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作者:紫月恵里,凪かすみ
类型:乙女向 书籍样本 日文
出版:2016-09-20(一迅社)
价格:¥540 原版
文库:一迅社文库Iris

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旦那様の頭が獣なのはどうも私のせいらしい 目次 序章 第一章 引きこもり王女、夜会へ行く 第二章 わけありだらけの婚姻 第三章 新婚生活は前途多難 第四章 難解な心の解き方 第五章 甘い毒の正体 第六章 禁忌の森の聖獣譚 終章 あとがき イラストレーション ◆ 凪 かすみ 旦那様の頭が獣なのはどうも私のせいらしい 序章  今まで、あんな人を見たことがなかった。 「どうして……?」  盛装した大勢の人々が集うきらびやかな広間の隅に立ちつくし、ローゼマリーはある一点を食い入るように見つめた。正確には、一人の青年を。  濡れたように艶やかな黒髪をした、精悍な面立ちの青年だった。人好きのする笑みを浮かべて賓客と会話をしているが、わずかに顔色が悪く見える気がする。 「……ハイディ」  後ろに控えていた侍女の名前をかすれた声で呼ぶ。早鐘を打つ心臓の音がとてつもなくうるさくて、胸に手を当てた。 「はい姫さま、お水ですか? ――どうぞ」 「え、ありがとう。あのでも」 「あ、倒れそうですか? 気付け薬なら準備万端ですよ。それとも吐きそう? 待ってくださいね、すぐにバケツを――」 「いいえ、そうじゃなくて……」  慌てるでもなく慣れた様子で介抱を始めようとする侍女を制し、渡された水のグラスをぎゅっと握りしめる。 「わたし……、あの方の花嫁になるわ」  侍女が恥も外聞もなくあんぐりと口を開けたのにも気付かず、ローゼマリーは緊張に震える足で真っ直ぐに青年の元へと向かった。 「ひ、姫さま、ハイディは姫さまの花嫁姿を見たいとは思いますけど、本当に、ほんとーに! あの方でいいんですか?」  なぜか焦ったように小声で念を押してくる侍女を振り返らず、ローゼマリーはグラスを持った手に力を込めた。 「ええ……あの方がいいわ。あの方じゃないと、無理だと思うの」  自分自身の精神の安寧の為に。  どうせいつかは国の為に嫁がなければならないのだ。だったらあの黒髪の王太子がいい。  かつて、これほど強く願ったことはなかった。 「だって、見えない方は初めてで」  小さく呟いた声は、おそらく侍女には聞こえなかったのだろう。後ろからまだ納得しかねるような声が聞こえてきたが、歩みは止めなかった。  魔術大国、バルツァー王太子の生誕祝いという名目の、その実は王太子の花嫁選びの夜会。招待という名の命令を受け、嫌々出席したそれが、こんなにも浮き足立つものになるなど思いもしなかった。  そう、浮かれていたのだ。どういうわけか、王太子に近づく女性がほとんどいなかったことに気付けないほどに。  ――魔術国家・バルツァーの王太子クラウディオは、国内外随一の魔力を誇り、武人としてもその名を馳せる。難を挙げるとしたら、その顔は一度見たら忘れられないほど、恐ろしい。  バルツァーに入国する前にハイディから聞いた不穏な噂は、頭から抜け落ちていた。 (絶対にあの方の花嫁にならないと……。他の方は怖い)  バルツァーに行くようにと父王に命じられた日のことを思い出す。  あの時だって、人が怖くてどうしようもなくて、隠れ家のような自分の庭に隠れていた。 第一章 引きこもり王女、夜会へ行く  カーン、カーン、とどこかこもったように響く正午の鐘の音に、ローゼマリーは閉じていた目を開けた。しかし辺りは暗闇で、目を開けていてもどこまでも暗い。 (寝てた……)  いまだに鳴り響く鐘の音を数えながら、横になっていた草むらからのろのろと身を起こすと青臭い香りが立ち昇った。安心するその匂いに大きく深呼吸をする。  目を覚ましてから九つ、と鐘の音を数え終えた時、ふと近くに人の気配を感じて思わず身を強ばらせた。  誰だろう。この離宮の庭には自分以外だと家族とその他数人しか入れない。 「―――ま、姫さまぁ。ローゼマリーさま、どこですか?」  かすかに耳に届く聞きなれた侍女の声に、ローゼマリーは潜んでいた茂みから片手を出してゆっくりと振った。 「ハイディ、ここよ」  草を踏みしめる足音が近づくと、それと同時に真っ暗だった視界がさっと開けた。眩い日の光に思わず目を閉じる。ふわりと暖かな春の風が頬を優しく撫ぜた。 「……っ! 目が燃える……」 「燃えませんよ。またバケツなんか被って……。せめてヴェールにしといてくださいな。あらま、痕が」  眉をひそめて指先で頬を撫ぜてくる黒み帯びた緑の瞳の侍女を、ローゼマリーは不満げに見やった。 「バケツなんか、じゃないわ。水や土や草も運べるし、頑丈だから踏み台にもなるのよ。それに被れば日差しや人の視線からも守ってくれる、万能用具だわ」 「ハイディはこれまで一度も被る用途に使用する人を見たことはないですけど……。それにまた庭仕事をしましたね? ドレスに土がついていますよ。――この庭でバケツを被るほど、何か嫌なことがあったんですか?」  呆れたようにため息をつくハイディから受け取った、若草色のリボンが結ばれたバケツを大切そうに胸に抱えたローゼマリーは、ぎくりと肩を揺らした。あたふたと周りを見回し、すぐ側に咲いていた青紫色の可憐なスミレに目を落とす。 「そ、そんなことはないわ。そうよね、テレーゼ」 「……園芸がお好きなのはわかりますけど、スミレに名前をつけて、同意を求めないでくださいな……。それで、何かあったんですか?」 「…………」 「姫・さ・ま?」 「ええと、その、ね、嫌なことがあったというか……、あるというか……」  見た目はふんわりとした金の髪を持った砂糖菓子のように甘い外見をしているというのに、ハイディから向けられる視線は鋭く、言い逃れは許しません、とありありと表情に出ている。ローゼマリーは観念して肩を落とした。 「お父様が……」 「陛下がお呼びなんでしょう? しかも、昨日から」  言おうとしたことを先に口にされ、目を見張ってこくこくと首を縦に振る。 「どうして知っているの? ハイディがいない時に女官が手紙を届けてきたのに」  昨日、ハイディが側を離れている間に、本宮の父からだと女官が手紙を持ってきた。執務室まで来るように、との指示だったが、日時が指定されていないのをいいことにどうしても行きたくなくて、ぐだぐだと悩み続けていたのだ。  父のフォラント国王が自分に手紙をよこすなど、めったにない。  それだけに何かあったのだろうかと心配になったが、矢継ぎ早で呼び出さないところをみると、火急の要件ではないのだろう。  このフォラントは貧しくはないが、それでもめぼしい産業もない。牧畜と農業が主の小さな国だ。貴族といえども、他国と比べればつつましい暮らしをしているらしい。  信心深く、余所者を嫌う国民性もあってか、他国との交流は必要最低限だ。そして他国では普通に受け入れられている魔術師は、この国では迫害とまではいかなくとも、嫌悪されている。  執務で忙しく、なかなか会えない父に会いたくないのではない。その行くまでの道のりが嫌だった。 「姫さまを探していて、陛下の女官の方に会ったんですよ。姫さまは陛下をいつまでお待たせするのだと怒っていて、ハイディのお給金に響くかもしれません」  にこやかに言い切ったハイディに、ローゼマリーは蒼白になって立ち上がった。 「行きます! すぐに行きますから!」  ただでさえいつもハイディには面倒な自分の体質のせいで迷惑をかけている。これ以上ごねていては悪い。  では、着替えましょう、とハイディに促されて庭から部屋に戻り、着替えを手伝ってもらう。 「……お父様は怒っているかしら」  怒っていたという女官は別として、父はそんなことはないだろうと思いつつも、不安げにぽつりとこぼすと、衣装を整えていたハイディが柔らかな笑みを浮かべた。 「いつものことだ、と気長にお待ちになっていますよ。大丈夫です。陛下もご家族も姫さまのことはよくわかっていますから」 「それはわたしもわかってはいるけれども……でも」 「あらま、信じられませんか? ハイディは嘘は言いませんよ。ほら、見えませんよね?」  微笑むハイディをじっと見つめる。頬から鼻にかけてそばかすの浮かんだ、いつもと何ひとつ変わらない愛嬌のある顔立ちの彼女に安堵して、知らずのうちに詰めていた息を吐き出す。 「ええ、見えないわ。ごめんなさい、疑ってしまって」 「いいえ、素直な姫さまは大好きですよ。――だから、バケツを被っていくのはやめましょうね?」  床に置いていたバケツを取り上げようとしていたローゼマリーは、心もとなげに眉を下げた。 「だ、駄目?」 「駄目です。夜会や式典に出ろというわけじゃないんですから、本宮の執務室までなんてあっという間に着いてしまいますよ」  あっさりとバケツを取り上げられ、がっくりと肩を落とす。 「誰も歩いていないといいのに……。日が落ちてから行く、とか……」  ローゼマリーのぼやきはしかし聞き入れられることなく、心の準備も整わないうちに離宮の自室から連れ出された。 ***  部屋に戻りたい。  離宮から出ていくらもたたないうちに、ローゼマリーは早くも根をあげた。  本宮へはいくつかの中庭を経由して辿り着く。庭園は貴族たちの社交の場になっているが、表立った催し物がない今日は散策を楽しむ人々はほとんどいない。  そのはずなのに、この目の前で嫣然と微笑んで立ちはだかる令嬢はなぜいるのだろう。  誰にも会わなければいい、というささやかな願望は悲しいことに叶わなかった。  高位貴族にありがちな自信に満ちた強気な視線に気後れして、ローゼマリーは彼女の赤く色づけられた唇に目を落とした。  すごく、バケツが恋しい。 「ごきげんよう、ローゼマリー様。何やらお久しぶりでございますわね」 「……え、え」  覚えてはいないが久しぶり、なのだろう。夜会にはほとんど出ていないので、どこの令嬢なのかちっともわからない。 「しばらくお見かけしていないので、体調が思わしくないのかととても心配をしておりましたわ」  令嬢が気遣わしげな言葉を口にする。しかしその目はどこか嘲りの色を浮かべていた。 (あ、変わる)  嫌な予感に肩を揺らした、その次の瞬間。赤い唇がぐにゃりと曲がった。 「――っ!」  息を呑んで立ち尽くしたローゼマリーの目の前で、令嬢の口がぐいと大きく横に裂け、滑らかな陶磁の肌がみるみると黒と薄黄色の短い毛に覆われていった。  手入れの行き届いた豊かな髪が消え、耳が人のそれよりも高い位置に。真珠のように白く揃っていた歯は、肉を容易く引き裂けるような鋭さへと変わる。美しい人間の女性の顔であったものが、どんどんと形を変えていくおぞましさに、体の震えが止まらなくなる。 「東の庭の薔薇が見頃ですので、これからローゼマリー様もご一緒いたしません? 離宮に引きこもっていてばかりでは、お体によくありませんわ」  大きく裂けた口から覗く幅広の舌が操る声は、先ほどと変わらず鈴を転がすようで、そのちぐはぐさに怖気が走った。  令嬢の後ろに控えている彼女の侍女は顔色ひとつ変えない。異変を察すればすぐに行動を起こすはずのハイディでさえも、声を上げることはない。遠くで庭の警護をしている騎士もこの明るい庭で起こった異変に、色めき立つことはない。 (ああ……やっぱり、わたしだけにしか見えていない)  息が苦しい。ぶるぶると震え出した指先をおさえようと俯いてスカートを握りしめると、ローゼマリーのただならぬ様子を不審に思ったのか、令嬢が顔を覗き込んできた。 「ローゼマリー様?」 「ひ……っ」  目に飛び込んできたのは、猫科の肉食獣の顔。頭が豹、首から下は匂い立つような若さをたたえる人間の女性の体、という異形の姿に悲鳴を押し殺して後ずさる。 「どうかなさいまして? お顔が真っ青――」 「こ、来ないで! わたしは食べてもおいしくありません!」  鋭い牙に噛みつかれそうな恐怖を覚え、とっさにそんな言葉が口からこぼれる。案じる令嬢を突き飛ばし、そうしてはっと我に返った。尻餅をついてぽかんとこちらを見上げる令嬢は、もとのように滑らかな肌をした、美しい顔をしている。  やってしまった。一瞬にしてざっと血の気が引く。 「あ、その、ごめんなさい……」  消え入りそうな声で謝ると、唖然としたままの令嬢を残し、ローゼマリーは本宮へと駆け込んだ。 (ま、またやっちゃったわ……。ああ、なおさら悪い噂が広がる……)  第二王女は引きこもりの変わり者。たまに表に出てきてもろくに会話もできない。そんな噂が流れているのは知っている。  本宮に入って完全に令嬢の姿が見えなくなるなり、ローゼマリーは腰が抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。 「姫さま! 大丈夫ですか?」 「ええ、なんとか生きているわ……」  いまだにばくばくと激しく波打つ心臓をなだめるように、胸を押さえた。ハイディが膝をついてゆっくりと背中をさすってくれるのに、徐々に落ち着きを取り戻してくる。 「今日は、豹に見えた……」 「やっぱりそうですか。うーん、社交辞令の裏に悪意が潜むのはよくあることですからねぇ。どうにかならないものですかね。負の感情を持った人間の頭が動物に見える、なんて」  困ったように微笑むハイディを、恐怖から解放された反動で涙がにじむ目で見つめ返す。 「だから、外に出たくなかったのに……」  他人に対して、嫉妬や怒りなどの負の感情を持った人間の頭が獣に見える。それがたとえ自分を愛してくれている家族や、気心の知れた侍女でさえも。  いつからそんな風に見えるようになったのか、よく覚えていない。  ただ、幼い頃は今の反応よりもひどかった。  これでもまだ慣れた方だ。幼い頃は人の前に立つことさえも怖くてままならず、無理に立たされれば、泣き叫んでひきつけを起こしていたくらいだ。娘のあまりの取り乱しように、身を案じた両親が離宮に住まわせ、立ち入る者を制限するほど深刻だった。  もしや何か魔術をかけられているのでは、と疑った両親がフォラントでは忌避されている魔術師を人目を忍んで呼び寄せ、見てもらっても原因はわからなかった。  人によっては、悪意を持つ人間を見分けられるなど便利ではないか、と思うかもしれない。  それでも、つい先ほどまで人間の顔であったものが、見る間に変化していくおぞましさは何度見ても怖くて身がすくんだ。それは心に秘めている悪意が目に見える形で現れるということでもあるのだから。笑っていながら、内心では嘲っている。その落差も怖かった。 「ハイディ……」 「駄目です」 「まだ何も言っていないのに」 「言わなくてもわかりますとも。部屋に戻りたいと言うんでしょう? 駄目です。あとバケツも被っては駄目です。ほら、執務室まであともう少しですから頑張ってくださいな。陛下との面会が終わったら、姫さまのお好きなカオラのお茶を淹れてあげますよ」  カオラ、と聞いて沈んでいた気分がわずかに浮上する。我ながら子供じみていると思うが、好きなものは仕方がない。  ようやく立ち上がったローゼマリーは、好物を思い浮かべながら重い足取りで再び歩き出した。 *** 「も、もう一度言ってください」  遭遇する人の顔が獣に見えたり見えなかったりすることに一喜一憂しながら、どうにか辿り着いた父の執務室で、ローゼマリーはうわずった声を上げた。人払いをした室内にその声はよく響き、動揺しているのが自分でもよくわかる。  昨日から呼ばれていたというのに、ありえないほど来るのが遅くなったのにもかかわらず、快く迎え入れてくれた父は怒っていないのだろう。温厚そうな壮年の男性の顔だ。ただ、その口から今、信じがたいことを言われた気がする。 「バルツァーからお前宛てに夜会の招待状が届いている」  眉間に深く皺を寄せ、再度低く告げる父をまじまじと見やる。それでも、思考が追いつかなかった。  バルツァーは、フォラントから二つほど国を経た場所にある北の大国だ。昔から魔術師が多く住み、他の周辺の国に比べて技術や文化の最先端を行っている国だ。  王族はすべて魔力を持ち、魔術師団があることから、周辺諸国からは恐れられる半面、国家間の諍いの調停役として頼られている。その傘下に入っていれば、まず安心だ。一方で、敵にまわすと恐ろしい。  農業や牧畜が主な産業である小国フォラントから見れば、雲の上のような存在だ。 「招待状……? わたしに? バルツァーから……。――っ!?」 「そうだ。バルツァーから」 「無理です! 行けません! 執務室に来るまで、どれだけかかったと――」 「昨日の朝に手紙を届けさせたから、一日と少しだな。三日かかっていた頃に比べれば、早いものだ」  はっはっはっと笑い飛ばされても、ローゼマリーは青くなって激しく首を横に振った。  先ほどのようなことが日常茶飯事なのだ。バルツァーに辿り着く前に驚きと恐怖で寝込む。いや、下手をすれば死んでしまう。 「笑いごとではありません。あの、それはわたしだけ、なのでしょうか。お父様や、ディアナ姉上、シャルロッテは呼ばれてはいないのですか?」  ローゼマリーには姉と妹がいるが、三姉妹のうち、面倒な目を持っているのは自分だけだ。そして父の名代だというのならば姉のはずだ。実際に姉は父の名代として何度か外国に出向いている。そもそも、名指しされるということがおかしい。  父が額に手をやって、深くため息をついた。その姿がひどく疲れているようで、心配になる。 「招待状は御年十九歳の王太子と年頃が近く、婚約者がいない近隣諸国の王女や令嬢に送られているらしい。そして夜会の主催はバルツァー国王だが、表の名目は王太子の生誕祝いだ。つまり主役は王太子――クラウディオ殿下だ」  不審そうに首を傾げたローゼマリーはふいにずいと身を乗り出した父に、とてつもなく嫌な予感がした。 「この夜会は裏を返せばクラウディオ殿下の花嫁選びだ。私や、婚約者がいるディアナ、十になったばかりのシャルロッテが呼ばれることはない。その点お前はどうだ?」 「……婚約者もいませんし、この春に十六になりました」 「ということは、だ。お前が呼ばれたのは花嫁候補に挙げられているからだ」  ローゼマリーは両手で頭を抱えた。こんな小国にまで送るとは、どれだけ根こそぎ集める気なのだろう。 「そもそも、どうしてバルツァーの王太子殿下ともあろう方に、婚約者がいないのですか……っ」 「……お前、クラウディオ殿下の噂も知らないのか」 「知りませんし、知りたくもありません」  意外そうに片眉を上げた父を、恨めしそうに見つめる。そもそも噂など当てにならないというのは嫌というほど知っている。好意的だと聞いていても、いざ対面すると動物の頭に変化する人々を何人も見てきた。 「そんなことより、こ、断ることは……、できません、よね……」  あれだけの大国の申し出を断れば、フォラントなどノミのようにあっけなくつぶされてしまう。  それに、ローゼマリーのこの特異な目を知るのは家族の他は数人しかいない。ほとんどの人々は、自分のことを少し病弱で変わり者の引きこもり王女という認識だ。バルツァーの招待を蹴ることなど、家臣たちから非難の声が上がるに違いない。 「できないな。お前を国外……いや、この城から出すのは、とてつもなく非常に不安で心配だが、夜会に出席した事実だけあれば、夜会が開始してすぐに引っ込んでもかまわない」  苦渋に満ちた父の表情に、言葉だけでなく心から案じてくれていることを知り、ほんの少し心が軽くなる。 「まあ、一度行った国だ。他の国に行くよりはいくらかましだろう」 「――え? あの、わたしはバルツァーへいったことはないのですが……」 「何を言っている。お前が幼い頃にバルツァーの建国祭へ連れていっただろう。一度くらいは外の国を見せておこうと、ディアナも一緒に。あの時はクラウディオ殿下には会わなかったが」  全く覚えがない。だが、たとえ覚えていたとしても、状況が変わるわけではないのだ。国や家族に迷惑をかけない為にも、行くしかない。 「……わかりました。死ぬ気で頑張ってきます」 「ああ、帰ってきたら、いくらでもカオラを贈ってやるからな」  幼子にするように頭を撫でられ、ローゼマリーは胸にうずまく不安と恐怖を押し隠すように、微笑んでみせた。 ***  どこからともなく吹いていったひんやりとした風が頬に当たったような気がして、ローゼマリーは薄いドレスの上に羽織っていた肩掛けを引き寄せた。  春の盛りだったフォラントより北にあるバルツァーは、まだ早春の陽気だった。  幼い頃に連れていった、と父から聞かされていたバルツァーの城は、外見こそは石造りの堅固な城塞だったが、内装は白い漆喰が塗られ、あらゆるところに繊細な彫刻が施されている華麗なものだった。どことなく見覚えがあるような気もするが、はっきりと思い出せない。  あれからバルツァーに来るまで、常に緊張と恐怖を抱いていて、道中の記憶があまりない。ただ、自分付きの侍女として同行してくれたハイディが、ずっと励ましてくれていたことだけは覚えていた。 「お寒いですか?」  後ろに控えていたハイディが案じてくれるのに、振り返って強ばった笑みを浮かべる。 「いいえ、大丈夫よ。こ、これから室内に入るし……」  冷え込む廊下の柱の陰に隠れていたローゼマリーは、恐々とおそらくは賓客であふれかえっているであろう広間の様子をうかがった。 (は、入りたくない……)  ざわめきの音量からして、相当な人数が出席しているのだろう。バルツァーの貴族たちは当然のこと、父の言うように近隣諸国からも賓客が集まっているはずだ。  それだけの人々が集うのだ。さまざまな思惑が入り乱れ、きっと人と獣頭が入り交じる、自分にとってはかなり異様で恐ろしい光景が広がっているに違いない。フォラントで数度夜会に出たことがあったが、あれはできる限り目にしたくない光景だった。  時折、柱にかじりついたローゼマリーを不審そうに見ながら入っていく人もいたが、なるべくそちらを見ないようにする。 「姫さま、そろそろ……」  ハイディの声が少しだけ焦った響きを宿す。夜会の開始時刻がせまっているのはわかっている。なるべく最後の方に入場して、早々に退出するつもりだった。 「頑張りましょう、姫さま。ちょっとです、あとちょっとですよ」 「……このまま柱になりたい」 「柱になったら、フォラントへ帰れませんよ。さあ行きましょう」  促されたローゼマリーは重い足取りで、会場である大広間へと入った。暖かな空気が身を包んだが、気が緩むどころか緊張でじわりと額に汗がにじむ。 (大丈夫、大丈夫、わたしの側に来る人はいないから……)  絶対に目立ちたくはなかったので、せっかくの夜会なのに着飾らないなんて、としぶるハイディや家族を泣き落とし、地味な深緑のドレスにした。妹によると、流行は襟ぐりの大きく開いたドレスらしいが、とんでもないと、普段と同じ首元まで詰まった意匠だ。  こんなに野暮ったい田舎姫にわざわざ話しかけに来る人はいないだろう。  震える足で広間を進んで行くと、あちらこちらから人々の会話が聞こえてくる。 「ああそれは素晴らしい提案です。さっそく私どもの領地にて実践してみたいと思います」  感心しきったように頷いた紳士は熊だった。 「まあ、とても素敵なお召し物で。どちらで作らせましたの? ご紹介していただけません?」  羨ましそうに褒め称えた婦人は狐だった。 「この前、あちらのご子息が……」 「こちらのお嬢様はとても気立てがよくて……」  すれ違うのは馬、猫、羊……様々な動物の顔をした紳士と淑女が歓談する姿。  異様な光景に冷や汗をかき始めたローゼマリーは、思わず足をもつれさせかけて、すぐ側を通り過ぎようとし