程度の石造りの建築物が並んでいる。それを支えているのは大地ではなく、重なり合った金属板だ。その下部を無数の金属柱が支えており、柱は海中へと没している。柱の奥には巨大なタービンらしきものが回転している。  そこに自然のものは何一つない。  途方もなく巨大な機械が、洋上にぷかぷかと浮いているのだ。 「大型洋上浮動都市『スタンダード島』」国木田が手帳を繰りながら云った。「独ド逸イツ・英イギ国リス・仏フ蘭ラン西スの欧州三国が共同設計した〝航海する島〟であり、かつ三国が共同統治する領土でもある。操舵による自立航行能力を持ち、海洋温度差発電、波力発電、太陽光発電、洋上風力発電などを複合運用することで、エネルギーは陸地に頼らず完全自給。島内は中世から近代の欧州を再現した建築物が並ぶ保養地リゾートであり、世界中の富豪が気前よく金をばらまいていく。──普段は発電に最適な気候を求めて南太平洋を漂っているのが、偶々こうして横浜の近海に来ているという訳だ。まあ乱暴な云い方をすれば……あれは島というより、おそろしく巨大な、一艘の船だな」 「船、って……」敦は島の外観を茫然と眺めた。街がひとつまるまる浮いているその島は、船という規模の大きさではない。「何だか……冗談みたいな島ですね」 「違う。あの島は実際冗談そのものだ」国木田は首を振った。「覚悟しておけ。島に足を踏み入れたら最後、何が起こってもおかしくはないぞ」  島に入る前に、高速艇の中で厳重な身分確認が行われた。  指紋、網膜の確認のほか、所持品の徹底検査。爆発物からはじまり、化学物質、薬物の検査。軍事施設の立ち入りか、さもなければ戦争中の国にある空港への立ち入りかと思うほどの厳重な検査だった。国木田が云うには、この連絡船は島に入るための唯一の手段であり、そこで厳しく身元検査することによって島内での危険活動や犯罪を水際で防いでいるのだという。  ともあれ、敦達は無事にその検査を通過した。そして島の玄関である桟橋区域で高速艇を降り、島の大地を踏んだ。  島の景色を見て、敦は感嘆の叫びをあげた。  そこに広がっていたのは、完全な異国だった。  歩道を覆っているのは、それぞれ少しずつ形の違う青鈍ネイビー色ブルーの石畳。歩道の両側に並んでいる建物はすべてヴィンテージ・ワイン色をした石煉瓦ブリツクでできている。どの家にも石灰塗りした飾り窓がつき、欄間のついた玄関ポーチが備わっている。中には水を利用して回る水車小屋まである。  敦達の前を、芦毛色の本物の馬が曳く馬車が、往来をガラガラと音をたてて行きすぎていった。  町並みの向こうには、蜂ハニ蜜ース石トーンの外壁でできた時計塔があり、巨大な針時計が11時12分を指しているのが見えた。 「ここは英国領だな」国木田は周囲を見回しながら云った。「19世紀倫ロン敦ドンの町並みを模した地区だ。とは云え基礎部分や室内には最先端技術が詰まっている。生水で腹を壊すことはないから安心しろ」 「目が混乱しますね……」敦はため息をついた。 「最初に、全員にこいつを渡しておく」  国木田はそう云うと、懐から数枚の銀硬貨を取り出した。 「何ですかそれ? お駄賃?」 「そんな訳あるか。……これは依頼人から預かった島での身分証だ。全員分ある」国木田は社員達にコインを一枚ずつ配って歩いた。「一般の観光客が持つのは銅貨だが、その銀貨から発せられる識別信号を扉にかざせば、一般客が入れない機密区分地域にも入ることができる」  敦は受け取った硬貨をくるくる回しながら眺めた。裏面には三叉矛を持った海の神様らしき人物の姿が、表面にはどこかの王様の横顔が彫られている。 「警備員に止められた時、その硬貨がなければ不審者として島外追放になる。絶対なくすなよ」国木田は社員達を見回した。「間違って売店で使うんじゃないぞ!」  と、その時。  一台の幌馬車がガラガラと音をたてながら敦達の前にやって来た。 「はあ……。武装探偵社様ご一行ですか?」  盛大なため息とともにかけられた声に、敦達が振り返る。  馬車から降りてきたのは、青い作業服を着た青年だった。年齢は30前後。だが年齢の割にやけに年老いた印象を受ける。何だか疲れた顔の人だなあ、と敦は思った。 「私はこのスタンダード島の船長を……はあ、しております、船長のウォルストンと申します。皆様にお越し頂くよう手配した、はあ……依頼人でございます。どうぞお見知り置きを」 「貴方が船長か」国木田が一歩前に進み出た。「出迎え、感謝する。ところで……随分お疲れのご様子だが、大丈夫か?」 「はあ……ご心配、恐縮です。ですがこれが……はあ、私の通常勤務態度でございますので……はあ、お気になさらぬよう」 「はあ……」  敦はつられて似たようなため息を吐いた。  青い作業服に疲れた顔。何だか船長というより、船の機関室なんかで働く修理工さんみたいだ、と敦は思った。それでも船長というくらいだから、この船で一番偉いんだろうけど。 「ではウォルストン船長、早速依頼の詳細を伺いたいのだが」  不意に、気の抜けるような電子音が響いた。  よく拉ラー麵メンの屋台で鳴らされる、客寄チヤルせ笛メラの音だった。 「はあ、すみません、電話のようです」船長が懐から携帯電話を取り出した。「もしもし」  敦は疲れた顔の船長を見た。随分変わった着信音を使っている人だ。拉麵が好きなのだろうか。 「はい、それはもう! 申し訳ありません! 必ず見つけておきますので……皆様のご迷惑にはならぬよう、はい、決して!」  ひとしきり何かを謝ったあと、船長は電話を切った。 「どうもお互い気苦労が絶えん立場らしいな」国木田が妙に同情した口調で云った。 「今……私の胃に大きめの穴が空いた感触がしました」船長が息も絶え絶えといった様子でつぶやいた。 「それで、はあ……失礼致しました。皆様にはお宿を取っております。すぐ近くですので……はあ、道々ご案内しながら依頼のご説明をいたしましょう」 「はあ……それでですね」  異国風の町並みを抜けながら、ウォルストン船長は云った。 「依頼というのは、さる貴重な品を盗まんとする盗人共を退治して頂きたいと……はあ、そういった類のものです」 「盗人……どんな連中なんですか?」と敦は訊ねた。 「元来この島は、立ち入る人間の身元を厳しくチェックしております。さらに富裕層向けの保養地リゾートとして相応のセキュリティもあり……それ故にある種の貴重品をこの島に保管される方も多いという訳です」 「それが盗賊に狙われているという訳か」国木田がうなずいた。「それで、その貴重品とは何だ?」  国木田の問いに、ウォルストン船長はゆっくり首を振って云った。 「〝食べ物〟です」 「食べ物?」 「世界で最も高い食材とされる、欧州のホワイトトリュフ。同じ重さの金の四倍もの値段で取引される幻の食材です。今我々が預かっておるのは、過去最高の値がつくと思われる〝宝石ジユエル〟の名を冠したトリュフです。裏では100万ユーロの値がつくだろうと云われております」 「成る程。食材は食べれば消える特性上、絵画や宝石と較べて裏の密売でも買い手がつきやすい。それに食材は蒐集物よりも価値を見る人間が絶対的に多い。賊徒からすれば、手堅い獲物という訳だ」国木田は手帳に内容を書き入れながら云った。「その宝石トリュフを守るのが、俺達の仕事という訳だな」 「はい。倫敦スコツト警視ランドヤ庁ードから、その品を狙う三人組の盗賊が動いているという情報を受け、こうして皆さんに依頼させて頂いたという次第で」  そこまで聞いた時、敦の胸に何か引っかかるものがあった。 「あの、すいません」敦はおそるおそる訊ねた。「盗賊退治は判ったのですが……だとすると、こちらの人数がやけに多すぎませんか?」  今回の依頼で派遣された探偵社員は、全部で七人。基本的には二人組で仕事をする探偵社員の通例からすると、相当な大人数だ。 「確かに敦の云うことにも一理ある」国木田が首をひねった。「どうなんだ船長? そちらには何か秘密の事情でも?」 「ひ、ひひひ秘密ですか? そのようなモノあるはずがないでございます!」ウォルストン船長は急に飛び上がった。「皆様をお呼び立てした理由は、ただただ品物の無事を万全のものとしたいという、それだけ、本当にそれだけの事でございますよ!」  敦と国木田は顔を見合わせた。 「ええと、その……ほら、もう宿に着きました。こちらです!」  船長が指し示す方を見れば、確かに四階建ての木組みの宿が見えた。現代の宿泊施設というより、どちらかというと幻想フアン小説タジイに出てくる旅亭のように見える。 「さあさあ、お入り下さい。島の宿でも解キヤン約セル待ちがあるほどの人気宿でございます。まずは旅の疲れを癒やして頂いて……ええ、本当に何も、皆様が懸念なさるようなことは決して起こりませんので!」  それだけ一気にまくしたててから、船長は付け足すように小さくため息をついた。 「……はあ」  敦は宿泊亭ホテルの一室で旅行鞄を開いていた。  宿泊亭ホテルも倫敦を思わせる時代がかった造りだ。瓦ガ斯ス燈を模したランプが室内を照らし、ベッドには精緻な蔦と花の飾りが彫られている。壁には世界最古の蒸気機関車の白黒写真が飾られている。 「国木田さん、あの船長からの依頼、何か少し引っかかりませんか?」  敦が訊ねると、洗面台で備品の数を確認していた国木田が振り返った。 「少しも何も、引っかかるところしかない」国木田は表情を変えずそう云った。「だがそれでも依頼は依頼だ。依頼人が何一つ隠し事のない粋ピユアな聖人ばかりでないことは先刻承知だ。俺達は社長が命じた仕事をこなすだけだ」  国木田は手帳に緊急避難経路を書き写してから、敦の隣に戻ってきた。 「むしろ気になるのは、社長が今回の依頼を引き受けた理由だな。この人数での調査員の派遣も、乱歩さんを島に来させないことを決めたのも社長だ。思うに──」 「思うに?」 「社長を説得した誰かがいるな」国木田は断言した。「社長が社外で誰かと打ち合わせした後すぐ、社員全員に指令を出した。誰かが社長を動かした。そう考えるのが自然だろう。──ところで敦」  国木田に不意に呼びかけられて、敦は顔を上げた。 「やたら大きな旅行鞄を持ってきているとは思っていたが──お前それ、何だ?」  国木田の視線を追って、敦は自分の旅行鞄を見た。 「何って──荷物です。この島で泊まり込みの仕事ですから……その、僕あんまり旅行外泊なんてしたことがないですし、準備は綿密にしたほうがいいかと」 「その心がけそのものは大変良い。だが、具体的にそれは何だ?」  敦は自分の荷物をひとつひとつ寝具の上に並べはじめた。 「お弁当。携帯雨傘。水筒。手巾タオル。絆創膏。ビニールシート。みかん。ココアの粉末。それから……」  国木田はゆらりと立ち上がり、据わった目で敦を見た。 「……俺は『遠足ではない』と云ったはずだぞ」  敦は慌てて両手を振る。 「あ、いや、すいません。僕こういう外泊って初めてですから、ちょっと何というか、気持ちが抑えられなくて……でもちゃんと仕事で島に来たことは忘れていません! 万一の場合に備えて準備はきちんとしています」 「ほう?」 「例えばこれです。花札、双六、トランプ、枕投げ用の枕」 「修学旅行か!」  国木田が叫んだ。 「どう考えてもお前、夜は皆でわいわい遊ぶ気しかないだろ」 「す、すいません!」  敦は驚いて謝った。 「そ……その、僕今までこんな素敵な宿泊地に泊まることなんてなくて、孤児院時代は外泊といえば大抵汚い床の上とかでしたから……友達もいなくて、その、だからつい……ごめんなさい」  国木田は敦を睨みつけた。  それからゆっくり息を吸った。  そして云った。 「……………………2時までには消灯するんだぞ」  敦は一人、石畳の街路を歩いていた。  あれから宿泊の準備を済ませ、これからの予定を簡単に打ち合わせた後、国木田は敦に船長のところに行くよう指示した。  国木田は後で来るとのことだ。なんでも、手続きミスか誰かが操作したのか、谷崎と妹のナオミの宿泊室が同室として処理されていたらしい。『それはいくら何でもさすがにまずい』と顔色を変えながら、国木田は手続き修正のために走り去っていった。  敦はきょろきょろと周囲を見回した。目に入るもの何もかもが目新しい。スレート葺きの屋根を持つ漆喰壁の家屋も、空を睨んだまま固まっている樋ガーゴ嘴イルの石像も、精巧な軒板バージ飾りボードの施された白い図書館も、生まれ育った土地にはないもの、本の中や写真でしか見たことのない古い倫敦の風景だ。  まるで本当に