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作者:文野あかね,山田シロ
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-10-02(角川书店)
价格:¥580 原版
文库:角川Beans文库

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ワーズワースの秘薬 恋を誘う月夜の花園 ワーズワースの秘薬 恋を誘う月夜の花園 文野あかね 角川ビーンズ文庫 本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載したりすることを禁止します。また、 本作品の内容は、底本発行時の取材・執筆内容に基づきます。  目次 序章 追憶の歌 一章 迎えに来た王子様 二章 箱庭の中の幸せ 三章 永遠を生きる者達 四章 ワーズワースの薔薇    あとがき  アメリア、眠れないの? シーツに包まって、まるでみの虫さんね。  昼に父様から怖いお話を聞いた? ……まったくあの人はもう。子供相手に、全然加減が分かってないんだから!  ああ、そんな心配そうな顔しないで。アメリアに怒ってるわけじゃないのよ。ん? 父様にも怒っちゃだめ? 喧嘩しないでって?  分かったわ。優しいアメリアに免じて、父様を許してあげる。  じゃあアメリアが眠れるよう、母様が歌を歌ってあげるわ。母様も、自分の母様から教わった歌で、とってもよく眠れる歌よ。さあ、目を瞑って。  無垢なる子よ  穏やかに眠れ  疑いし心は  月の光で清めよ  五つの夜を越え  それは浄われる  無垢なる子よ  健やかに生きよ  勇気は常に  日の下へ照らせ  三つの朝を迎え  それは更に輝く  無垢なる子よ  強き心を持て  胸に誓いの  火を灯せば  やがて流れ出で  ひとつの大河となる  無垢なる子よ  その手に愛を湛えよ  家へ掲げし銀の薔薇は  迷い路の先にある  アメリア? もう眠っちゃったかしら?  明日は一緒に、お庭に咲いたラベンダーを摘みに行きましょうね。  おやすみなさい、愛しい子。……あなたの瞼に、よき夢が宿りますように。  その朝、庭先で白く可憐な花びらが開いているのを見て、アメリアは小さな笑みを浮かべた。 「良かった。ようやく咲いたのね」  思わず駆け寄って、花の傍にしゃがみ込む。アメリアが種から育てたデイジーの花だ。ずっと咲くのを楽しみにしてきて、最近はまずこの花を観察する癖がついてしまった。花の中心は黄色く、そこから広がる花びらの白さをより際立たせている。  ──土が乾燥しないよう、よく見ておこう。  デイジーは乾燥に弱い花で、水が足りないと葉がしなびてしまうのだ。表面の土が湿っているのを、指でしっかり確認して立ち上がる。デイジーの姿に目を細めた後、周囲に視線をやった。四方をレンガの壁に囲まれた、小さな庭園が広がっている。  ここはロンドンのウェストエンドに建つ、バーンズ男爵家の屋敷だった。通りに面した屋敷の裏手が庭園となっており、アメリアがこの屋敷で唯一、心安らげる場所でもある。  デイジーの花の傍には、一足先に咲いていたルピナスが揺れていた。こちらは紫色の、堂々とした佇まいだ。手を伸ばしかけたその時、背後から声がかかる。 「まあ! いやだ、ドレスの裾が汚れてるじゃないの、アメリア」  ドクンと心臓が嫌な音を立てる。先ほどまでの浮き立つような気分が一瞬にして消え去り、アメリアはおずおずと振り返った。自身を守るように、お腹の前で両手を組む。  目の前にいたのは、バーンズ家の一人娘であるレイラだった。父親譲りの栗色の巻き毛を綺麗に結んでおり、髪と同じ色の吊り上がり気味の瞳が、不愉快そうに歪められている。 「ドレスも指も土だらけで、身なりを全く気にもしないし。まあ、貧相な体に平凡な顔、極めつきにそのくすんだ灰色の髪じゃ、気にかけたところでたかが知れてるけど」  容姿を貶されるのはいつものことだった。それなのに毎回同じように恥ずかしくなって、世界中の人達から自分を隠したくなる。レイラの強い視線から逃げるように、顔を俯けた。  地面に落とした視界には、未だ結い上げられていない自身の灰色の髪が、胸元にかかっているのが見える。レイラとはまったく違う、癖のない真っ直ぐな髪だ。紫色の瞳は陰気だと言われ、目鼻立ちのくっきりとした美人のレイラと並ぶと、余計に平凡さが強調される顔だった。 「お父様の憐れみで、この家に住んでいるだけの他人のくせに」  アメリアは唇を嚙んだ。レイラの言う通り、アメリアはバーンズ家と血の繫がりはない。七歳の時に母親が病死し、父親がこの家にアメリアを養子に出したのだ。  当時のアメリアは、「行きたくない、父様と離れたくない」と泣きながら父親に懇願した。しかし、父親は娘の願いを聞き入れなかっただけでなく、アメリアを預けて行方をくらませてしまったのだ。あれから十年が経とうとしているが、アメリアは父親に会うどころか、手紙さえ受け取ったことはない。  何も言い返さないアメリアに興味を失ったのか、レイラは踵を返した。 「その小汚い恰好をどうにかして。──お父様がお呼びよ」  アメリアの心臓は更に重たくなり、それでも「分かりました」と声を振り絞った。しかしレイラは聞いていないのか、すでに歩き出している。  アメリアの返事など、最初から求めていないのだ。こんな態度をされる度に、自身の喉が塞がれていくように思う。  ざわめくアメリアの心を表すように、デイジーが風に揺れていた。  急いで着替えを終えて応接間に向かうと、すでにバーンズ家の当主であるルイスが、太った体を椅子にもたせかけていた。くるりとカールを描いた自慢の髭を慎重に撫でている。  隣の席には、妻であるキャサリンが神経質そうに扇子を扇ぎながら座っていた。若き頃に評判だったという美貌は今なお健在で、自身とそして娘のレイラを着飾らせることを何よりの生きがいとしている。レイラはメイドから受け取ったティーカップを、優雅な仕草で口元へと持っていくところだった。 「お待たせしてしまい、申し訳……」 「黙って。お座りなさい」  キャサリンにぴしゃりと言葉を遮られ、アメリアは唇を引き結んで腰掛けた。  こうしてバーンズ家の面々と一緒に座るのは久しぶりだった。アメリアは彼らと一緒に食事をすることを許されておらず、いつも自分の部屋で食べている。食卓を囲むのは、本当の家族だけだとルイスに言われたからだ。メイドが食事を部屋に持ってきてくれるのだが、気まぐれなのか忘れているのか、時々持ってきてくれない日がある。しかしそれをルイスが咎めることもなく、アメリアも一食や二食抜かれることに慣れてしまった。 「それでお父様、アメリアまで呼び出して一体何のお話なの?」  レイラが、香り高い紅茶を一口飲んで言う。邪魔なものでも見るような眼差しに晒され、アメリアは縮こまった。 「今度、我が屋敷で夜会を開くのは知っているだろう?」  ルイスがぐっと体を乗り出して、レイラに微笑んだ。 「ええ、もちろん! 社交界でデビューしてから、我が家で夜会を開くのは初めてだわ。すごく楽しみにしているのよ」  十七歳となったレイラは、今年正式に社交界デビューをしている。屋敷の中で家庭教師や専門の教師に、外国語やピアノ、裁縫、礼儀作法、ダンスなどを教わっていた日々から、一転して華やかな社交界へと出て行くのだ。貴族の令嬢にとって、まさに人生が劇的に変化する瞬間だ。  一方のアメリアももうすぐ十七歳になり、本来であればレイラと同じく社交界へと出ているはずだった。しかし、未だこの屋敷から出たことはない。社交界に出てもバーンズ家の恥になるだけだと言い渡され、人目から隠すように育てられてきたからだ。礼儀作法は幼い頃から続けて習ってきたが、バーンズ家がアメリアを人前に出すことは決してなかった。 「今回の夜会には、名のある素晴らしい方々がいらっしゃる。そんな中で、私はとある貴族の方に招待状を送ったんだ。受けてくださるか不安だったんだが、なんと是非伺うと返事を頂いてね……」  ルイスのもったいぶったような言い方に、レイラは我慢ができずに言葉を挟んだ。 「お父様? その貴族の方って?」  ルイスは、誇らしげに一人の貴族の名を口にする。 「ユージン・オルブライト伯爵だ」 「うそっ!」  カシャン、とレイラのティーカップが音を立てた。しかしその不作法さを咎める者はいない。本来真っ先に注意するはずの礼儀に煩いキャサリンまでもが、笑みを浮かべている。 「本当なの、レイラ。あのオルブライト伯爵よ! どんな貴族の招待も今までずっと断ってきたというのに! きっと、あなたが社交界デビューするのを待っていたんじゃないかしら」  レイラの頰がみるみる赤く染まっていく。「うそ、どうしよう!」「だったらあのドレスじゃだめよ!」などと、すっかり落ち着きをなくしている。  興奮するバーンズ家の家族を眺めながら、アメリアは一人蚊帳の外だった。ぼんやりと、しきりと口にされる『オルブライト伯爵』という言葉を自分なりに思い出そうとする。  オルブライト伯爵家は、広大な領地を有する名家のひとつに数えられている。領地で羊毛を作り、近年は毛織物産業で富を築いてきた。  ──ユージン・オルブライト伯爵は、確か数年前に爵位を継いだという方よね。社交界に登場するなり、その美しさでロンドン中のご令嬢達の視線を攫った、という……。  すべてはレイラが夜会から帰ってきて、自分の侍女に語っていた聞きかじりだ。だがアメリアはあまり関心がなかった。アメリアの興味のある美しさとは、デイジーの汚れなき白さや、庭を彩る草花達の可憐さだけだったからだ。 「今度の夜会はバーンズ家の威信がかかっている。オルブライト伯爵家と親しくなることができれば、社交界で更なる繫がりを持てるかもしれない」  不意に、ルイスの栗色の瞳がアメリアに向けられた。 「アメリア、事の重大さは分かったか?」  射すくめるような視線に、咄嗟に言葉が出てこない。するとすぐにキャサリンから叱咤の声が飛んだ。 「聞かれたらすぐ答えなさい! まったくのろまね!」 「あっ、申し訳……、あ、ありませんでした」  なんとかして声を出すと、今度はどもってしまう。アメリアは思わず自分の手で口を覆った。  ──ああもう、どうして私って、言われたことすらできないの。  ルイスが呆れたような顔でアメリアを見た。それから厳しい口調で言い聞かせる。 「いいかアメリア。こんな風にまともに人と会話もできないような人間が、オルブライト伯爵の前に出ていいわけがないだろう? バーンズ家の恥さらしだ」  くすり、とレイラが笑みを零した。笑われていることに、ますます体が強張っていく。 「お前は夜会当日、部屋から出ないように。いいな」  アメリアが頷き、返事をしようとした時には、すでにルイスは席を立っていた。キャサリンとレイラも、新しいドレスを仕立てようと立ち上がる。  アメリアは出かかった言葉を飲み込み、ぎゅっと両手を握りしめた。  それから夜会までの約二週間、バーンズ家は上を下への大騒ぎだった。一番忙しかったのは使用人達だ。たくさんの招待客を迎える準備は、もといるバーンズ家の使用人だけでは足らなくなり、夜会当日を含めて臨時の手伝いを雇うほどだった。  周囲の喧騒はしかし、アメリアには遠い話でしかなかった。夜会当日の朝もいたって変わらず、庭へ出向いて草花の世話をする。  今日はシャクヤクの花が満開になっていた。 「花びらが零れそう」  幾重にもなったシャクヤクの花びらをそっと両手ですくうようにして持ってみた。  芳しい花の香りと、土の匂い。葉同士がさらさらと擦れる音もする。目を閉じて庭を体全体で感じていると、自然と口ずさむ歌がある。 『無垢なる子よ』で始まるその歌は、母親が、幼かったアメリアを寝かしつける時に歌ってくれたものだった。囁きかけるような歌声と、肩口を優しく撫でられた感触は今も覚えている。歌を聞いていれば、もう怖いものはなにもなくて、ただ安心することができた。  ──母様……。  だが、歌を歌ってくれた母親はもういない。ただ一人の肉親となった父親は、アメリアを捨ててどこかへ行ってしまった。  目を開くと、変わらずシャクヤクの花が手の中で咲いている。アメリアは、淡く微笑んだ。庭の草花は、アメリアが悩もうが悲しもうが、そっと佇んでいるだけだ。アメリアを慰める言葉をかけてくれるわけではないが、変わらずにそこにあり続けてくれる。それどころか、手をかければかけるだけ、美しく咲いてくれるのだ。バーンズ家で、アメリアはいなくてもいい空気のような存在だが、この庭だけが自分の存在を認めてくれるような気がしていた。 「全く、レイラお嬢様には困ったものだよな。前日まで、ドレスが決まらないってゴネて大変だったよ。俺なんて何度、仕立屋までついて行ったことか」  庭園の外から聞こえてきた若い男性の声に、アメリアははっとしてその場にしゃがみ込んだ。  木の間からそっと顔を覗きこんでみると、バーンズ家に仕える従者が二人、立ち話をしていた。アメリアに気付いている様子はない。 「それを言うなら奥様だって張り切ってらっしゃるよ。何としてでもレイラお嬢様を、オルブライト伯爵家に嫁がせたいんだろう」  苦笑いするもう一人の従者の言葉に、アメリアもここ数日のキャサリンとレイラの行動を反芻していた。いつもは屋敷で顔を合わせる度に、アメリアに一言言わずにはいられないレイラも、今回ばかりは構っていられないらしい。連日連夜、キャサリンとドレスや髪形の相談をしていた。 「でもオルブライト伯爵も、どうしてうちの招待だけ受けたんだろうな? わざわざ爵位が下の貴族の夜会なんて行かなくても、引く手あまただろうに。さてはレイラお嬢様は、どこかでガラスの靴でも落としてきたのか?」  有名な物語を揶揄してそう話す従者に、もう一人の従者が笑う。  王子様は、一度きりの邂逅でたった一人の姫君を見つけ出し、二人は幸せに暮らした。お伽噺のような世界だが、オルブライト伯爵が招待を受けたこと、そしてキャサリン達の力の入れ様からすれば、本当になるかもしれない。  だがアメリア自身にとっては、やはりどこまでも遠い話に過ぎなかった。  ウェストエンドの高級住宅街パーク・レーンの一角。  名のある貴族達の中でも選ばれた者だけが住む、豪華な屋敷が建ち並んでいる。  その屋敷のひとつから、一人の青年紳士が外へ出て来た。年は二十代前半だろうか。 「いい夜だ」  珍しく霧にけむっていないロンドンの夜空を見上げる瞳は、深い青色を湛えている。闇を思わせる黒髪は艶やかで、短いながらも綺麗に整えられていた。なんの瑕疵も見つけられないほどの目鼻立ちの良さは、見ている人間から現実みを奪うほどの完璧さだ。  細身の体はすらりと伸びており、身のこなしは軽やかで、適度に鍛えているのが分かる。  青年が振り返って、染みひとつない手袋に包まれた手を差し出せば、背後に控えていた執事が帽子と杖を渡す。執事にしては若い年齢でありながら、動きは洗練されている。 「今頃、男爵家では、あなたを手ぐすね引いて待ち受けているでしょうね」 「ご苦労なことだ。我らの姫君さえ見つかれば、すぐにお暇するさ」  青年は悠然と微笑み、門の前に待ち受けていた馬車へ近づいていく。従者の男性が、馬車の扉を開いた。 「どんな方なんでしょうね? 俺、今からすごく楽しみです」  キラキラと目を輝かせる従者は、頰のそばかすが僅かに幼さを残す青年で、愛嬌があり親しみやすさを感じる。 「これは遊びではないんですよ。粗相のないように」と執事が厳しい顔で、従者に釘を刺した。  そして美しい礼で、執事は主人を見送る。 「いってらっしゃいませ」  一人の貴族を乗せて、馬車はゆっくりと動き出した。  バーンズ家の前に続々と馬車が現れ、夜会の始まりを告げる。  色とりどりのドレスに身を包んだ貴婦人や令嬢達は、まるで風に揺れる花びらのようにドレスの裾を揺らしている。アメリアは二階の自分の部屋の窓からそれを見た後、横にあるベッドに腰掛けた。  一晩、部屋から出るなと厳命されている。どうやって時間を過ごそうかと考え、ちらりと本棚に視線を移すが、本を読みたい気持ちにもなれなかった。  ──もう眠ってしまおうか。  眠るには少し早い時間だが、これが一番いいことのように思えてきた。起きれば朝になって、また庭園に行ける。  着替えようと立ち上がった時、部屋の外でガシャンと何かが落ちる音がした。アメリアは部屋の扉を開け、そっと外を窺う。アメリアの部屋は二階の一番奥にあるため、長い廊下が見渡せる。廊下の先、階段の踊り場付近で、一人のメイドらしき女性がしゃがみ込んでいた。  アメリアは躊躇いながら部屋を出て、メイドに近付く。  人の気配を感じたのか、メイドがはっとして、向かってくるアメリアに気付いた。 「あっ! あの、これは……」  顔を真っ青にするメイドはまだ若く、アメリアと同じくらいの年だった。見知った顔ではなかったので、最近臨時で雇われたメイドなのかもしれない。  メイドのしゃがみ込む床に広がっていたのは、美しい薔薇の花々だった。横には、東洋物の陶磁器の花瓶が転がっている。水が染みた床の絨毯は色を変え、薔薇の花びらが無残に散っていた。先ほど聞いた物音は、薔薇を生けた花瓶を落とした音だったのだ。 「も、申し訳ありません……!」  涙目になるメイドは、ひたすらアメリアに謝るばかりだ。アメリアは、そっとその場に膝を折る。 「あの、服に染みてしまうわ。冷たいでしょう」  懐からハンカチを取り出し、メイドの膝や胸元の、水のかかってしまったところを拭いた。夜になれば気温も下がる。このままにしておけば、風邪をひいてしまうかもしれない。  メイドはアメリアのその行動に驚いたように後ずさり、恐縮した様子を見せた。 「私のことなんかどうでもいいんです! そんなことより、大切な薔薇が……!」  アメリアは、薔薇に手を伸ばそうとするメイドを制した。 「だ、大丈夫よ。……あの、植物は思ったよりも強いの。茎も折れていないし、もう一度生ければ、元気になるから」  それを聞いて一度は安堵の顔を見せたメイドだったが、すぐにさっと表情が曇った。 「でも、薔薇の形がかなり崩れてしまいました。これは夜会の終わりまでに玄関ホールに飾るよう言いつけられたものなんです」  確かに、見事な薔薇の形が損なわれている。見栄えという点では、もう使えないだろう。  薔薇はたぶん今日の夜会のために、わざわざ市場で買ってきたものだ。バーンズ家の庭に薔薇は植えていないし、きちんと管理された売り物らしく、棘も抜かれて色味も形も整っている。 「どうしよう……。時間までに、同じものを用意するなんてできない……」  声を震わせるメイドを見ていた時、アメリアにひとつの考えが思い浮かんだ。  ──でもこれは、バーンズ男爵の言いつけを破ることになるわ。  心臓が早鐘を打つ。だがメイドをこのままにはしておけないと、立ち上がった。 「一緒に来てくれる? 代わりの花を摘みに行きましょう」  夜の庭園は、昼とはまた違った姿を見せる。  珍しく星の見えるロンドンの夜空に視線をやった後、アメリアはメイドを庭の奥へと案内した。メイドはアビーと名乗った。アメリアより一つ下で、ロンドンに来たばかりだと言う。 「これ……。シャクヤクというの。見た目も華やかだし、さっき見た東洋風の花瓶にもよく合うんじゃないかしら」  アメリアが指差したのは、今日満開となったシャクヤクの花だった。  アビーはまじまじと花を見つめ、「綺麗ですねえ」と溜息を零す。それに勇気づけられ、アメリアは鋏でシャクヤクの茎を切って、必要な分だけ摘んでいく。 「あの、アメリア様はここのご令嬢でいらっしゃるんですよね?」 「え? そうね、どうかしら……」  曖昧に言葉を濁すと、アビーが純粋な疑問を投げてよこす。 「どうして、夜会に出られないのですか?」 「……そういうの、苦手だから」  さすがにそれ以上追及されることはなく、アビーはシャクヤクを受け取りながら頭を下げた。 「本当にありがとうございます……! なんてお礼を言ったらいいか」 「お礼なんていいのよ。さあ、見つからないうちに、早く行って」  アビーは庭園から出て行きかけると、なにか言い忘れたのか、アメリアの方をもう一度振り返った。 「あのっ。こんな素敵なお庭、私初めて見ました!」  そう言うと、今度こそ屋敷の中へと入っていった。アメリアは思わぬ言葉に硬直し、それからじわじわと喜びが体中に染みていくのが分かった。 「素敵なお庭、だって」  庭全体に語りかけるように、呟く。大切な友人を、褒められたような誇らしい気分になった。  それに。 「……アビー、今日で仕事終わりなのかしら」  こんなにも人と会話をしたのは久しぶりだった。バーンズ家の使用人達は、アメリアをどこか腫物に触るように扱っている。アビーが普通に話してくれたのは、アメリアの立場など知らない臨時で雇われたメイドだからだろう。  ──また一緒に庭を見たり……、できないかな。  ささやかな願いが芽生えた時だった。 「何してるの」  いつかの庭での出来事が頭を過ぎった。アメリアを萎縮させる声と言葉が、背中に突き刺さる。  ──どうしてここに……。  アメリアの振り返った先には、着飾ったレイラが立っていた。横には侍女の姿もある。 「部屋から出るなとお父様に言われたこと、まさか忘れたとでも?」 「ご、ごめんなさ……」 「正装でもない恰好でこんな場所をうろついて、誰かに見られたらどうするつもりなの! そんなにバーンズ家に恥を塗りたいの? お情けでここに置いてもらってる分際のくせに!」  そこまで言って、レイラはどこか探るような顔になった。 「もしかして、あなたオルブライト伯爵に会いたくて、部屋から下りてきたわけじゃないでしょうね?」  違う。アメリアはもう言葉も発せなく、ひたすら首を横に振った。だが、それがレイラにはますます疑わしく映ったらしい。 「なんてこと。恥知らずなだけでなく、身の程も分かっていないのね! あなたなんて、万に一つも伯爵の目に留まるはずないじゃない!」 「そんなことはありませんよ」  闇に溶けてしまいそうな、甘い声だった。  アメリアとレイラは、そろって声のした方を振り返った。  ゆっくりとこちらに近付いてくる青年に、アメリアは息を吞む。  ──綺麗な、人。  そんな陳腐な言葉しか出てこない。闇に紛れるような黒髪から覗く青色の瞳は切れ長で、理知的な薄い唇には優美な笑みがのっている。 「オ、オルブライト伯爵……!」  卒倒しそうなレイラの声で、アメリアは我に返った。  ──この人が、オルブライト伯爵。  社交界では、いい加減な噂や醜聞が数多く存在する。しかし、ロンドン中の令嬢の視線を攫ったというこの伯爵の噂は本当だと、今身に染みて感じていた。 「大きな声を出しては、あなたの品位が疑われますよ」  伯爵の指摘に、レイラは顔を真っ赤にして唇を引き結んだ。よりによって一番見られたくない人に、見られたくない場面を目撃されてしまったのだ。羞恥に、レイラの体が震える。 「……確かに、礼儀がなっていませんでしたわ。バーンズ家の者として恥ずかしく思います。伯爵に不快な思いをさせてしまって、申し訳ありませんでした」 「謝るのなら、彼女に」  伯爵の瞳がこちらを向いて、アメリアは直視できずに慌てて俯いた。湖面を覗き込んだ時のような、吸い込まれる深い青色の瞳。普段人の目を見ることのできないアメリアにとって、あまりに蠱惑的で強すぎる視線だった。  レイラは言い訳をするように早口で返す。 「私は、彼女の軽率な行動を注意していただけですわ」 「そうですか? 彼女に対してあまりに辛辣な物言いだったように思いますが」  レイラが言葉に詰まった。伯爵はそれ以上何も言わず、レイラの次の行動を待っている。 「……言い過